赤井英和さんゆかりの赤井家住宅と伊賀忍者のまち伊賀市を練り歩く
三重赤井英和さんゆかりの赤井家住宅と伊賀忍者のまち伊賀市を練り歩く
まいどまいど! 当地は、滋賀県の甲賀流とともに全国的に注目を集める伊賀流忍者の町、三重県伊賀市。 市内中心部ではあちこちに忍者の服装をした人や人形を見かけることができまんねん。 伊賀流忍者は通常、人の目に触れへんよう夜を中心に活動を行い、日ごろは忍者やっちゅうことを隠しながら生活し、生計を立てていたと言うてはりますねんけど、現在では忍者であることを堂々と公言し、記念撮影まで楽しんではります。 さすが、時代が変われば、物の見方も変わりまんな。 また、忍者が実際に暮らしていたとされる木造建築の民家も一般公開され、どんでん返しなどの仕掛けがされた忍者屋敷を実演付きで見学することができ、忍者によるアトラクションショーも楽しむことができまんねん。 その他、伊賀市では俳諧師として活躍した松尾芭蕉の出身地として知られ、当時29歳まで過ごしたとされる生家と書斎も現存し、見学も可能。 さらに、伊賀市中心部に現存する赤井家住宅は重要文化財に指定され、なんとあの元プロボクサーとして知られる赤井英和さんとも縁があるといい、また違った角度から伊賀市を楽しむことができまっせー!
三重県伊賀市のマスコットキャラクター「いが☆グリオ」。 三重県伊賀市に住む小学校3年生。 好きな場所は、三重県伊賀市。 好きな食べ物は、伊賀肉、伊賀米、かたやき。 口癖は、語尾に「ぐり」をつける。
ひしみちゃん
伊賀市商工会のマスコットキャラクター「ひしみちゃん」。 菱の実を使った特産品に使用するマスコットキャラクターとして登場し、手には手裏剣。 頭には、「菱」の字が刻まれている。
三重県伊賀市にある鳩レース協会。 一般的に鳩レースとは、同一地点(放鳩地)から放鳩し、どの鳩が速く帰ってくるかを競う。
お弁当や魚などの物産直売、レストランがあるほか、そば打ち体験もできる。
宿泊施設「ヒルホテル サンピア伊賀」では、宿泊はもちろん、レストラン「花ごころ」、天然温泉「芭蕉の湯」ではアルカリ性単純温泉として楽しめる。 伊賀牛、伊賀酒など地域の特産物が味わえる他、テニスコート、屋外プール、スケートリンク、そして、忍者の皆様には欠かすことのできない手裏剣道場も。 ここでは、手裏剣投げの体験ができる。 また、ヒルホテルサンピア伊賀の入り口には一台の車。 でも、よく見てみると、車の上には忍者の姿が!
サンピア伊賀で記念撮影
忍者のまち伊賀市では俳諧師で知られる松尾芭蕉の出身地として知られ、ここでは、忍者と松尾芭蕉の記念撮影を楽しむことができる。
江戸時代、俳諧師として活躍した松尾芭蕉に関する記念館。 ここでは、松尾芭蕉が歩んできた生涯や作品などが展示されている。
伊賀流忍者屋敷・忍術体験館・忍者伝承館からなる忍者に関する博物館。 上野市(現在の伊賀市)高山にあった民家を移築したという忍者屋敷の博物館では、忍者の服装をした案内人が様々な仕掛けを紹介、実演を行っている。 忍術体験館と忍者伝承館では、忍者が愛用してきた道具や資料が展示され、手裏剣打ち体験もできる。 忍者アトラクションショーでは、実際に忍者が登場し、忍者さながらの実演を行っている。 毎年末、くノ一姿の女性職員が屋根や瓦の清掃を行う「すす払い」を行っている。
記念撮影
忍者の服装をした忍者と記念撮影を楽しむことができる。
伊賀流忍者屋敷
一見、全国どこにでもあるような木造建築の家の中の風景であるが、実は、この写真の中に階段が隠されていて、実際に上ることができ、中2階から外部の様子をのぞくことができるしかけがある。 詳しい説明は伊賀流忍者屋敷で。
ロッテ コアラのマーチとコラボ
伊賀流忍者博物館では、ロッテさんのコアラのマーチとコラボ。 可愛いコアラが忍者に変装し、記念撮影を楽しむことができる。
