彦根&米原☆彦根藩主、井伊家ゆかりのスポットめぐり
滋賀彦根&米原☆彦根藩主、井伊家ゆかりのスポットめぐり
NHK大河ドラマ”女城主直虎”にも”どうする家康”にも井伊直政が登場しています。 井伊直政は関ヶ原の戦いの後、石田三成に代わり、滋賀県彦根にある佐和山城主となります。 さて…、ここで今、彦根周辺がちょっと注目されています…! 滋賀県彦根周辺には、井伊家ゆかりのスポットがたくさんあります。 今回久しぶりに、早朝から夕方まで一日かけて回ってみました。 午前中は、彦根駅から龍潭寺、清凉寺、大洞弁財天、天寧寺などへ。 彦根駅に戻り午後からは、彦根城、彦根城博物館、玄宮園と回りました。 ”ひこにゃん”に逢ったり、夢京橋キャッスルロードでお土産ショッピングしたり、寄り道もいろいろ…。 最後に彦根駅に戻ってからJRで米原に出ました。青岸寺を見て終了です。 歴史に興味のある方にお勧めのコースです。 庭園、お城、仏像…、とても見応えあり、意外な発見もありました。
龍潭寺は彦根藩主だった井伊家の菩提寺です。 佐和山山麓にひっそり佇む閑静なお寺…。 彦根駅から歩いて20分ぐらいのところにありました。 さて、井伊家の発祥の地、静岡県浜松市にも龍潭寺があります。 慶長5年、井伊直政公が佐和山城主になったのをきっかけに、この地にも龍潭寺が建てられました。 開山は大河ドラマ”おんな城主直虎”にも登場した昊天(こうてん)和尚です。 昊天和尚作と伝えられる庭園、森川許六の襖絵など見どころいっぱいです。
閑静な参道をゆく
浜松の龍潭寺とどこか似た感じがします。樹木におおわれた参道は禅寺らしく清々しい雰囲気です。このあたりには井伊家ゆかりのスポットがいっぱい。歴史を感じさせる佇まいです。
枯山水「補陀落の庭」
方丈の南は「ふだらくの庭」と呼ばれる江戸時代の庭。観音菩薩の浄土である補陀落山をかたどった枯山水の庭園です。中央の石は観音さまの立ち姿だそうです。
昊天和尚ゆかりの書院東庭
書院の東にも遠くの山が眺められる美しい庭が広がっています。昊天和尚と小堀遠州の合作といわれています。昊天和尚、庭造りでも活躍するなんて多才なんですね。
方丈の襖絵
方丈の建物は創建時の姿をとどめています。襖絵は森川許六の作。許六は彦根藩に仕える武士であり、芭蕉門下の俳人であり、画人でもありました。許六さんも多才なんですね。
清凉寺も井伊家の菩提寺です。 龍潭寺のすぐお隣にあり、歴代彦根藩主のお墓があります。 慶長7年、井伊直政公が亡くなった時に創建されました。 直政公は関ヶ原の戦いで大活躍しましたが、その時受けた鉄砲の傷がもとで亡くなったそうです。 またこの地は石田三成の家臣、島左近の屋敷跡だったそうです。
ご朱印ゲット…!
観光寺院ではありませんが、ご朱印はOK。歴代藩主の肖像画などは非公開です。大晦日の晩にうなる門、物を漬けておくと美しく洗われる”晒しの井戸”など「七不思議」の伝承があります。
井伊家の瓦を発見…!
境内で井伊家の紋章の入った瓦を発見。いつの時代のものでしょうか…。このお寺は、井伊大老の参禅道場としても知られており、重要な井伊家ゆかりのスポットです。
井伊家ゆかりのお寺です。 彦根藩4代藩主、井伊直興公により建立されました。 彦根城鬼門除けと領内の安泰を願って建てられたお寺です。 重要文化財の弁天堂は、絢爛豪華な彫刻で知られています。 お堂は黒くすすけていますが、ところどころに昔の華やかな彩色が残り、古い歴史を感じます。
弁天さまの印象は…?
お堂の中に入って座ったら、目の前に弁天さまが…。大きな坐像でした。参拝者の心しだいで弁天さまのお顔が変わるといわれています。慈愛深く、でも厳しく導くみ仏…。そんな感じを受けました。
彦根城が正面に…!
