行基、弘法大師(空海)の足跡を訪ねて狭山池。大阪狭山市の歴史に迫る
大阪行基、弘法大師(空海)の足跡を訪ねて狭山池。大阪狭山市の歴史に迫る
まいど! 大阪府の南河内地域に属する大阪狭山市では、行基、弘法大師(空海)も建設に携わった狭山池が有名でんな。 狭山池は、日本最古のダム式のため池として知られ、「日本の歴史公園100選」にも選定されました。 ため池のまわりには散歩道「周遊路」が整備され、3月下旬には、早咲きのコシノヒガンが開花、4月中旬には、ヤエザクラ類が開花するさかい、長期にわたって花見が楽しめるスポットとして注目を浴びてはんねやね。 狭山池周辺には旧さやま遊園。 かつては、観覧車やプールもあったそうでして、「あ!知ってるで!」や「いっぺん行ったことがおまっせ」という大阪府民もぎょうさんいてはるのとちゃいますやろか。 1600年には北条氏盛によって狭山藩が立藩、1616年には狭山陣屋が置かれました。 大阪狭山市が発足したのは1987年のこと。 そない考えたら、めっちゃ最近のまちなんやね。 日本の歴史に大きな功績と名を刻んだ行基と弘法大師(空海)の足跡を訪ねて狭山池とその周辺を散策しまひょ! ほな、まいどおおきに!
大阪府大阪狭山市のマスコットキャラクター「さやりん」。 狭山池の龍神伝説と狭山池を取り巻く桜がモチーフ。
大阪府大阪狭山市にある日本最古のダム式ため池。 600年頃、この地に築造された。 平成の大改修によって、ダム式ため池公園となった。 これまで、狭山池は、「ため池百選」をはじめ、「日本最古の狭山池から天野街道を巡るみち」美しい日本の歩きたくなるみち500選、「日本の歴史公園100選」にも選定された。 中国や朝鮮などアジア大陸から伝わったとされる敷葉工法が用いられていると言う。
名勝 狭山池
狭山池の畔には、狭山池の石碑。
狭山池の記
大阪狭山市とともに歩んできた狭山池の詳細が刻まれている。
設計は、安藤忠雄氏。 600年代に築造された日本最古のダム式ため池として知られる狭山池の歴史と、大阪狭山市全体の歴史を紹介。 施設内では、土木遺産の保存と公開を目的として「北堤の断面」、「桶管」などを展示。 7つのコーナーに分かれ、狭山池の誕生から古代、中世、近世、明治・大正・昭和の改修、平成の改修など年代別に展示。
末永雅雄像
大阪狭山市の出身として知られる考古学者の末永雅雄氏は、狭山池を研究した一人。 大正時代、狭山池の大改修時に文化財調査を担当、著書「池の文化」などを出版。 付近では、須恵器窯が発掘されたことにより、築造時期などを論じている。
狭山池と弘法大師
奈良時代、狭山池の大改修には、東大寺大仏建立にも携わった行基が総指揮を執った。 また、狭山池と同時期に築造されたとされる満濃池(香川県仲多度郡まんのう町)は讃岐国司道守朝臣によって築造された。 大改修には、弘法大師・空海が携わった。
1938年、北条家より、「地域のための有効利用」を目的に狭山池東畔を寄贈。 また、河内国・狭山藩下屋敷跡地として知られている。 藩主家は外様大名の後北条氏(北條氏)。 北条氏の祖は、関東出身の北条早雲。 丹南郡池尻村及び半田村に狭山陣屋を構えたが、堺県に編入後、大阪府の一部となった。 さやま遊園は、地域密着型の遊園地としてにぎわい、夏季はプール、冬季は屋内型スケートリンクとして営業していた。 2000年、閉園した。 現在は、住宅地、さやか公園を整備した。
ウェルカムゲート跡
大理石の中には、さやま遊園の写真。
狭山池水天宮
かつてこの地に存在した「さやま遊園」の来園客・従業員等の安全祈願のために建立された。 祭神は、罔象女神。
考古学者・末永雅雄氏の案内表示板
水天宮付近には、狭山池の研究に携わった考古学者・末永雅雄氏の案内表示板が設置されている。 末永氏は、大阪狭山市の出身として知られる。 大正時代、狭山池の大改修時に文化財調査を担当、著書「池の文化」などを出版。 付近では、須恵器窯が発掘されたことにより、築造時期などを論じている。
観光案内を目的に、案内表示板では周辺の観光案内を行っている。 大阪狭山市には日本最古のダム式ため池として知られる「狭山池」がある他、大阪府立狭山池博物館、狭山ニュータウンなどがある。 また、案内表示板には、大阪狭山市のマスコットキャラクター「さやりん」が描かれている。
日本最古のダム式ため池として知られる狭山池に流れ込む三津屋川沿いに設置された緑道。 草木が生い茂り、運動を目的とした遊具が設置されている。
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高野街道とは、大阪府河内長野市から和歌山県橋本市・高野山へと続く参詣道の一つに数えられている。 高野街道には、経路別に東高野街道、中高野街道、下高野街道、西高野街道の4街道が存在し、それぞれの街道が河内長野市で合流する。 下高野街道は大阪市天王寺区・四天王寺から大阪狭山市まで続く街道として知られ、岩室村付近で西高野街道と合流する。
祭神は、天照皇大神、素盞嗚命、臣狭山命、天児屋根命、大山祇神、稲田姫命。 創建時期など詳細は不明となっている。 600年代、崇神天皇の勅願により、日本最古のダム式ため池として知られる狭山池の築造以前に創建された。 南北朝時代、当地は南北両軍の激戦地となり、焼失した。 室町時代、再建。 また、狭山神社は大阪みどりの百選の一つに選定された。 付近に鎮座する狭山堤神社は、境内摂社。 祭神は、印色入日子命(五十瓊敷入彦命)。 狭山池の鎮守の神として印色入日子命を祀ったもの。
愛称は、「SAYAKAホール」「さやかホール」。 多目的ホールとして知られ、大ホール、小ホール、コンベンションホール、展示ホールなどがある。
大阪狭山市内にある南海電車金剛駅前のお店。 落ち着いた雰囲気の中でいただく和食は、絶品。 席はカウンター席とお座敷があり、ファミリーでも楽しめそう。
はりまや定食
ここで、天ぷらやお造りなどの和が揃った「はりまや定食」。 天ぷらは、塩でお召し上がりください。