長崎・母娘さるく旅
長崎長崎・母娘さるく旅
この夏、「ふっこう割」キャンペーンを利用して母と憧れの長崎を旅してきました。子供たちがまだ小さかった10年ほど前に行ったきり…母と訪れるのは初めてです。 車で足早に回るのではなく、今回は古き良き長崎の街をゆっくり歩いて巡ってみることに。長崎ではぶらぶら歩くことを「さるく」と言うそうです。 和・華・蘭文化(わからんぶんか)の数々を見つけたり、長崎ならではのおいしいものを味わったり…何よりも、母との思い出を作りにてくてくさるいてまいりました!!
海を見下ろす大浦天主堂は、長崎のシンボル的な存在として凛と佇んでいました。現存する日本最古のゴシック建築様式の教会で、国宝指定を受けています。 250年以上潜伏していた「かくれキリシタン」が脈々と受け継いで来た信仰を告白した《信徒発見》の舞台でもある教会です。 正面におられるマリア像の美しい佇まいに涙が出そうになりながら内部も拝観させていただきました。
母娘旅…京都から長崎へ出発です!
久しぶりの列車の旅。京都駅から在来線で新大阪へ~新幹線に乗り換え博多入り。 ワクワクを抑えて車内で「柿の葉寿司」、いただきました♡
博多➡長崎は「特急かもめ」
お初にお目にかかります。「特急かもめ」!一路長崎へ! レザーのシートに仰天する関西人親子。約2時間で長崎に着いちゃうんですね~。早い。
国宝の荘厳な佇まい
正式には「日本二十六聖殉教者天主堂」と言い、1597年に殉教した二十六聖人に捧げられた教会なのだそうです。 殉教地となった、西坂の丘を向いて建っています。白亜の壁が青空に映えて一層美しさが増しているかのようでした。
世界宗教史上の奇跡「信徒発見!」
聖堂の手前のお庭にあった「信徒発見記念碑」。キリスト教禁止令から250年経った1865年、浦上に潜伏していたキリシタンが天主堂にやってきて、時の神父、プチ・ジャン氏に信仰を告白したその瞬間のレリーフ。その際に信徒が目にした「サンタ・マリアの像」が祭壇脇にあります。
庭園には
レリーフに描かれているプチ・ジャン神父さま(右)。天主堂を完成させた方だそうです。1981年に来日したヨハネ・パウロ二世の像もありました(左)。
日本之聖母像
フランス製のマリア像は、信徒発見の記念に取り寄せられました。 幼さと、清楚な雰囲気をあわせ持つ美しい「日本之聖母像」…必見です!
美しいのひと言…
後ろから撮ってみました。 足元の細い三日月と、星が印象的。ただただ、美しいです。
グラバー通り
海から「グラバー通り」と言う石畳の坂を上ると天主堂に着きます。 両脇にはお土産物店などが並びます。
長崎を代表する観光スポット!緑豊かな幕末、明治期の洋館、全9棟が建ち並ぶグラバー園は、オペラ「蝶々夫人」ゆかりの地でもあります。また、ここから眺められる港町・長崎の景観もぜひご覧ください。母も修学旅行で訪れたと懐かしんでいました。
洋館の向こうに広がる海
よく写真で見られる風景がありました。修学旅行生の制服と海の青がマッチしていてきれいです。 対岸には、世界遺産・三菱重工長崎造船所も見えますよ。
旧グラバー住宅
1863年の幕末期に建てられた、スコットランドの貿易商人、トーマス・グラバーの活動拠点で、日本最古の木造洋風建築物なのだそう。2015年に「明治日本の産業革命遺産」の1つとして登録されましたね。
あの有名なビールキャラのモデル?
