一般庶民が行く関西屈指の高級住宅街を眺める
兵庫一般庶民が行く関西屈指の高級住宅街を眺める
まいどまいど! 関西屈指の高級住宅街として知られる六麓荘は六甲山の一角。 場所は兵庫県芦屋市にあり、JR西日本や阪急電車、阪神電車が行き交う関西の交通の要衝。 芦屋市は西日本最大の経済都市として知られる大阪都心部に近く、古くから住宅街として人気を集めていた。 現在も高級住宅街として知られ、頂上付近からは平野部、遠くには大阪湾、瀬戸内海を臨むことができる。 景観を保つことを目的に、日本で初めてとなる電気の地中化がすすめられた。 また、芦屋には縁結びの神様として知られる芦屋神社、童謡「一寸法師」に登場する打出の小槌のゆかりの地である他、谷崎潤一郎、高浜虚子、小出楢重、村上春樹など有名人を多く輩出し、話題を集めている。 そんな有名人のゆかりの地をめぐりながら、芦屋マダムが愛する唐揚やサンドウィッチ、コロッケなど多くのグルメと出会う。 村上春樹の小説で登場する芦屋の街並み。 猿の飼育されている公園や近代建築物も眺めていたといい、有名人を身近に感じることのできる場所としてファンの間で注目を集めている。 これらから、芦屋は高級住宅街という一面を持ちながら、庶民の町としての一面も併せ持っている。
1988年、小説家として活躍した谷崎潤一郎に関する資料の保存と公開を目的に文学館として開館した。 谷崎が愛したという数奇屋風の邸宅を模した記念館と庭園から構成される。 ここでは、谷崎が愛用した机、硯、筆、美術品などを収蔵・展示している。 館内のホールでは、谷崎文学の朗読会や文学講座、講演会や演奏会など、谷崎に因むイベントが開催される。 玄関横に飾られてた重さ15tの巨石は神戸市東灘区岡本にあった旧谷崎邸の庭石である。 阪神大水害のときに邸内に飛び込んできた石をそのまま庭石としていたものである。
1991年、美術館と歴史博物館の設備を併せ持つ複合施設として開館した。 館内は小出楢重や菅井汲、吉原治良と具体美術協会、中山岩太ら芦屋カメラクラブの写真家など、芦屋にゆかりある芸術家と作品を多く展示、収蔵している。 館外の前庭には巨石のオブジェが飾られている。 一隅に小出楢重のアトリエが復元され常設公開されている。
芦屋廃寺塔心礎
飛鳥・白鳳文化期(7世紀)に建立された古代寺院「芦屋廃寺址」の塔心礎。 遺構は現存していないが、発掘調査では大量の瓦片や基壇が見つかったとか。 1620年代の徳川大坂城築城の石材にするため、島津の刻印が彫られている。
洋画家として活躍した小出楢重のアトリエ。 1887年、大阪市南区長堀橋筋一丁目(現在の中央区東心斎橋)生まれ。 学生時代、渡辺祥益に日本画の手ほどきを受ける。 東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科を受験するも不合格となり、日本画科へ編入した。 下村観山の指導を受け、洋画に転向。 二科展出品作の「Nの家族」で樗牛賞、「少女お梅の像」が二科賞を受賞。 1921年、渡欧。 1923年、二科会員に推挙。 1924年、帰国後、鍋井克之、国枝金三、黒田重太郎らとともに大阪で「信濃橋洋画研究所」を設立。 1929年、小出楢重のアトリエが復元・保存されている。
1927年、竣工。 石造庁舎は正面玄関のアーチ。 また、正面上部に配されたミミズクの彫刻が特徴。
設計
旧庁舎の設計は兵庫県営繕課によるもの。 当時、置塩章が営繕課長であったことから、置塩の影響が色濃いロマネスク様式の建物である。
朝びき地鶏唐揚げのテイクアウト専門店。 「数量限定の販売」で人気のお店。 芦屋マダムの「ホームパーティー・お土産お持たせ御用達のお店」に選定。 2013年、唐揚日本一を決める「唐揚グランプリ」に「中日本しょうゆだれ部門」でノミネート。 また、日本唐揚協会が主催する「全国唐揚ランキング」で 827店舗中2位に選ばれたとか。
