
大河ドラマ「真田丸」・大坂の陣開幕!~今こそ訪ねたい真田信繁(幸村)ゆかりの地~
大阪大河ドラマ「真田丸」・大坂の陣開幕!~今こそ訪ねたい真田信繁(幸村)ゆかりの地~
2016年の大河ドラマ「真田丸」がいよいよ最終章に突入!舞台は「大坂の陣」へと移ってまいりましたね! 私の大好きな武将の一人でもある真田幸村こと信繁。彼の人生の終焉の地となった大阪ゆかりの地を改めて歩いてみました。現在、街はすっかり変ってしまって当時を偲ばせるものはなくなってしまいましたが、地域の方々が、豊臣家に忠義を誓い散った信繁の武士としての誇りを今なお守り、敬愛している様子はそこかしこで感じられます。 「真田丸」とは、慶長19年に勃発した大坂冬の陣の際に信繁が築いた大坂城南にあった出城(砦)。 難攻不落と言われた大坂城でしたが、唯一の弱点である城の南…上町台地と言うところに東西180mの三日月形の出城が築かれ、これを<真田丸>と呼んだのだそうです。攻め寄せて来た徳川勢の先鋒隊に鉄砲で迎え撃ち、大打撃を与えたのちに追撃し見事、勝利を勝ち取ります。この武功により、真田信繁の名を天下に知らしめることになったそうです。 「真田、日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と称された大坂の陣での信繁の足跡をご一緒に感じていただければ幸いです。
菅原道真公と少彦名神を祀る安居天満宮(安居神社)。道真公が、九州の大宰府に送られる際に滞在され、ほっと一息つかれたのかな…そんなところから「安居」と呼ばれるようになったとか。 そしてここは、信繁が最期を迎えた地でもあるのです。 大坂夏の陣で、家康をもう一歩のところまで追い詰めますが、多勢に無勢…兵力に勝る敵の増援に阻まれやむなく退却。この神社で休息をとっている時に越前藩士に討ち取られたそうです。 七名水とも言われる「癇静め(かんしずめ)の井戸」もあるそうですが、現在は枯れてしまっているようです。
真田赤備えと六文銭
大坂の陣で信繁の舞台が着装した朱塗りの鎧兜「赤備え」。武田軍が重用したのが発祥と言われています。兵士に朱の武具をつけさせることで士気を高め、また、自身は覚悟の表明だったと言われています。 同様に真田家旗印の「六文銭」も三途の川の渡船料とされ、決死の覚悟で戦いに挑むと言う意味なのだとか。
正面から
交通量の多い、国道25号線沿い、天王寺口に位置する安居神社。 向かいは一心寺。
「日本一之兵」
拝殿から撮影させていただきました。左手には赤備えの信繁の甲冑(ミニチュア)が。右手には「真田日本一之兵」の書…大坂の陣で、無名だった信繁は一気に名を馳せたと言います。 薩摩・島津家久はこの言葉を書き残し、信繁の武勇と知略を称えたそうです。
赤い幟が目印
信繁ゆかりの地であるこの辺りではこの幟はよく見られます。 真田カラーを見つけるとなんだか心が躍るのは私だけでしょうか。
休息する信繁公の像
3度にわたる家康本陣攻めの後、ほっと一息、休息する信繁公の銅像と戦死跡の碑がありました。刀を置き、兜も脱ぎリラックスしているようにも見える像です。ちょっと切なくなります。
にゃんこに遭遇
ご朱印をいただいているすぐ横でひなたぼっこしていたにゃんこ。 <お守り>が入ってたであろう箱の中でまどろんでいましたよ。
手水舎でも…
お水を飲むにゃんこも。 龍の水口との対峙がおもしろい!