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俳聖殿の外観は、松尾芭蕉の旅姿を模したものされ、上層の屋根が笠、下部が顔、下層のひさしは蓑と衣姿、堂は脚部、回廊の柱は杖と脚を表しているとか。 川崎克の着想を元に伊東忠太が仕上げられたもの。 松尾芭蕉生誕300年を記念した木造建築で、屋根は桧皮葺。 内部には大伊賀焼の等身大の松尾芭蕉の像「芭蕉坐像」と、芭蕉祭当日に表彰される顕詠俳句特選句が飾られている。 芭蕉祭は、芭蕉の命日にあたる10月12日に行われる。 三重県の有形文化財(建造物)に指定。 国の重要文化財に指定。
伊賀上野城は、上野盆地の上野台地に築城。 別名、白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれる。 かつて当地には、要塞としても利用された平楽寺や仁木氏館があったとか。 織田信雄(北畠信雄)の家臣である滝川雄利は平楽寺の跡に砦を築いたが、小牧・長久手の戦いの際に脇坂安治によって落城。 筒井定次によって改修、徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張したが、大坂の陣が勃発。 当時、高虎は従属する家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止、未完成となった。 高等学校の敷地内には武庫蔵が現存。 米倉は移築、現存。 天守台にある3層3階の天守は昭和時代の建築で、模擬天守。 正式には、伊賀文化産業城という。
日本一の石垣
大坂城の高石垣と並んで国内で一位、二位を争う石垣は「打込はぎ」の技法で築かれた。 根石より天端まで約29.7mの高さを誇る。
上野天神祭(毎年10月23~25日)で使用される「だんじり」が3基、展示され、大型スクリーンでは天神祭りの模様を映像で楽しむことができる。 また、上野城下の町並みを舞台に鬼行列が練り歩く姿が再現展示されている。 伊賀上野観光協会が併設され、観光スポットの案内、伊賀上野の物産を集めた地場産買物処では、お土産の販売を行っている。
伊賀忍者と記念撮影
だんじり会館の前には一台の車がとめられ、上には忍者の姿が。 忍者と一緒に記念撮影を楽しむことができる。
伊賀忍者と記念撮影
だんじり会館の壁面には忍者の姿が描かれた作品が展示され、忍者と一緒に記念撮影を楽しむことができる。
伊賀忍者と記念撮影
だんじり会館のすぐ隣には駐車場が併設され、駐車場とだんじり会館とを結ぶ階段には忍者の姿が。
江戸時代、俳諧師として活躍した松尾芭蕉は伊賀市に生まれ、当地で幼少期を過ごしたとされる。 1854年に発生した安政の大地震によって被災し、改築されたとか。 29歳まで当地で過ごしたといい、奥には使用されたであろう書斎「釣月軒」がある。
館内は自由に記念撮影が可能
館内は自由に記念撮影が可能であるといい、かつて松尾芭蕉が眺めていたであろう庭先や部屋を記念に写真撮影。
伊賀鉄道伊賀線で運行されているラッピング列車。 愛称は、「忍者列車」または「忍者電車」。 伊賀では古くから忍者の町として知られ、伊賀忍者はその伊賀国を拠点として、戦場やその後方で活躍した。 伊賀鉄道では、上野新都市(ゆめぽりす伊賀)の街開きを記念して、近畿日本鉄道が漫画家の松本零士がデザインした忍者塗装(青色)に変更。 以後、ピンク色(くノ一)が追加された。 東京急行電鉄から購入し、青色の忍者列車ラッピング。 運転台側乗務員用出入口には松本零士の直筆サインが展示されている。
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上野天神宮は、通称、お天神さん、天神さんと呼ばれている。 祭神は、菅原道真公。 かつて、上野平楽寺の伽藍神で、農耕神祇に発祥する神々を祀っていた。 伊賀の乱後、藤堂高虎による城下町建設の際、当地に奉還され城郭鎮守として祀られた。 毎年行われる上野天神祭は、神輿の渡御に供奉する鬼行列や祭ばやしの演奏と9基のだんじり(楼車)は、国の重要無形民俗文化財に指定。 楼門と鐘楼は、三重県指定有形文化財に指定。 俳諧に身を立てることを決意した松尾芭蕉は参拝に訪れ、その処女作「貝おほい」1巻を社前に奉納されて自らの文運を祈願した。
天神商店街
菅原神社に隣接する天神商店街。
商店街や町の周辺では忍者があちこちに。 自分に見合った忍者を探して、記念撮影を楽しもう!