芦屋川の左岸沿いに続く公園。 市木・クロマツが茂る。 一隅には、京の都で退治された怪物が流れ着いたという伝説の「ぬえ塚」がある。
道路沿いに緑も
多くの木々が植樹され整備されている。 また、公衆トイレ、公衆電話が設置されている。
芦屋さくらまつり
2017年4月1日から2日まで開催されたイベント。 1988年に第1回が開催されて以後、毎年開催されている。 桜が満開を迎えるころ、芦屋川と桜並木が美しく、記念撮影や花見を楽しむ人でにぎわう。 特設ステージでは音楽が楽しむことができる。
芦屋さくらまつり
芦屋川沿いに設置されたブースでは、本部や警察本部をはじめ、たこ焼きやコロッケ、ホットドック、唐揚など、芦屋の名物を中心に楽しむことができる。
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1929年、旧逓信省芦屋別館として竣工。 電話交換局として建造され、NTT西日本芦屋別館事務棟として使用されていた。 設計は、旧祇園電報電話局(NTT西日本祇園別館)や広島郵便局電話分室と広島逓信局庁舎など数多くの逓信局舎建築作品を手がけた逓信省営繕課の上浪朗。 現在はウェディング・レストランとして営業している。
歴史的建造物。 1934年、作家谷崎潤一郎が住んで松子と婚礼をあげた屋敷。 小説「猫と庄造と二人のをんな」の舞台とされる。 1939年、詩人富田砕花が移住。 1945年、当時は10部屋あったという大きな屋敷は、第二次世界大戦中に焼失した。 現在、旧書斎と母屋、管理棟、庭園で構成される。 旧書斎は、谷崎潤一郎が「源氏物語の現代語訳」、「半そで物語」などを執筆した場所として知られている。 現在、富田砕花の遺品や原稿等の資料が展示、公開されている
祭神は、菅原道真公、事代主命。 1905年、阪神電車が開業し打出駅が開設された。 当時、すぐ近くまで海岸が迫っており、駅の開設と同時に打出浜海水浴場が開かれたが廃止。 神社の創建時期など詳細は不明となっている。 また、一説によると童謡「一寸法師」に登場する打出の小槌にゆかりがあるとも。
1930年、大阪の逸見銀行の建物を移築した。 1952年、旧松山家住宅松濤館、仏教美術収納庫として使用されていたが、芦屋市が買い取って図書館となった。 作家の村上春樹がよく目にした普段の景色であったとか。
村上春樹氏の小説「風の歌を聴け」のワンシーン「お猿の公園」の名で登場する公園。 1959年から2003年までの間、タイワンザルが飼育され、「お猿の公園」「おさる公園」と呼ばれ、親しまれていた。 その他、リスやインコ、孔雀なども飼育されていたが、現在は、檻だけが現存し、滑り台などの遊具が設置されているのみである。
キャラクター
現在も檻は地元住民の要望により残されている。 また地域の可愛らしいキャラクターが描かれている。
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1336年、後醍醐天皇に反旗を翻した足利尊氏が丹波から兵庫に進出。 入京を図って新田義貞・楠木正成・北畠顕家と戦って撃退。 この戦いは「梅松論」「太平記」にも描かれている。 また、楠木正成に因み、大楠公戦跡碑が建立。
周辺は、高浜虚子ゆかりの地で、公園には虚子と息子年尾、その娘稲田汀子の親子三代の句碑が建立されている。
公光大神と業平大神と刻まれた石柱が建立。 境内には、「公光の墓」、「在原業平の墓」がある。 「公光」は、能の「雲林院」などを生み、文学に影響を与えた。 子供の頃から「伊勢物語」 を読んで、主人公の「在原業平」をこよなく敬愛していた。
商業施設。 建物は本館、西館、東館、北館、及びホテル竹園芦屋から構成。
神戸牛・但馬牛・竹園特選黒毛和牛など厳選された「竹園のお肉」が堪能できるホテル。 1946年、創業。 コロッケ、メンチカツなどが美味しいと評判を呼んでいる。
コロッケ
内容がぎっしり詰まったコロッケは美味しいので、おすすめ!