グラバーさんちの温室にあった狛犬?グラバーさんが立ち上げたビ-ル会社の商品ラベルに使われた麒麟のモデルなんですって!口ひげは彼のヒゲを元にしたそうですよ。ユーモアありますよね。
見つけた!ハートストーン💗
グラバー住宅の前で見つけたハートストーン!園内にある2つのこのハート型の敷石に触れると良い事があるらしいです。みなさん下を向いて探していました。あきらかに他のとは違うのですぐ見つけられます(^-^)方位盤の近辺…。
旧オルト住宅
国の重要文化財に指定されているオルト住宅。内部の各部屋を見て回ることができます。製茶輸入業で日本中に日本茶を広めたイギリス人のオルト氏のクラシカルでセンスのよい家具類がステキでした。
旧三菱第二ドックハウス
船の乗組員さんが宿泊した施設。イチバン高い位置にあり景色が良かったです。明治29年に建てられた西洋風建築です。
旧スチイル記念学校
元々は、明治期に東山手に建てられたミッション系の学校でした。3階建てでグラバー園の中ではイチバンののっぽさんです。
グラバー図譜
旧スチイル記念学校の中の展示室にたくさんあったお魚の絵…これは、グラバーさんの息子、倉場富三郎氏が長崎在住の画家に書かせた精密な魚類の絵だそうです。総数801枚にも及ぶ絵は「グラバー図譜」と呼ばれ博物学などで活用されています。
フリーメイソン・ロッジの門
イギリス発祥の石工(フリーメイソン)の組織のマークが刻まれた石柱。長崎に住んでいた英国人のお宅にあったものだそうです。
元祖「蝶々夫人」・三浦環像
世界三大オペラの「蝶々夫人(マダムバタフライ」)の舞台は長崎。このオペラを世界中に広めた初代の演者 三浦環さんと、原作者のプッチーニさんの像が建っていました。
「グラバースカイロード」で楽チンする
第2ゲートを出ると高台から一気に下の通りまで下ることができる斜行エレベーター。地元の方も利用されていましたよ。景色も楽しみつつ楽々下りることができます。これはありがた~い!
対岸に長崎港を望む地に建つ中国宮殿風の建物、一見 なんの建物かわからなかったのですが、ここがちゃんぽん発祥のお店「四海楼(しかいろう)」、明治32年創業の老舗なんです。 ちゃんぽんなら、まずは四海楼とまで言われる王道の味なのだとか。
彩りゆたかなちゃんぽん
トンコツと鶏ガラをブレンドしたスープと太麺に、野菜や魚介から出る旨味がからみとってもおいしい! 野菜がホント、たっぷりでヘルシーですよ。
眺めが最高~♪
昼も夜もナイスビュー! 時折、豪華客船が寄港するそうなので運が良ければ出会えるかも!
「ボウリング発祥の地」碑
四海楼のお店の前に建つこの記念碑…「わが国ボウリング発祥の地」と記してあります。ピンと長崎らしいステンドグラスの模様がかわいいですね。長崎が発祥になっているものってホント、多いようです。街の中にもこのような碑がいっぱい見られました。探して歩くのも楽しいかも(^^)/
開国間もない頃、行き交うオランダ人の影響もあってか、東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼ぶようになったそうで、そのオランダさんたちが住む居留地がある坂道はいつしか「オランダ坂」になったとか。 主に、東山手の洋風住宅群辺りから、活水学院へと続く切通しのことをこう呼ぶみたいです。おなじみの風景ですが、思いの外、坂が急でヒーヒーいいながら登りました。「地元の方はさぞ、足腰が丈夫なんやろうねぇ…。」と何度つぶやいたことか(-_-;)
東山手洋風住宅群
比較的狭い宅地に全部で7棟の洋風住宅が集まっています。現存しているのは復元されたものだそうですが、いずれも社宅や賃貸住宅として使われていたようです。洋風だけでなく、和中の要素も取り入れた建築様式なのが面白い!
坂の街~長崎の象徴のようなエリア
急に脇にこんな階段が出現! 毎日これらの坂や、階段を登ったり下ったりするなんて…考えられません。スゴイな…。
この上は活水女子大学
女子大生さんに写真を撮ってもらいました。この景観にマッチしたステキな学生さんでした。
今もなお華僑の方がたくさん住んでおられる長崎。ここ、孔子廟は1893年(明治26年)に清朝の政府と、在日華僑が協力してできました。まるで中国にいるかのような本格的な中国様式のお寺で、歴史や文化、伝統芸術をたっぷり味わえるエリアです。
前庭から見どころ満載
手前の馬車を象った柵がステキ💗 碧水橋(へきすいきょう)を渡った先にある石の鳥居は欞星門(れいせいもん)と言って、孔子廟の正門で日本の鳥居の原型なのだそうです。
儀門
儀門(ぎもん)は本廟の正式な内正門(二の門)にあたります。中央は神さまと皇帝だけしか通れないため常時閉じられています。絢爛豪華な色彩です。
大成殿と72賢人像
孔子廟の正殿、大成殿(たいせいでん)。原爆の衝撃にも耐え、威風堂々と建っていました。幕に書かれている「有数無類」とは、孔子の言葉で「身分問わず学ぼうとするものは、誰でも入門できる」と言う意味。
身内に似ている賢人はいるかな?
