音痴やおまへん。恩智でんねん。恩智神社と夏祭りの旅
大阪音痴やおまへん。恩智でんねん。恩智神社と夏祭りの旅
まいどまいど! 大阪府内に存在した城と言えば、大阪城や岸和田城、高槻城などが有名でんな。 まあ、せやけど、天守閣や門櫓、堀などが現存してまへんねんけど、文献上で語り継がれてきた恩智城っちゅう存在が明らかになってきました。 毎年、夏に開催される夏祭りは圧巻。 恩智神社は山の中腹に鎮座しており、その神社境内から御神輿が登場。 御神輿は山を下って周辺を練り歩く姿は夏の風物詩の一つとしてぎょうさんの見物客が訪れまんねん。 また境内には十二支にも登場するウサギとタツの碑が建立され、縁起が良いと評判に。 兎と龍が境内に点在し、撫でては祈る参拝客の姿も。 また周辺は自然豊かな地域として知られ、高安山も魅力の一つ。 高安山にはケーブルカーがあり、山頂付近とを結ぶ。 せやさかい、運動が苦手な方でも気軽に訪れることができまんねん。 ほんでまた、山頂付近には高安城と呼ばれる城があったとされ、現在でも語り継がれておます。 旧帝国陸軍大正飛行場掩体壕など戦争遺跡も各地に点在。 そんなこんなで八尾の緑豊かな自然が残る地域の魅力をご案内していきまひょ。
近鉄恩智駅周辺には、恩智神社や恩智城跡、神宮寺城跡などがあり、歴史のファンにとっては人気のエリア。 自然豊かな気候に恵まれ、ウォーキングやサイクリング、ハイキングなどに適している。 案内板には、付近の主なスポットが刻まれている。
恩智駅付近観光名所案内板
近鉄恩智駅付近には、恩智城跡や恩智神社などがあり、その案内としての役割を果たしている。 また、この付近に縁ある恩智左近満一氏の案内も刻まれている。
恩智駅前ショッピングセンター
ここでは、飲食店を中心に、書店、雑貨店、衣料品店などが立ち並ぶ。 付近には、恩智神社や恩智城跡があるなど、観光客でにぎわっている。
主祭神は、大御食津彦命(おおみけつひこ)、大御食津姫命。 470年頃、藤原氏によって大御食津彦命の祖神にあたる天児屋根命を香取神宮(千葉県香取市)から勧請して創建された。 創建当初、社地は天王森に鎮座していた。
本殿
室町時代、恩智の豪族として活躍した恩智左近満一が恩智城を神社の東に築城したため、現在地に遷座した。
夏祭り「夏季例祭」
開始時間の14時頃には、人、人、人。 恩智神社本殿前で太鼓の音が鳴り響きました。 14時30分頃、131段上にある本殿前から御神輿が降りてきました。 大きな御神輿は迫力満点です。
夏祭り「夏季例祭」
そのあとに続いて、小さな御神輿も。 これから恩智神社周辺を練り歩き、再び、この場所に戻る。
兎と龍
兎と龍
兎と龍
兎と龍
兎と龍
兎と龍
絵馬
絵馬にも十二支の兎と龍が描かれている。
恩智神社の神宮寺として知られている。 神武天皇東征の際、孔舎衙の戦いで、神武天皇が大樹に身をひそめて難を免れた。 このとき、母の如き恩ある木として「母木」と命名。 付近の地名を母木里とした。 後に、聖徳太子がこの地を訪れたときには、既に枯れていた。 樟徳太子は、河内の仏師鞍蔵に命じて母木の古株をもって十一面観音の像を作らせ、恩智神社に安置した。 明治時代、十一面観音の像は、感應院に移された。
恩智神社目の前
恩智神社に隣接し、小高い山の中腹からは大阪平野を覗くことができる。
萩原家住宅。 1600年頃、肝煎として屋敷を建築。 1750年頃、屋号「茶屋吉兵衛」として木綿問屋を開業。 地域の人々から「茶吉(ちゃきち)」という愛称で呼ばれていた。 2018年、古民家「茶吉庵」として再開発。 現在、レンタルスペースとコーヒーやソフトクリームなどを販売するカフェが併設。
かつてここには、中世に活躍した豪族恩智左近満一氏が恩智城を築いた。 恩智左近満一氏と同時期に活躍し、鎌倉幕府より悪党と呼ばれ、恐れられていた楠木正成氏との縁もある。 楠木正成氏とともに活躍したが、楠木正行氏が四条畷の戦いで敗れ、廃城となる。 明治時代には、当地に小学校が建設されたが廃校となり、現在では、公園として整備されている。 春になると、公園内に植樹された桜が満開を迎え、花見客でにぎわう。 正面入り口には、小学校時代のレンガ造りの門柱が2本立っており、当時の面影を偲ばせる。