伊賀忍者
忍者の姿をした人形が座っている。
伊賀忍者
商店街を歩きながら見上げてみると、忍者の姿をした人形が。
伊賀忍者
商店街を歩いていると街灯や電柱には忍者の姿をした人形が。
伊賀忍者
商店街の中心部にある交差点では可愛らしい忍者と出会うことができる。
伊賀忍者
「こら!そんなとこで何やっとんねん!」 思わずツッコミを入れたくなる忍者の姿をした人形が自動販売機の上で仰向けになって寝ている。
江戸時代に建設され、当初は、生薬問屋を営んでいた。 明治時代には料理旅館「栄楽亭」となり、昭和時代まで営業していた。 荒木栄太郎氏らによって伊賀市に寄贈され、現在は生涯学習に活用できる学習・交流・発表の場となった。 また、休日になると休憩所として一部が一般開放され、落ち着いた雰囲気のなかでゆっくりとくつろぐことができる。 さらに、茶室があり、茶会が開かれるなど、地域の交流の場としても活用されている。
江戸時代、俳諧師として活躍した松尾芭蕉の門人で伊賀連衆の高弟であった服部土芳の居宅。 土芳は当地で芭蕉の遺語を集めて「三草子」を執筆した。 庵開きの祝いで芭蕉が贈った句「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」にちなんで命名。 かつて、無名庵、西麗庵、東麗庵、瓢竹庵、蓑虫庵が存在していたが、「蓑虫庵」が唯一、現存するのみとなった。
伊賀流忍者の町として全国的に注目を集めてきた伊賀の中心部では、忍者衣装、手裏剣、模造刀をはじめ、忍者や侍をデザインしたTシャツなどのグッズを販売する店舗が点在する。 そのうちの一つが伊賀流忍者店で、ここでももちろん、伊賀流忍者に関するグッズが所狭しと並んでいる。
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赤井家は、かつて兵庫県丹波市やその周辺に存在した丹波国黒井の城主であった。 京都で蟄居していたところ、藤堂高虎に召し抱えられ伊賀に来住、千石の禄高で足軽大将に任ぜられた。 赤井悪右衛門は鉄砲場に屋敷を構えた。 建物は、江戸時代に建設されたとされたとか。 赤井家と関連のある赤井(悪右衛門)直正の嫡男・直義は、弟に赤井幸家を持ち、その子孫には、元プロボクサーで現在、芸能人として活躍する赤井英和がいるとか。
伊賀牛を使用した伊賀牛バーガー
地域の特産物として知られる伊賀牛を使用した伊賀牛バーガー。 野菜たっぷりに目玉焼きが挟み込まれたバーガーは絶品。 当日は、伊賀上野NINJAフェスタが開催され、その一環で、伊賀牛バーガーを当地で味わうことができた。
施設内には天然温泉やレストラン、キャンプ場、パターゴルフ場、グラウンドゴルフ場などがある。 かけ流し源泉風呂「こっとの湯」は天然温泉で、こっとという言葉は方言で「私、僕、俺」という意味。 キャンプ場には炊事場、トイレ、電源、野外炉などの設備がある。
島ヶ原はかつて大和街道の宿場町としてにぎわい、当地の旧本陣には藩主や大名など位の高い人だけが利用した。
奈良街道
大和街道とは京から伏見を経て奈良とを結び、一般的に「奈良街道」とも呼ぶ。