余呉湖を一望できるオーベルジュ「徳山鮓」で旬の料理を楽しむ!
滋賀余呉湖を一望できるオーベルジュ「徳山鮓」で旬の料理を楽しむ!
賤ヶ岳を隔てた琵琶湖の北に位置する「余呉湖(よごこ)」のほとりにある「徳山鮓(とくやまずし)」 滋賀の名物「ふなずし」など発酵料理を軸に、余呉湖や琵琶湖の魚や、山の幸、シビエ料理が楽しめることで有名。 余呉湖を眺めながらの食事の他、展望露天風呂も備えるオーベルジュ(宿泊設備を備えたレストラン)。 土日だと数か月先まで予約でいっぱいのようですが、どんなに待っても一度は行きたい名店です!
JR余呉駅より徒歩25分。車であれば10分程度で着くが、湖のほとりを歩きながら、余呉湖の自然を楽しみたい。
徳山鮓・外観
外観は、民家のように周囲の家並みと調和しています。 駅から徒歩をお勧めしましたが、分からないかも。
徳山鮓・食事席
余呉湖や山々を一望できるウッドデッキにも自由に出入りできるテーブル席。
冨田酒造「七本槍」
お酒は、やはり滋賀酒で。 「賤ヶ岳」にちなんだ「七本槍」が、徳山鮓の料理に似合う。
ふなずし
滋賀の名物「ふなずし」 発酵食品が苦手な人も、これを食べなければ徳山鮓に行ったことにはならないので、頑張りましょう。
鯖のなれ鮓
鯖のなれ鮓。チーズとトマトピューレで。
猪!
猪! もはや創作イタリアンの域。
熊!!
本日のメイン、月の輪熊!
熊!熊!
月の輪熊の鍋は、天然なめたけ&ねぎでシンプルに! 最後は当然、雑炊にして平らげます。 その他にも料理多数。
うなぎ茶漬け
おみやげは、余呉湖の天然うなぎの茶漬け!
琵琶湖の北端に位置する。 南方にそびえる賤ヶ岳により、琵琶湖とは隔てられている。 東西1.2㎞、南北2.3㎞、周囲約6.4㎞、面積1.97km2。 平均水深7.4m。海抜132.8mで、琵琶湖より約50m高い。 東、南、西の三方を山が囲み、 湖面が穏やかで鏡のようであり「鏡湖」とも呼ばれている。羽衣伝説や菊石姫伝説を生んだ、まさに「神秘の湖」 余呉湖のわかさぎ釣りは、冬の風物詩。
JR余呉駅前の案内板
「余呉湖」って何があるの? と分からない方は、とりあえずJR余呉駅に行って、駅前にある案内板をじっくり眺めましょう。
湖北の曹洞宗を代表する寺。 室町時代前期、如仲(にょちゅう)禅師の開山で、修行の道場として大勢の禅僧を養育し、宗派を広げた。 安土桃山年代には朱印寺となり、格式の高さを誇る。 鎌倉時代前期の観音菩薩立像(重文)など寺宝が多数。 (以上、滋賀県観光情報サイト> 洞寿院(余呉三山)を要約)
文明元年(1469)僧全長、池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一宇を開き全長坊(ぜんちょうぼう)と称す。慶長2年(1597)頤正禅師、全長の意を受け全長坊を曹洞宗に転じ、寺名を久沢山全長寺と改め、当寺の開山となる。 この附近は賤ヶ岳合戦の古戦場で寺をとりまく四囲の山々には今も陣地跡が残る。 中でも北方林谷の砦跡は柴田勝家の身代わりとなった毛受勝助兄弟が、数千に及ぶ秀吉軍と壮烈な戦いを繰り返し全員討死した場所。 全長寺は古くより毛受兄弟の菩提寺として、また賤ヶ岳合戦の多くの無名戦士達の霊の供養を続ける。 (以上、滋賀県観光情報サイト> 全長寺(余呉三山)を要約)
賤ケ岳の合戦は天正11年(1583)4月20日に始まる。 柴田勝家側の武将左久間盛政の奇襲を受けた中川清秀は、奮闘し、一時は敵を余呉湖岸まで退けが、最後は力尽き、配下の兵数百名とともに討ち死した。 清秀の訃報を聞いた秀吉は、涙をこらえ切れずに嗚咽したとのこと。 (以上、滋賀県観光情報サイト>中川清秀の墓を要約)
コテージ、レストラン、スキー場、キャンプ場、アスレチック、テニスコート、パターゴルフ、グランドゴルフなどが揃い、バーベキューなどなど、年間を通じてアウトドアライフが楽しめるスポット。
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