弁天堂の前に出ると、正面に彦根城が眺められます。 楼門の扉ごしに見れば、額縁に入ったような彦根城の姿が…! 心に残る風景でした。
えっ…?なんで石田三成の城、佐和山城が”井伊家ゆかりのスポット”なの…?と、お思いの方もあるかも…。 実は”佐和山城の最後の城主”は井伊直政なんです。 直政は関ヶ原の戦いの後、城主になりました。 その後すぐ亡くなっているので、城主だった期間はわずかです。 ちなみに佐和山城は”三成の城”のイメージがありますが、三成が城主だった期間もわずか10年程度です。 佐和山城は彦根城築城に伴い、廃城になりました。 現在、建物は残っていません。石垣だったかも…と思われるところがわずかに…。 ぱっと見ると何もない、ただの城跡です。 現在発掘調査が進められ、当時の遺構が少しずつ究明されているようです。
話題の”三成タクシー”
話題の”三成タクシー”を見かけました。認定試験に合格したドライバーが石田三成ゆかりの地をガイド付きで案内する観光タクシーだそうです。とても目立ちます。
天寧寺も井伊家ゆかりのお寺です。 佐和山のすそ野、彦根の街を見おろす高台にあります。 井伊直弼の父、直中が自分の過失で手打ちにした腰元と初孫の菩提を弔うため建立しました。 「五百羅漢の寺」として知られています。 仏殿の中には五百羅漢が整然と並んでいて独特の雰囲気です。 映画「関ヶ原」のロケ地だったそうです。
仏殿の五百羅漢
五百羅漢はいろいろな表情、いろいろなポーズです。お寺の方の説明がありました。「人に言えないことも羅漢さまに聞いてもらいましょう。羅漢さまは人間に近い、何でも聞いて下さる仏さまです。」
石庭の向こうに彦根城が…!
「ここは藩主さまの個人的なお寺です。殿様もこのお寺に度々、来られたようです。きっと心の休息を求めて来られたのでしょうね。ここからお城はもとより、殿さまの治める街全体が眺められます。」
金運アップの布袋さま
この布袋さま、おへそにさわるとヘソクリができるそうです…!また、扇にさわれば福が来て、袋にさわれば病気を封じるとか…。慢性的な”金欠病”にも大きな効果が期待できるかも…!
龍潭寺、清凉寺、大洞弁財天、天寧寺と回って彦根駅に戻ったら、お昼の時間になりました。駅の観光案内所で駅周辺のランチのお店を訪ねたら、「お手軽に郷土料理を…、というなら、”近江ちゃんぽん”はいかがですか…?」と教えてもらいました。野菜たっぷりでおいしかったです。半分食べたところでお酢を入れるのがオススメとか…。
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彦根藩主、井伊家のお城。国宝のとても美しいお城です。 井伊直政の亡くなった後、後を継いだ直継によって築城されました。 彦根城は究極の”リサイクル城”です。 天守は大津城、天秤櫓は長浜城のものを移築。 石垣は佐和山城からの石も混ざっているとか…。 いろいろなお城の古材を再利用して築かれたそうです。
リサイクル天守からの眺め
天守は関ヶ原の戦いで西軍の攻撃に耐えた大津城から移築されたものだそうです。その後、一度も戦いを経験することはありませんでした。内部は戦に備えていろいろな工夫がなされています。
石垣が続く”黒門山道”
天守から玄宮園までの道は、苔むした石垣の続く昔の面影を残す道です。私が子供の頃は、もっと周囲にうっそうと樹木が茂っていたような記憶が…。時代劇に登場するような風景です。
絵になる”いろは松”周辺
お濠に面して松の古木が並ぶ”いろは松”周辺は絵になる風景が広がっています。お城の周辺は、彦根城の城下町の面影を残す風景が、まだまだところどころに残っています。
彦根藩の政庁だった表御殿の跡地に建てられた博物館です。 鉄筋コンクリート造りの展示スペースと、木造で復元された藩主の住まい、茶室などのゾーンの2つが公開されています。 展示スペースは彦根藩主、井伊家に伝わる甲冑、刀剣などの武具、美術工芸品や古文書などを展示。 藩主の居室を復元したゾーンも見応え十分。移築された能舞台や復元された庭園もありました。
”ひこにゃん”に逢えました…!
博物館で彦根のゆるキャラ、”ひこにゃん”に逢えました。”ひこにゃん”はここでゆる~くパフォーマンス。何度も何度も、ロイヤルファミリーみたいに丁寧なおじぎをする姿が心に残りました。
意外と質素な藩主さまの住まい
藩主さまの住まいが復元されています。発掘調査や古い絵図をもとに再建されました。ただし、復元できなかったものも…。襖絵です。どんな襖絵が描かれていたかは、昔の資料がなかったそうです。意外と質素な印象でした。
復元された庭園
庭園を描いた古絵図をもとに庭園も復元されました。藩主さまの居間である「御座の間」から鑑賞するように作られています。また、庭に降りて散策できるよう園路も作られていました。
彦根藩の下屋敷は「欅御殿」と呼ばれていました。 4代藩主、井伊直興によって造営が始められました。 「欅御殿」の庭園部分は”玄宮園”、建物部分は”楽々園”と称しています。 玄宮園は彦根城が眺められる、いかにも大名庭園らしいゴージャスなお庭です。広々とした庭には、池や島が配置され、季節の花で彩られています。
”鳳翔台”でお抹茶を…!