さなだ松(二代目)
信繁公の像のすぐ後ろにある「さなだ松」。この松の下で討ち取られたと伝わります。 当時の松が枯れてしまったため、新たに植樹されたものだそうです。
天神坂
神社の北側には閑静な住宅街が。ここにある坂は「天神坂」と呼ばれています。天神さんに通じる坂~といったところでしょうか。坂を利用して湧き水が流され、涼をとれる様になっていました。天王寺界隈は湧き水が多いんだそうです。
文治元年(1185年)、浄土宗開祖・法然上人によって開かれた寺院で江戸時代から庶民に親しまれたお寺です。 1600年、関ヶ原の戦いがあった年に家康公の八男・仙千代君が夭折し、この一心寺で葬儀が執り行われたそうで以来、徳川家から手厚い庇護を受けます。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、家康公の本陣となったお寺、そして翌年の夏の陣では、信繁公の陣にもなったとの事です。 「これがお寺の山門?(゜-゜)」と思しき入り口のモダンな2体の像は仁王さんだそうで、仏教の守護神。仏敵に対する攻撃と守りを表しています。一見、美術館のようですよ。
坂枩山 一心寺(ばんしょうざん いっしんじ)
お彼岸時期という事もあり、たくさんの参拝者さんが来られていました。北門辺りにあった大きな松の木にちなみ、家康公より賜った「坂枩山」が山号になったとか。
本堂
昭和41年に再建された本堂。大坂の陣で激戦区となったことで、終結後はおびただしい数の戦没者が…。当時の上人により、本堂でその霊の弔いが行われたそうです。
納骨堂(お骨佛)
ここ納骨堂では、13体の仏さまが奉安されています。実は、これらは納められた「遺骨」で練造される いわゆる<お骨佛さま>なんです。10年ごとに造立され、ただいま13体が開眼。お線香の煙がもうもうと立ちこめ、数え切れないほどの方々がお参りに訪れていました。
開山堂
開祖・法然上人をお祀りしている開山堂。
禁酒したい方、必訪
冬の陣の前夜、酒を飲みすぎたため戦死してしまった徳川家忠臣 本多平八郎忠勝の次男・忠朝を祀っています。討ち死にする前に「戒むべきは酒なり」と言い残したことから、《酒封じの神》となったようです。深酒は身を滅ぼすのですねぇ…やっぱり。
家康が隠れたと伝わる「霧降りの松」
夏の陣、激戦地となった一心寺界隈で信繁公に追い詰められ、切り付けられた家康公がこの松の陰に隠れたところ、霧が噴き出して守ったとか…。 当時の松ではありませんが、その場所から出た若松が境内で見られます。
三千佛堂
お寺の東の「一心寺シアター倶楽」一階にある三千佛堂。すごい数の金色に輝く仏さまが円形の堂内におられました。これは圧巻!参拝者さんの寄付によって造立され、21世紀中に1000体の仏さまで埋め尽くされる予定なのだとか。 9時~16時まで自由に拝観出来ます。
あ、通天閣!
向かいに安居神社を望む国道25号線に出てくると通天閣が見えました。 あぁ、やはりここは大阪なのね…と改めて感じた瞬間です。
大阪では昔から「一生に一度のお願いをきいて下さる神さん」として親しまれてきた堀越神社。パワースポットとしても知られているそうです。 第32代・崇峻(すしゅん)天皇の徳を偲んで、時の摂政だった聖徳太子がこの茶臼山の地に創建されたそうです。明治の中頃まで境内南側にお堀があり、これを越えて参詣されたことから名付けられたと伝わります。また、樹齢数百年と言われるご神木は「神が宿る木・降りる木」と言われるようで、疲れた時、気力がない時に触れるとパワーをいただけるとか!
本殿
「ひと夢祈願」と言って、祈願を書く用紙に一生に一度のお願いを書いて本殿で祈祷してもらうのだそうです。祈願の用紙は大切にお持ち帰りくださいね。
かえる石
なるほど~ホント、カエルに似た形をしてるんですよね🐸 「自分のもとに返る・帰る(かえる)」という事から金運、勝負運、縁結び、家内安全などのご神徳があるそうです。
申年の梅のパワー!