掩体壕とは第2次世界大戦中、敵機の攻撃から守るために築かれた迎撃用戦闘機の格納庫。 二式複座双発戦闘機「屠龍」や四式重爆撃機「飛龍」などを格納するための正面開口幅は約28m、高さは約6m、奥行きは約21m。 終戦後、全国各地に建設された掩体壕の多くは解体されたが、大阪府では八尾市内に1基のみ現存する。 現在の八尾空港には旧陸軍の大正飛行場があったといい、コンクリート舗装による滑走路は東洋一の規模で八尾空港の3倍の広さを持っていた。 陸軍第11飛行師団の司令部が置かれ、飛行第246戦隊が配置。
後方部のみ
主に中部地方から近畿地方、中国地方、四国地方に至るまでの本土防衛の拠点となった。 計画に基づいて出撃する大規模な掩体壕は、生駒山麓の山裾に築造された。 大正飛行場から垣内掩体壕へは約4.5kmの誘導路を作り、人力や牛で引いて飛行機を移動させる。 戦時中、山林に囲まれ、敵軍からの発見を遅らせるため、掩体壕の屋根の上には土を載せて擬装していた。 戦後、前方部が崩落し、後方部のみとなった。
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ここは、大阪府八尾市に鎮座する恩智神社の御旅所として知られている。 また、公園として整備され、市民の憩いの場となっている。 この付近では、縄文時代から弥生時代にかけての遺跡が多く出土し、当地からは縄文土器も出土しているという。 古代、恩智集落があったとされている。 恩智川、大和川、玉串川、恩智山などに囲まれていることから、食糧に恵まれていたことを想像する。
高安山の中腹に鎮座。 祭神は市杵島姫命で俗に「岩屋弁財天、岩谷弁財天」と呼ばれている。 御神体は一帯の岩山全体である。 以前は木彫の弁財天像が御神体であった。 高僧空海が高座神社を参詣、大神の御託宣により当地に創建。 当所、インドの河神である弁財天(弁才天)を祀っていた。 中世以降、水神である市杵島姫命および天照大神高座神社が神仏習合して、神社の祭神として祀られるようになった。 明治時代、神仏分離により、弁財天像は教興寺に鎮座。 大正時代、天照大神高座神社の境内末社となる。
高安山の中腹に鎮座。 祭神は天照大神、高皇産霊大神、伊勢津彦命、伊勢津姫命。 創建年代など詳細は不明となっている。 479年、伊勢国宇治山田から遷座。 付近の「白飯之滝」は、干ばつでも水が絶えることがないとも。
祭神は、誉田別尊(応神天皇)。 1716年、石清水八幡宮より神霊を勧請、山本新田の鎮守として分祀。
ゆるキャラではなく、こわキャラとして活動している「ハニワこうてい」。 2012年、心合寺山古墳の紹介を目的に誕生。 古墳から出土した蓋形埴輪がモチーフ。 かつては古墳に並べられた埴輪であったが、みずらを結っている。 黒い服、頭部の飾りの欠けた部分を首飾りに着用。 三葉環頭大刀を手に持っている。 言葉を話すことができ、古墳案内ツアー等では自ら古墳や展示物の解説を行っているとか。
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信貴山口駅から高安山駅までを結ぶ鋼索鉄道線。 別名、西信貴ケーブルとも呼ばれる。 奈良県生駒郡平群町に位置する信貴山朝護孫子寺を含む信貴山山頂への交通手段として利用されている。 西信貴ケーブルカーは全国的にも珍しい2箇所の踏切があり、一般人が横断できる。 車両の車体には、信貴山のイメージキャラクター「しぎとらくん」が描かれている。
標高488mの山。 600年代、大和朝廷により大和国防衛の拠点として高安城が築城。 山頂には、大阪管区気象台の気象観測レーダーがある。