”鳳翔台”は玄宮園の築山にある建物です。ここはもと藩主さまがお客さまをもてなす客殿だったそうです。玄宮園の美しさを鑑賞するのにもってこいのスペース。お抹茶をいただくこともできます。
お菓子は”埋れ木”です。
お抹茶に添えられるお菓子は、彦根を代表する名菓”埋れ木”でした。 やわらかな求肥の中に白あんが入っていて、抹茶入りの和三盆糖がトッピングされています。
楽々園
江戸時代は「欅御殿」と呼ばれていた建物です。井伊直弼はここで生まれたそうです。以前は料理旅館として使われていたとか…。現在、建物とその周辺は、少しずつ復元整備されています。
夢京橋キャッスルロードでショッピング。日本茶の専門店、政所園のカフェがありました。ショッピングの途中、ここでちょっと休憩。看板商品の”源三郎ソフト”(抹茶ソフトクリーム)がおいしかったです。石臼で挽いたやや粗めの抹茶を使っているそうです。あっさりとしてほろ苦く、まさに大人の味でした。
宗安寺も井伊家ゆかりのお寺です。このお寺の始まりは群馬県の安国寺でした。荒廃していたお寺を井伊直政公が再興。その後、直政公が城主となった地に次々、移転しています。 関ヶ原の戦い後、西軍の安国寺恵瓊と一緒の名前を避け、「宗安寺」と改めました。彦根城下町ができると現在地に移されました。 写真の赤門は石田三成の城として知られる佐和山城の城門を移築したものと伝えられています。 不思議なことに、ここには井伊家の敵方ゆかりの品がいっぱい。 三成ゆかりの地蔵尊、秀吉の側室淀殿ゆかりの阿弥陀如来、大阪夏の陣で壮烈な戦死を遂げた豊臣家家臣、木村重成の首塚もあります。歴史ファンには興味深いお寺です。
井伊家、敵方ゆかりの品が…!
本堂はもと長浜城の御殿だった建物です。ご本尊阿弥陀如来さまは、大阪夏の陣の時、攻め入った井伊家の家臣が大阪城の仏間から運び出したもの。敵方であった淀殿の念持仏と伝えられています。
本堂内も拝観しました
本堂に上がるとひこにゃん像が迎えてくれます。ここにも敵方ゆかりの品が…。書院には佐和山城落城時に、石田三成公ゆかりのお寺から運び出された千体仏と地蔵尊がありました。石田三成公の念持仏といわれています。
庭園と墓地にも注目を…!
極楽浄土への道を表す美しいお庭がありました。墓地には大阪夏の陣で亡くなった豊臣方の武将、木村重成の供養塔があります。なぜ豊臣の武将のものがここに…?噂のイケメン武将だったからではない…!壮絶な戦いで井伊軍の武将に打ち取られたからだそうです。
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彦根城のお堀に面した場所、和菓子の”たねや”の2階に和カフェ&お食事処”美濠茶屋”があります。 3種類ある「とろろ膳」のセットがオススメです。 今回は、”バウムクーヘン豚”というモノが気になって、”バウムクーヘン豚”のとろろ膳セット(1800円)を注文。 たねやのプチお饅頭や特製オリーブオイルの小瓶も付いています。 一緒に出される小豆茶も香ばしくおいしかったです。
”バウムクーヘン豚”のセット
とろろ、麦飯、サラダ、豚しゃぶ風サラダ、お味噌汁のセットです。このポークは、たねやのバウムクーヘンの切れ端をエサに混ぜて育てた”バウムクーヘン豚”なんだそうです。やわらかくてとてもおいしかったです。
彦根から米原へ…。米原駅から歩いて5~6分のところにある穴場スポットをご紹介しましょう。 このお寺は枯山水の名園で知られる井伊家ゆかりのお寺です。 戦火で荒廃していたところ、井伊家三代藩主が再建しました。 お庭の作者は彦根藩に仕え、藩主ゆかりの楽々園を作った香取氏です。
青岸寺”喫茶去”でラテアート…!
お抹茶のいただけるお寺はよくありますが、お庭の眺められるスペースにイスとテーブルが置かれて喫茶スペースになっているお寺は珍しいです。お庭や仏画を眺めながら、お地蔵さんラテアートも楽しめます…!
枯山水庭園
本堂の前に広がる枯山水庭園は、楽々園の作庭者、香取氏によるものです。池が作られていますが普段は水がなく、苔におおわれています。梅雨の時だけここに水がたまり、水底に沈む苔が大変美しく見えるそうです。
不思議な灯篭を発見…!
青岸寺のお庭に不思議な存在感ある灯篭を発見…?灯篭の上の部分には仏さま、下の部分にはマリアさまが浮彫りになっているようです。”和洋折衷の寄せ灯篭”と言われています。
青岸寺の近くにある古民家レストランです。街道筋にある昔ながらの古民家がおしゃれなお店にリメイクされています。洋菓子や洋風総菜なども販売しています。
ランチコース
ランチコースはパスタ他いろいろあります。煮込みハンバーグのランチは、トマトジュースに始まり、スープ、サラダ、メインの料理、パン。夏はかき氷もオススメ。