昔から「申年にできる梅」にはものすごい力があって、食すれば薬に、所持すればこけない(転ばない)…すなわち「こけざるの梅」として重用されてきたんですって。 神社ではH16年(甲申)の梅を奉製、お守りにして授与されているそうです。
茶臼山稲荷神社
ここのお稲荷さんが、夏の陣の際に、家康公の命を救ったとの言伝えがあるんです。昔は、茶臼山の頂に鎮座していたとか…家康公の本陣だったところですよね。家康さんの一生に一度のお願いとなったのかもしれませんねぇ…。
聖徳太子建立の七大寺のひとつで日本仏法最初の和宗総本山のお寺。仏教伝来の頃、反対派の物部氏と、賛成派の蘇我氏が対立、武力抗争に発展していきました。蘇我氏についた太子は戦勝祈願のため自ら四天王像を彫り、勝利できたあかつきにはこの像を安置する寺院を建立すると誓願したそうです。 広さは甲子園の約3倍!見どころもた~くさんありますよ。 夏の陣、最後の戦いとなった「天王寺・岡山の戦い」の舞台になった場所でもあります。南門に、豊臣方の毛利勝永ら主力部隊が布陣したそうです。
日本三鳥居のひとつ「石鳥居」
金峯山寺、宮島の鳥居と並んで日本の三鳥居に数えられています。 お寺なのに鳥居?西門の外にあるこの鳥居前は、夏の陣の決戦地となりました。 扁額には「釈迦如来が説法する場所。極楽の東門である」と書かれています。
極楽浄土に思いを馳せて「日想観」
創建当時、この辺りは大阪湾に沈む夕日を眺める絶好の場だったと言います。西方の浄土に思いを馳せ日没を見る修行を「日想観」と呼ぶのだそうです。四天王寺はこの日想観修行の中心地、春と秋のお彼岸の中日に浄土の東門にあたる石鳥居から読経の中、夕日を眺める催しが行われます。
回してみよう「転法輪」
西門(極楽門)の入り口にあった「転法輪」。「お釈迦様の教えが他に転じて伝わるのを輪に例えたもの」と説明されていました。勢いよく回すと手を挟みます(注)(-_-;)
中門(仁王門)
この中門を含む回廊が、一直線に並ぶ五重塔、金堂、講堂など中心伽藍を囲んでいます。これを「四天王寺式伽藍配置」と言い、大陸の洋式で造られた貴重な建造物なのだそうです。 ここからは入れません。
中心伽藍にある五重塔と金堂
有料エリアです。 五重塔は中に入れてイチバン上まで登ることができます!らせん状の階段をひたすらあがるんです💦4階にはめったにみられない「仏舎利」が。また、金堂には、ご本尊の救世観音菩薩さまが安置され、四方に四天王像。そして、周囲の壁に描かれたお釈迦さまの誕生から入滅までの壁画。コレ、必見です!
亀井堂
お彼岸だったので先祖供養の方がたくさん見えてました。亀井堂は、経木流しを行う神聖な場。地下にある亀の口から流れ出る「白石玉手の水」に戒名が書かれた経木を浸して供養すると極楽往生が叶うのだとか。長い柄杓で経木を集める光景がすごいんです。
亀井不動尊
亀井堂の隣にはお不動さまが。水かけ不動さまですが、見事に苔むしています。昔、亀井堂の水に不動明王の姿が映っていたとされ聖徳太子が祀ったのが始まりだそうです。 境内には合計6体のお不動さまがいらっしゃるのだとか。探してみてはいかがでしょう?
太鼓楼
かつては時を告げる太鼓がありました。再建されてからは、鐘が据えられているそうです。 除夜の鐘はここで撞かれます。
真田十勇士ゆかりの~四天王寺庚申堂
天王寺駅近くにある庚申堂は真田十勇士伝説が残ります。 夏の陣の際に信繁は、十勇士の一人「穴山小助」を自らの影武者として出陣させたと言うのです。
四天王寺のお土産と言えばコレですね。参道通り沿いにあるのですが近くに行くととってもいい香りがします。
四天王寺のお土産と言えばコレ!