孔子の高弟72人が等身大の石像になってズラリ!「六芸(徳・知・体・楽・数・御)」に通じた賢者たちだそうです。 本当に一体ずつ表情も服装も違います。台座にお名前も書かれていますよ。
内部には孔子さんが祀られています
釈迦、ソクラテス、キリストと並んで「世界四大聖人」と呼ばれる孔子。春秋時代の思想家で、没後 弟子たちによりその教えが「論語」としてまとめられ儒学の基礎となりました。ここでは学問の神さまとして祀られています。
大理石に刻んだ「論語」
賢人の後ろ、東西の廡(廊下)には孔子の言葉や弟子たちとの問答を編集したと言う「論語」が大理石に彫られ掲示されています。総文字数はナント、16018文字!圧巻です。 論語を書写できるコーナーもありますよ。
屋根にも…
東西両廡の屋根にはこんな飾り瓦が。 吉祥を表す架空の動物たちなのだそう…。建物を火災などの災いから守っているんですって。
100年以上前からある銭湯
孔子廟のレンガ塀のすぐ横にある老舗とも言えるお風呂屋さん。 ナント、大正時代から続いているのだとか。観光地に位置することもあり、旅行者の利用も多いそうです。
中島川に架かる長崎のランドマーク眼鏡橋は、日本三大名橋の一つ。橋と川面に映る姿を合わせるとめがねに見えるという事でこう呼ばれるようになったのだとか。 石の階段を下りると眼鏡橋を下から眺められますよ。 右側を上流へ歩いて行ったところに「ハートストーン」が。触ると恋が叶うらしいんですっ。探してみてね💗
日本最古の石橋
幾度の水害、また 原爆を乗り越えて静かにその雄姿を見せてくれています。(国の重要文化財に指定) 他にも石橋がたくさん架かっていてそれぞれに名前がついているそうです。
ちりんちりんアイス
橋の界隈で昭和35年から変わらぬ味のアイスを提供している前田冷菓さんの「ちりんちりんあいす」。私は出会えなかったのですが…ザンネン。
あっという間に!
プレーンの他にカステラ味もあるそうです。アイスをささっとバラの形にしてくださるそうです!
長崎茶寮 匠寛堂(しょうかんどう)
眼鏡橋の真ん前にある 長崎に2店舗しかないカステラ屋さん。 皇室や宮家へ献上するカステラが購入できます!
佳好帝良(かすていら)
こちらのカステラは「五三焼き」と呼ばれる上質な品。通常のカステラより黄身をたっぷり使って(黄身5・白身3)作り上げている為しっとりした食感がたまらなくおいしいです。オススメ! お店に入るとお茶付きで試食させていただけます。
ニューヨーク堂
斬新!カットしたカステラにアイスをはさんだ「カステラアイス」!バニラ、イチゴ、抹茶、チョコ、びわの5つの味が楽しめます。大正時代にニューヨークで修行された創業者のレシピをずっと守り続けているそうです。すべて自家製! 眼鏡橋から徒歩3分。
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電停「新大工町」から上野彦馬撮影局跡に建つモニュメントを経て、お墓の中の急な階段をひたすら登ると見えてきました!「龍馬のぶーつ像」~。「ブーツ」ではなく、「ぶーつ」なんですねぇ。
龍馬になり切って「ハイ、チーズ!」
龍馬の肖像写真を撮影した上野彦馬の撮影局がこの辺りにあったそうです。川沿いに、撮影用の台座と、旧式のカメラがモニュメントとして設置されてます。龍馬になって記念撮影できますよ。
若宮稲荷神社
ヒーヒー言いながら階段を登っていると、突如現る鳥居!映画「解夏」の撮影も行われたと言う若宮稲荷さんの鳥居でした。社殿付近には、龍馬像の原型があるとか。余裕なくパスしました。
龍馬の道沿いには手作りの案内板がいっぱい!
