安芸の小京都。まっさん(竹鶴政孝)のふるさと竹原の今
広島安芸の小京都。まっさん(竹鶴政孝)のふるさと竹原の今
まいどまいど! 国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された竹原町の町並み保存地区は広島県竹原市にあり、第一印象は小京都。 安芸の小京都という異名を持ちながらも、比較的に落ち着いた雰囲気の中で、毎年、多くの観光客が訪れ、その中でも、昔ながらの製法で味を守り抜いてきた竹鶴酒造が営業する。 この竹鶴酒造は、NHKの連続テレビ小説「まっさん」の中心となり、その主人公に登場した竹鶴政孝氏とリタ氏が注目を浴びた。 この日もドラマに登場した竹鶴酒造の建屋を外から眺める人や写真撮影をする人の姿が。 特に、竹鶴正孝氏は、「日本のウイスキーの父」とも言われ、今日の日本のウイスキー文化の礎を築いた。 さたに、竹原市歴史民俗資料館では、竹原市の観光案内や歴史の展示、公開を行っており、竹原市のことをさらに詳しく知ることができる。 また、博物館の隣には「まっさん」の主人公ともなった竹鶴政孝とリタの像が展示されていた。 竹原町並み保存地区ではこの他にも多くの建屋、そして、建屋を改装し、オープンしたお店もあり、これからもますます注目を集めるエリア。 さあ、今こそ、まるで京都のような雰囲気漂う竹原を散策しよう。
ここでは、国の重要文化財に指定された春風館頼家住宅、復古館頼家住宅をはじめ、県の重要文化財、市の重要文化財に指定された歴史ある建物そのものが密集する。 また、昔ながらの雰囲気を今に伝える照蓮寺と礒宮八幡神社などが点在する。
江戸時代、屋号「小笹屋」で製塩業を営んでいた。 冬場、余剰の労働力を流用して酒造業を始めた。 家裏の竹藪に鶴が営巣した事を「古来松に鶴と聞くも、竹に鶴は瑞兆なり」と喜び、その後「小笹屋竹鶴」と写したのが始まり。 銘柄・姓として用いたとか。 後に、ニッカウヰスキー創業者である竹鶴政孝さんの生家として知られるようになる。 通りに沿って連続した妻入り屋根を持ち、小笹屋酒の資料館を併設している。
旧市立竹原書院図書館。 1700年代、儒医の塩谷道碩は私塾を開いたが死去した。 道碩の門人であった頼春水(頼山陽の父)が惜しんで発案。 頼春風を塾長として、他町年寄小倉屋籐左衛門らの尽力により道碩邸跡地に郷塾「竹原書院」が開講し、図書館となったが焼失。 1910年、社団法人竹原書院を設立し、図書館活動を開始した。
竹鶴政孝氏は、ウイスキー製造者、技術者。 後に、ニッカウヰスキーを創業し、「日本のウイスキーの父」と呼ばれるようになった。 苗字の竹鶴は、家(竹鶴酒造)の裏にあった竹林に鶴が巣を作ったことから由来しているとか。 当初、アサヒビールとの縁を深めていたが、鳥井信治郎さんに招かれ寿屋(現在のサントリー)山崎蒸溜所初代所長として、就任。 日本初の本格スコッチ・ウイスキー製造を指揮。 その後、大日本果汁(現在のニッカウヰスキー)を興した。イギリスのヒューム外相が来日した際、「一人の青年が万年筆とノートでウイスキー製造技術の秘密を全部盗んでいった」という意味の発言をし、話題を集め、称賛を浴びたとか。