釣鐘まんじゅう、1個130円!! ぎっしりはいったこしあんは甘すぎず上品で、外側のかわもほんのり甘くておいしいんです~。
広大な天王寺公園の中にある標高26mの茶臼山。(全国に「茶臼山」という地名がありますよね、武士が好んでつけた名なのだそうです)実は古墳なのだそう。 ここは、大坂の陣において重要な舞台となった場所なのです。冬の陣では徳川勢の本陣、夏の陣では信繁勢の本陣として「茶臼山の戦い」が繰り広げられました。 通天閣を望む河底池に架かる和気橋(わけばし)を渡るとたどり着くことができます。
和気橋
和気清麻呂が、大和川の流れを変えるためにこの辺りを開削した際に、古墳の濠を利用した名残が河底池なのだとか。 橋は工事中でしたが通行はOK。先に見えるこんもりした森が茶臼山です。
「大坂夏の陣」看板
橋を渡って石段を登った先に歩きやすい遊歩道が整備されています。と、こんな案内看板が。図式でわかりやすく解説されています。赤地に黄色の六文銭が描かれた旗印もたくさんありました。
「史跡 茶臼山」の碑
山頂に続く石段の横に碑がたっています。かつてここで激しい戦いが行われたなんて考えられないほど静かです。
山頂
遊歩道が敷かれぐるりと一周できるようになっているようです。 戦国時代ここには、1546年に築城された大塚城という砦があったそうで、1615年の夏の陣で信繁公が陣城として使用されたのを最後に廃城しました。 展望台などもありますが、木々が生い茂り眺望はイマイチかも…。
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トコトコ歩いているうちに近鉄・上本町駅にやってきました。初めて来た駅です。立派な大きい駅でした。 構内に入ると…スゴイ!真田丸一色になっているではありませんか!!
ファンにはたまらないです
真田カラーの赤を基調とした装飾で出迎えてくれます。 これは嬉しい~(^^♪
近鉄沿線には大坂の陣のゆかりの地が多い
ここ、「大阪上本町駅」と、伊達政宗公との激戦地となった「道明寺駅」にも装飾が施されているそうですよ。
どの信繁さまがお好みですか?
ゆかりの地巡りに必須のパンフレットやマップなども入手できます。 立ち寄ってみてくださいね。 *9月16日~12月まで<予定>
ゆきむらさまカプチーノ
構内にあるカフェ「カフェ・チャオプレッソ」では、こんなかわいいメニューが!!ちょっとうれしくないですか?!(^^)! <ゆきむらさま>は、和歌山県九度山町が推進するゆるキャラなんですよ~。 *7:00~21:30open
創建年は不明。比賣許曽神社(ひめこそじんじゃ)の末社として宇賀魂命(うがのみたまのみこと)らをお祀りしています。 境内にある「産湯玉之井」は江戸期には名水と言われたそうですが、ここが真田の抜け穴ではないか?との説もあるとか…。
社殿
宇賀魂命、下照比賣命(したてるひめのみこと)、大小橋命(おほおばせのみこと)が祀られています。
産湯玉之井
この土地の開拓神、大小橋命(おほおばせのみこと)が誕生した際にこの清水を産湯に使ったと伝わります。現在は水質が悪くなり飲料には適さないんだとか。 中は、人が十分に通れる坑道があるそうで、真田の抜け穴ではないかと言われている由縁だそうです。抜け穴ってそんなにたくさんいるんでしょうか…。
たまたま見つけたかわいいコーヒー豆屋さん。すっきりとしたスタイリッシュな外観に惹かれて入店してみると、いい香り~♫ 店主さんがハンドピックで生豆を選定されていました。 北欧の雑貨なども置かれていてとってもステキなお店です。
壁に置かれたコーヒー豆のびんがおしゃれ❤
コーヒー豆と真摯に向き合い、愛情をもって焙煎されている…そんな感じが伝わってくるお店です。 イートインスペースはないのですが、テイスティングはできるみたいですよ。
北欧の雑貨&ヴィンテージカップも
通路奥の棚には、さりげなく雑貨が。北欧のものみたいです。ヴィンテージのコーヒーカップや、コーヒーの器具など。どれもかわいくてほしくなる食器たちです!
お好みの豆がきっとある!