地元の方々が作られたのかな、愛嬌のある案内板があちこちで見られます。 「もうちょっと!頑張るぞ~!(^^)!」と言うチカラが湧きますよ。
クスッとなるようなほほえましさが
長崎弁での励まし…しみるわあぁ~。
思いの外デカかった(-_-;)
到着!! 息を飲む光景がそこに広がっていました。山の斜面にびっしり建つ建物が圧巻!そして、龍馬さんのぶーつがデカい!靴ごと入っちゃいます。 舵輪を手に長崎を出航した海援隊士にしばし思いを馳せます。
母も履いてみた(笑)
嫌がる母に無茶ぶりしてぶーつを履いてもらいました。大人が履いてもこの通り。イヤイヤ、ここはステキな撮影スポットやわ~。
ぶーつ像から坂道を3、4分ほど上がったところにあります。亀山社中のハッピを羽織ったお兄さんがどうぞ~と案内してくださいました。 当時、龍馬たちが結成した亀山社中の建物を改修、復元。こじんまりとした感じでした。ガイドの方が言われるには、脱藩者らでもある龍馬たちの潜伏場所でもあったので、人目に付きにくい坂の上の小さな家に決めたのでは…と。 慶応元年(1865年)に結成された亀山社中、志士たちにより通商や海運業を行う傍ら、幕末・維新史において重要な役割を果たしたことは記憶に新しいですね。
等身大の龍馬さんと
長崎市長さんから送られたと言う龍馬さん等身大のポスター。上野彦馬さん撮影のアノ写真ですね。一緒に写真が撮れます。
レプリカですが
高杉晋作さんから送られた<ピストル>と、<愛刀・陸奥守吉行>が、また お龍さんが弾いていた月琴などが展示されていました。 暗殺された京都・近江屋の部屋にあったとされる屏風には、騒動の際についたであろう血痕が…生々しかったです。
絹仕立ての紋服
「郷氏(下級武士)」と言う身分だった龍馬ですが、実家の坂本家はけっこう裕福だったようで、よく目にするこの坂本家の家紋付きの着物は絹でできているんだとか。
長崎の街が見渡せます
ガラス戸越しに長崎の街が見下ろせます。隊士たちは志を胸にここで頑張っていたのでしょう。 「海援隊」➡「ウミヨリタスケ」と解釈されていました。ステキですね。
裏庭に井戸発見
当時のものなのかしら…。
ポスターにドキリ!
観光案内所でもらった亀山社中記念館のパンフ。雰囲気あるでしょ~?
亀山社中からさらに龍馬通りを15分ほど上って行くと標高151.9mの高台に公園があります。「坂本龍馬之像」が建つ展望台からの眺めは最高~!龍馬もこの景色を見ていたのでしょうか。 他にも、司馬遼太郎の碑や龍馬の有名な肖像写真を撮った上野彦馬のお墓などもあります。
龍馬通りをひたすら登る
母にはちょっとキツかったこの坂…。 登り切ると腕を組んだ小さな龍馬さんが出迎えてくれます。頑張った甲斐ありました。
海援隊の旗を背に
展望台に着きました。「二曳(にびき)」と呼ばれる海援隊旗がはためく元に龍馬像が!今にも動き出しそうな、話し出しそうなリアルな龍馬さんでした。これは一見の価値アリです。
司馬遼太郎 文学碑
その先には、司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」の一節が。 ~『「長崎はわしの希望じゃ」と陸奥陽之助に言った』云々…~
展望台からの眺め
龍馬の視線の先には長崎港と、市街地が…。船の汽笛も聞こえてきました。
上野家の墓
日本初の商業写真家として、幕末から明治の長崎を記録し続けたと言う上野彦馬ら、名家・上野家の墓所もここ風頭公園の一角にあります。 龍馬や、グラバーなどの肖像写真のほとんどは上野彦馬が撮影したのだそうです。
小川凧店(長崎凧資料館)
「ハタ」と呼ばれる長崎の伝統的な凧を作るお店。青、白、赤を基本とした色鮮やかで独特なデザインです。工房には資料館も併設されているので、ハタについていろいろ学べますよ。
「南京寺」とも呼ばれる黄檗禅宗寺院。元和6年(1620年)に明の僧・真円が開創しました。三代目の逸然に中国から招かれたのが、黄檗宗の開祖・隠元禅師です。(インゲン豆などを日本に伝えた方ですね★) 立派な山門や、大雄宝殿、移築された唐人屋敷門など貴重な文化財がてんこ盛りです! 写真が大雄宝殿、唐寺らしい反り屋根が印象的で屋根の上にはひょうたんが…火除けのまじないだとか。内部に下がっている日本最大の瑠璃燈も必見!