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カツサンドなど、サンドウィッチが美味しいと評判のサンドウィッチ専門店。
「細雪」谷崎潤一郎の長編小説。 1936年から1941年までの大阪の旧家が舞台。 4姉妹の日常生活の悲喜こもごもを綴った作品として知られている。 阪神間モダニズム時代の阪神間の生活文化を描いた作品であり、会話は船場言葉で書かれている。 また、芦屋に住んでいる幸子の家に同居している雪子、妙子が中心。
芦屋川決壊之地碑
芦屋川上流にかかる開森橋すぐに建立された石碑。 1938年、阪神大水害が発生し、この辺りの堤防が決壊した。
灘五郷の造り酒屋・櫻正宗の八代目当主山邑太左衛門の別邸として米国人建築家フランク・ロイド・ライト が設計した個人住宅(山邑邸)。 1918年、原設計。 1922年、ライトは米国に帰国し、実際の建築はライトのもとで帝国ホテルの建設にも携わっていた遠藤新と南信が行った。 1924年、竣工。 1947年、淀川製鋼所が所有し、社長邸や独身寮などとして使われた。 1989年、淀川製鋼所迎賓館(ヨドコウ迎賓館)として一般公開されている。
祭神は、天穂日命。 縁結びの神として知られる。 天穂日命は天照大神と須佐之男命が誓約した時に生まれた第二子とされる神。 出雲の国譲りの際、先遣隊として派遣され、現在の六甲山の頂上にある磐座に降臨し、そこから出雲へ向かったという。 後に天穂日命を崇敬する人々がその山深い険しい場所から現在の場所に社地を遷し、社を建て下の宮として祭祀したのが創始とされる。 境内にはオガタマの木やヤマモモの木、市花でもあるコバノミツバツツジが生息する。 古くから天神山のツツジとして親しまれ、阪神間屈指の名勝地で阪神六景の一つにも選定。
印章供養
印章は使用者の分身、会社の印はその会社の歴史そのもの。 役目を終えた印鑑や判子はご祈祷、境内の印章塚に納める。
水神社と古墳
水神社は、古墳時代の横穴式石室墳(芦屋市指定史跡)。 「弁天岩」上の祠に祀られていた「水の神」を祀ってある。 また、鎌倉時代の建立とされている猿丸大夫の墓と伝えられる宝塔がある。
六甲山地の南東麓斜面の海抜200mから250m地点に位置している高級住宅街。 明治時代、「日本一の長者村」と呼ばれた住吉村(神戸市東灘区)や夙川、香櫨園など近隣地域の影響を受けて大阪財界人の手によって、国有林の払い下げを受けて宅地造成を行った。 土地開発・住宅造成の会社である「株式会社六麓荘」を設立。 香港の九龍半島やその対岸の香港島の白人専用街区がモデル。 電気は、電柱が著しく風致を損なうとして、日本で初めてとなる電線類の地中化が行われた。 「芦屋国際ホテル」が開業したが太平洋戦争が勃発して営業停止、権利は松下電器産業に移り、研究施設として使用されていたが、敗戦後に芦屋大学となった。
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落差10mの天然の滝として知られ、護摩堂が立ち、昔は修行が行われたとか。 鎌倉時代の器が出土し、霊場であった。 売店・食堂・トイレもあり。