「深煎りのおいしいコーヒーが飲みたいデス」と伝えると選んでくださった<カフェフレンチ>。しっかり苦みがあり、クセになる味でした。また、絶対買いに行きます。
信繁が築いた「真田丸」の東曲輪に位置する宰相山に佇む古社。ご祭神は、天照大神・月読尊・素戔嗚尊。 大坂七福神のひとつでもあり、かつては姫山神社と呼ばれていたそうですが 明治41年、境内の三光宮を合祀して以来「三光神社」と呼ばれるようになったそうです。 慶長、元和の大坂の陣の際、信繁がここに「偃月城」と名付けられた塁を築きました。そして城まで続く道を造ったと言い伝えられています。これが、真田の抜け穴として今も残っています。
静かな参道
両サイドを「眞田丸」(宮司さんの意向で「真」ではなく「眞」の字を使っているそうな)の真っ赤な幟に彩られた参道。ワクワクが止まりません!
拝殿
第二次世界大戦の際、大阪大空襲で焼失したそうですが戦後、再建されました。「三光」の由来は、天照大神➡【太陽】、月読尊➡【月】、素戔嗚尊➡【星】とし3つの光るものから名づけられたそうです。 日本で唯一の「中風除けの神」としても知られています。
信繁公の勇ましい姿が
逢えた!采配をふるい、陣中指揮姿の勇ましい信繁公です。「さあ!これから敵に向かうゾ!」と言うりりしい表情です。台座の石は「真田石」と言い、真田家の菩提寺・信州長野の長谷寺から運ばれてきたのだとか。 後ろには、真田丸を再現した要塞が。大筒が盾の隙間からこちらをうかがっていますよ。
出た!「真田の抜け穴」
信繁が大坂冬の陣の時に掘った大坂城へとつながる穴と言われる岩窟。入り口の鉄の門には六文銭があしらわれていました。最新の調査では、徳川方が掘ったものだと言う説も浮上しているのだとか。 映画「プリンセス・トヨトミ」に登場する抜け穴のモデルになったのもここなんですって。
真田丸があったとされるここ、真田山に文禄年間に創建された浄土宗の念仏道場。冬の陣の後に取り壊されています。しかし、元和8年(1622年)、海野氏の助力により信繁と、実子・大助(幸昌)の冥福を祈るために再建されました。 入り口には、「真田幸村出丸城跡」の碑がありました。 境内には、「幸村鎧かけの松の木」があったそうですが、戦火で焼失したそうです。
ここにも「六文銭」が
重厚な門扉には旗印である真田の「六文銭」。全面「黒」もなかなかいいもんです。
信繁の墓碑
戦後まもなくは、幕府の直轄地だったため信繁父子のお墓を建てることができなかったようで、400回忌にあたる2014年に墓碑が建立されたという事です。 「真田左衛門佐 豊臣信繁之墓」と明記されています。
まんなおし地蔵さん
戦いのさ中、信繁公がまん悪しきときに開運の祈願をしたところ、願いが叶ったという事から、庶民にも広く信仰されるようになったお地蔵さんなんですって。 「まん」とは、「間」と言う意味で「間が悪い」ときに運やめぐりあわせを良い方向に導いて下さるありがた~いお地蔵さんなのだそうですよ。
心眼寺坂
お寺の前には明星学園があり、寺町の風情ある坂の通りになっています。ここは、いつしか「心眼寺坂」と呼ばれるようになり、当時はこの坂を下ったところに稲荷門があり、真田丸はこの坂で大坂城と結ばれていたようです。
真田丸顕彰碑
心眼寺の坂をはさんだ真前には、真新しい碑が。今年2月に建立されたばかりだとか。大阪城の石垣にも使用された岡山県犬島の花崗石が使われているそうです。中央の陶板には、ここが「真田丸」の跡地とされる由縁が書かれていました。
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「三韓坂」と呼ばれたこの古道の辺りには、一本の榎の霊木があり人々の信仰を集めていたと言います。 大坂冬の陣の際、信繁は戦勝祈願としてここのご神木に鎌を打ち込み、「鎌八幡大菩薩」と称して祈念したところ、真田丸で大勝利を収めることができ必勝祈願の神木として評判になったと言われています。 塀の外から見えるのですが、榎の霊木に鎌が打ち込められていました。なんとも言えない風景です。(鎌を打ち込むには住職さんに祈祷してもらう必要があります) *内部の撮影は厳禁になっています。お気を付けくださいね。
「悪縁を断つ寺」
…なんだかこわい感じもしますが、実は、このお寺…頭痛・喘息・高血圧 または痔に至るまで病いとの縁を断ち切ってくださる他、因縁絶・悪運絶まで幅広い縁切りの面倒も見て下さると言うありがたいお寺なのだそうです。
JR玉造駅から、三光神社へと続く商店街は幸村ロードと言い、お土産にもってこいのグッズや、幸村関連のグルメなどが味わえるお店がズラリ!これはワクワクします!! 11月下旬ごろまで「真田丸なりきり撮影会」なる企画も開催!本格的な甲冑姿で記念撮影できますよ~~(^-^)
真田十勇士のパネル!おもしろい( *´艸`)
写真撮影に最適!ドラマでは大きく取り上げられないかもしれない真田十勇士がここにはいました! 独特なキャラクターに仕上げられていて探すのも楽しいですよ(^^)v
大枡の「真田御膳」
創業35年以上の老舗料理店。島根県の新鮮なお魚がいただけるお店なんです。ランチ限定の「真田御膳」は、六文銭にちなみ刺身や天ぷら、煮物など6種の日替わりおかずをセット(850円)。墨絵師が描いた信繁公の襖絵もぜひ見ていただきたい!