隠元禅師 直筆の扁額
山門に掲げられた扁額の文字は隠元禅師直筆だそうです! 禅師は 長崎滞留1年後に京都・宇治の「萬福寺」を開山し黄檗宗を開立しました。 興福寺は、崇福寺、福済寺と共に「長崎三福寺」と呼ばれています。
風格あるソテツの古木
樹齢400年、高さ4mのソテツが2本あります。昔から「自然に落ちた実を拾うと幸せになれる」と言う言伝えがあるんですって!
❤型のソテツの実?
実が根元にたくさん落ちていました。中の種がハート型だと言うので割ってみると…う~む…(-_-;) なんとかハートにみ、え、る、かな?
ご飯の時間を告げる「魚板(ぎょばん)」
庫裡の入り口に設置されているこのサカナの形の彫刻、これはお坊さんたちに飯時を知らせるために叩いた魚鼓(魚板)。日本一美しいと言われているそうです。ゴンゴン叩かれたのでおなかのところはへこんでいましたが…。 実は、興福寺の魚板は2つあって、玉をくわえてるこちらが「雄」で ⇓
こちらは「雌」
ふくよかです。 雌雄一体で掲げられるのはとても珍しいのだとか。 木魚の原型になっているそうですよ。
鐘鼓楼
2階建てになっていて、上階は梵鐘を吊って太鼓を置き、1階は禅堂として使用していたそうです。戦時中に梵鐘を供出したため今はありませんでした。
寺町通り
風頭山の麓には2社14ヶ寺が集まりその中を走る通りを「寺町通り」と呼んでいます。武家屋敷のような高い塀が連なり、料亭や石材店、中華菓子屋なども並ぶ石畳の趣のある道です。
萬順製菓(寺町通り店)
明治期創業の中国菓子の老舗。長崎銘菓「よりより(脆麻花)」や「金銭餅」、「月餅」などが人気です。よりよりのミニサイズ「ちより」はお土産にも喜ばれそう~。
えごばた
ししとき川と言う小さな川?溝?に出くわしました。看板には「えごばた」と記してあります。「えご」は、川より小さく溝より大きい流れの事で、水質を守るために川底と両脇に板石をはめこみ、流れが少ない時は水を真ん中に集める様に工夫されているんですって。 水を守る地域の方の優しさが垣間見られます。
寛永6年(11629年)、長崎に在留していた中国人が僧・超然を迎えて創建した黄檗宗寺院。どこもかしこもTHE★中国!と言った佇まいです。 山門にあたる赤が印象的な竜宮門も、中国人技師の指導を受けた日本人が作ったそうです。 九州にある6つの国宝のうちの2つはここ、崇福寺にあると言うのですから驚き!あまり時間がなかったのでゆっくりは見れなかったのですが、日本とはまったく異なる中国式の寺院の雰囲気に触れてきました。
「中国盆会」の準備中でした
竜宮門に掲げられた「盂蘭盆勝会」の幕。全国から華僑の方々が集まり、伝統的な中国式のお盆の供養が行われるそうです。翌日からがその本番との事で、忙しそうに飾りつけなどの準備をされていました。
吉祥の印
門扉の裏のあった青蝙蝠(あおこうもり)と牡丹の彫刻。精巧な造りになっています。コウモリがなんともかわいい(^^♪ 中国では吉祥を表すものなんですって。
国宝その1「第一峰門」
唐門、赤門とも呼ばれています。正保元年(1644年)創建。唐船で輸入され日本で組み立てられたそうです。軒下の複雑な斗栱が特徴的。とても美しいです。
デカい!「大釜」
天和年間の飢饉の際に、禅師が書籍などを売って鋳物師に造らせたこの釜で炊き出しをされたそうです。 びっくりするぐらい大きい釜は4石2斗も炊けるそうな!
国宝その2「大雄宝殿」
崇福寺の本堂にあたります。ご本尊は釈迦如来。1階は黄檗様式で、2階は和様式と言う独特な建築様式で建てられていて長崎で最も古い建物なのだそう。 天井も赤いのが印象的でした。
媽祖堂
海上守護の神さま「媽祖」。中国華南地方で崇拝されています。唐船はこの媽祖像を祀って航海したそうです。
ぎおん社 八坂神社
地元では「祇園さん」と呼ばれています。元和6年(1620年)に今籠町に創建、京都から素戔嗚尊を迎え、寛永15年(1638年)、現在地に遷宮されました。
ほおずき市
7月の「祇園祭」は、380年前より疫病退散、家内安全、天下泰平の神事として行われてきました。夕方からは「ほおずき市」が始まり、浴衣姿で参拝される光景は長崎の夏の風物詩となっています。
料亭 春海(はるみ)
崇福寺を下ったところに位置するこちらの料亭、ナント、明治40年に建てられたそうです。当初は邸宅として使われていたとか。書院造りを基調とした邸宅に、数寄屋風の部屋を増築し、料亭らしい品格備えています。国登録有形文化財に登録。名物の卓袱料理(しっぽくりょうり)が味わえます。
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長崎のおいしいものを食べたくてリサーチ★五島列島の新鮮なお魚がいただけるバラモン食堂さんでディナーをいただくことにしました。コシの強い五島うどんや、五島牛…ワクワクしますよ! あたたかい雰囲気漂う明るい店内は居心地よく、ほっこりできますよ~。電停「思案橋」から歩いて5分ほどです。
とれとれお刺身
長崎近海で獲れたお魚の刺身盛り3種。新鮮そのものでコリコリです!
キビナゴの天ぷら
これは珍しい!関西ではこのサイズはないので…。 ワタの苦みも一緒に味わう天ぷら!うまい~。
五島ワイン
赤ワインをいただきました。搾りたてのブドウの香りが口いっぱいに広がります。こんなフルーティーなのは初めてかも💗
最初のランチはここでおいしいお肉を食べたいと思っていました。思案橋の電停からほど近い電車道に佇むお店です。長崎では有名なんですよね。創業は昭和41年と言う老舗店です!
鉄板があるカウンター席
シックな感じの店内。でも、子供連れの方も来られていてカジュアルな感じもしました。けっして敷居は高くないですよ。
目の前でジュ~ッと焼いて下さいます
ランチですが、けっこう分厚いお肉が登場~。こうして目の前で焼いてもらうお肉なんていつから食べてないだろう…なんて母と話していたら完成。
「おてがるランチ」で和牛ランプを賞味💗
お肉を焼いた脂でお野菜もさっと炒めて下さいます。お味噌汁、ご飯、小鉢とお漬物、コーヒーがついて1840円!これはお値打ちデス。 とろけるような柔らかさ…シアワセや~~( *´艸`)
思案橋界隈をぶらぶらしていて見つけたお店。創業は明治20年(1887年)。桃の砂糖菓子がのっかった「こもも」と言うカステラに惹かれてついつい入店。何とも言えないかわいさなんです! 他にも、色とりどりの生菓子や、ケーキ、焼き菓子もそろっていますよ。
こももカステラ
普通のカステラに飽きたらこんなお土産もいいなぁ…と思いひとつお味見に購入しました。中国の伝説に登場する不老長寿の桃とカステラを融合させたんですね。面白い! もう一つ チョコ味もあり、その名も「ちょこもも」!かわいすぎ(*´ω`*)
食べるミルクセーキ?
長崎では、ミルクセーキは飲むものではなく食べるものなのだそう。シャリシャリ感のあるシャーベットになっているミルクセーキ。もちろんスプーンで食べます!市内の喫茶店ではポピュラーなメニューなのだとか。 併設の「和風喫茶・志らみず」でもいただけますよ。
市内の主要観光スポットはこちらの路面電車に乗ればほとんどのところは行ける様になっています。1回120円とお手頃なのも嬉しい。 一日かけて回るなら「電車一日乗車券(500円)」が断然オトクですよ!車内では販売していませんのでご注意を。
一日乗車券がオトク♥
観光案内所やホテルで購入できます。子供は半額の250円。 「モバイル一日乗車券」もあるとか。
頻繁に運行しています✨
1・3・4・5の4つ路線があり、日中は5~20分間隔で運行しているのでとっても便利です。 カラーやスタイルも様々で、どんな電車が来たかな?と待ち遠しくなったりします。
連絡駅「築町」では乗り継ぎ券を発行
連絡駅(乗り継ぎ駅)の「築町」でいったん降りて乗り換えをするときは、運賃を支払ったあと運転手さんに一声かけてね。「のりつぎ券」なる券がもらえますよ。次に乗った電車での支払いは不要になります。
夜の電停
灯りがついていい雰囲気になります。
「鉄道発祥の地」も長崎なんです
電停「市民病院前」の近くの路肩に建つ碑。実は《本物の汽車》が最初の走ったのは長崎なのだそうです。横浜ー新橋間を鉄道が開通する7年前の慶応元年(1865年)にグラバー氏がこの辺りに600mのレールを敷き、実際に人を乗せて蒸気機関車を走らせたと言うんです!デモンストレーションとはいえ、日本初はやはりここ長崎でしょう!