雑穀屋 やま元の「真田幸村かりんとう」
国産の雑穀の量り売りをしてくれます。十勇士にちなんだ10種の雑穀が入ったかりんとう(308円)をはじめ、六文銭をかたどった焼き菓子や小物入れなどファンなら絶対ほしい商品がいっぱい!
大豆パン専門店 ダイズインターナショナルの「六文銭」フィナンシェ」
大豆を主原料にして作られるカラダに優しいパンを提供しています。見た目もたのしい大豆の六文銭フィナンシェは1つ280円です。おいしく、ヘルシーなパンをお買い求めください。
この辺りはかつて、玉作の丘と呼ばれる「勾玉発祥の地」なのだそうです。勾玉職人さんがたくさん住んでいたところなんですね。ナント!1500年以上も昔のお話しです。 大坂城の三の丸に位置しているらしく、近くに屋敷を構えていた武将も多かったようです。細川家、前田家や千利休らも邸宅もあったとか。 紀元前12年創建とされ、主祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)。衣食住を司る神様で、一般的には稲荷大神と呼ばれています。城の鎮守として厚く庇護された、いわば豊臣家ゆかりの神社として知られています。
秀頼公奉納の石鳥居
慶長8年(1603年)の社殿再建時に秀頼公から奉納された石の鳥居ですが、1995年の阪神淡路大震災で基礎部分が損傷し、今は上の部分と脚部に分けられていかれていました。
豊臣秀頼公がいらっしゃいました
身長が190cmもあったそうですよ。当時としては、びっくりするような長身ですよね~。
胞衣塚大明神(よなづかだいみょうじん)
ここには、秀頼公の「胎盤」が納められているのだそう!スゴイ!!「胞衣(よな)」とは胎盤を表すんですって。子供の夜泣きに霊験あらたかなのだとか。 前にある「縁のひも掛け」な真田紐で作られた縁のひもをかけると、大切にしたいご縁が結ばれるよか…。
大阪城からほど近いNHK大阪放送局の隣にある「大坂歴史博物館」。ここは古代の首都だった「難波宮(なにわのみや)」の北西端にあたるそうで、史跡公園もありました。 古代から中世、近世~現代の大阪の歴史が学べる博物館です。 現在、特別展として大河ドラマ「真田丸展」が開催されています。歴史ファン必見のレアな史料や展示物は今しか見られませんよ!
様々な時代の大阪を知ろう
常設展は、発掘調査で出てきたものや、建物、当時の生活の様子などがうかがえる展示になっています。 また、眺望もいいんです!大坂城に難波の宮が一望。10階の展望スペースから眺める大阪城の夜景は必見!
特別展は「真田丸」
6階の特別展示室にて11月6日まで開催されています。ドラマと連動し、国宝や重要文化財が多数展示されている他、信繁ゆかりの品々もラインナップ!写真は「大坂夏の陣図屛風」です。 急いで見に行かなきゃ~~。
ご存じ!大阪市民、憩いの場。秀吉が天下統一の拠点として、石山本願寺跡に権力と権威を象徴する難攻不落の巨城を築きました、これが大阪城です。豪壮で華麗なその姿は「三国無双」と称されたと言います。 しかし、慶長19~20年(1614~1615年)の大坂の陣で惜しくも落城。現在は昭和6年(1931年)、大阪市民の熱意によって鉄筋鉄骨コンクリート造り、地上55mの3代目天守閣が竣工しました。
空堀?
桜門手前のお堀ですが水はなく、空堀になっています。
桜門から入るとドーン!
本丸への正門「桜門」から入りました。瀬戸内の島々から切り出されたという花崗石の巨石が目の前に! こちらの巨石は「蛸石」と呼ばれていて城内1位の大きさだとか。重さはナント108トン!どないして運んだんや!すごい技術ですよね。
鉄砲狭間
門の内側、城壁…至る所にこのような鉄砲狭間が。戦をうかがい知れるものですね。
彼岸花が咲き競っていました
珍しい白いのも。そびえるお城とのコラボがいい感じです💛 明治期になってから「大阪城」と表記されるようになったそうです。それまではずっと、築城当時の「大坂城」だったわけですね。
蓮如上人袈裟懸の松
枯れた松の根?でしょうか…今はこんな姿になってしまっていますが、これは、浄土真宗・石山本願寺をこの地に建立した蓮如が袈裟をかけたとされる松があった場所なんだそうです。
天守閣
こうして見上げると本当に勇壮でかっこいいです。金箔で覆われた虎の飾りが輝き、秀吉時代の栄華が随所にうかがえますよ。 中は博物館になっていて大阪城や豊臣家に関する歴史資料や、ミニチュアの大坂城などが展示されています。8階展望台からの眺めを秀吉も見ていたのでしょうね。
残念石
石垣用の石は運搬途中で落ちてしまうと使用されなかったとか…。落城につながるという事であちこちに転がされている?かのように置いてあります。「残念石」って言うんですって。このように腰かけになったりなんかして…。
かっこいいポスター発見!
天守閣入り口に貼られていた信繁公のポスター。焔が立つ中 采配をふるう信繁の甲冑姿が凛々しいです! 兄・信之を藩祖とする、信州松代藩の正史「先公実録(せんこうじつろく)」から引用された一編が記されています。
南外濠から六番櫓を望む
犬のお散歩をする人、ジョギングをする人、外国からの観光客…今はただただ穏やかに大坂城を愛で、その雄姿に親しんでいるにすぎません。かの昔、激戦地になった場とは思えないたおたかな大阪城でした。
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大坂城公園内にある神社。地元では「ほうこくさん」と呼ばれ親しまれているんです。京都にも同じく豊国神社があるのですが、こちらは「とよくにじんじゃ」と読みます。京都は秀吉公のみをお祀りしているのに対して、こちらは秀長卿、秀頼公も祀られているそうです。 秀吉公にちなみ、やはりご神徳は立身出世!そして商売繁盛です。
拝殿
明治12年に京都の豊国神社大阪別社として当初は中之島に創建されましたが、のちに独立し府社となりました。そこら中に豊臣の紋、「五七の桐」があしらわれています。
豊臣秀吉の銅像
陣羽織を羽織り凛々しい顔つきの秀吉さんです。その姿はまさに「太閤殿下」そのもの! 以前から建っていた銅像は、戦時中に供出されたようで2007年に新たに再建されました。高さ5.2m!
幸村桜
実は 大阪城は平成18年に真田氏の居城があった信州上田城と友好城郭提携を締結しています。その際に、上田市の有志からオオヤマザクラが奉納され、以後「幸村桜」と呼ばれるようになったそうです。いいお話しですよね。
秀石庭(しゅうせきてい)
昭和47年に奉納。大坂の発展の要となる「海」と、大阪城の地の元の呼び名である「石山」をテーマにして造られているお庭です。巨石信仰を元とする神社という事で、秀吉の「千成瓢箪」の形と巨石を組み合わせて表現されているそうです。
ご朱印帳が素敵!
黒地に鮮やかな金と優し気なピンクが映えたご朱印帳。 ドラマにも出てくるこの「馬藺後立兜(ばりんうしろだてかぶと)」!印象的ですよねぇ。