大正12年から20年間、ここは長崎・上海航路が開かれていたところなんです。当時の縁石を修復して設置した岸壁にウッドデッキが敷かれ、複合商業施設「出島ワーフ」としてオープンしました。カフェやレストランでおいしいお料理に舌鼓を打ちつつ、稲佐山や港の景観を楽しめる空間となっています。
Dericious Restaurant Attic
スペシャルティコーヒー専門店。 カプチーノが絶大な人気を誇っています。↑は「龍馬カプチーノ」。他にも「グラバー」や、「岩崎弥太郎」バージョンも。 *11:00~23:00open
でじま朝市 朝市食堂
野母崎三和漁協が運営する食堂。旬のじげもん(地元のもの)の魚を使った海鮮丼や定食がオススメ!うまいに決まってます! *11:30~14:30、17:00~21:00、定休日㈫
ベイサイドレストランバー R-10
長崎の新鮮な魚介類を使ったイタリアンが味わえるお店。オリエンタルな雰囲気もステキです。 *17:00~24:00open
岸壁なんだ~
ここらへんに来ると本当に岸壁なんだと実感します。しかも往時の石をそのまま使用してあると言うことで感慨深いものがあります。
稲佐山ビュー!
テラス席からは長崎港が目の前に!夜に訪れたので灯りが水面に映ってとってもキレイでした。 稲佐山の電波塔が青く浮かび上がり幻想的でしたよ。
国指定史跡「出島和蘭商館跡」
歴史の授業で習ったあの出島がここに復元されていました。今なお復元の工事は続いているそうですが、中に入ると明治期の洋風建築がズラリと立ち並び石倉や、カピタン(オランダ商館長)部屋、レストランなど10棟の建物を見て回れます。19世紀の鎖国時代の出島にタイムスリップ! *電停「出島」からすぐ、¥510 8:00~18:00open
水辺の森公園
海辺の埋め立て地にある公園。行き交う船や、女神大橋、山なみを見渡すことができます。出嶋バイパスから湧出しているお水を引いて造られた噴水は子供たちの遊び場になっています。
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地元の方から「お諏訪さん」と呼ばれ親しまれている長崎の氏神さん。秋に行われる「くんち」は日本三大祭りの一つにもなっていて有名ですね。 境内には、面白い願掛け狛犬や、縁結びにご利益アリの陰陽石、国内では初めての英字のおみくじなどなど見どころたっぷりなお社です。
幾重にもなる鳥居
全部で5つの鳥居が…。こんなにたくさんあるところは見たことがないですね。この鳥居の下の石畳に陰陽石の「男石」と「女石」があるそうです。探してみてね。
貫禄のある注連縄
大門に掲げられている注連縄です。 デカい!!
大門から振り返ると大パノラマ!!
そうとう高い位置にあることがわかります。寺町通りや風頭公園方面が一望です。 階段下の石畳の広場は「長崎くんち」の舞台になるところだそうです。
拝殿前の両性合体石
こちらが最後の陰陽石、「男女合体石」。男性は女石を、女性は男石をそれぞれ踏んでからこの合体石を踏んで参拝すると縁結びのお願いが叶うそうです。
カッパ狛犬
ナント!頭にお皿があるではありませんか?!蛭子社にあるカッパ狛犬さんには、お水をかけて祈願してくださいね。ちょっと笑えます。
止め事成就の狛犬
拝殿の左にあるこの狛犬さんは、禁酒・禁煙・受験のすべり止めなどにご利益があるのだとか…。 備え付けのこよりを脚に結んで祈願するんですって。
秋の大祭「くんち」
毎年10月に開催される380年の歴史を誇るお祭。奉納踊りの龍踊(じゃおどり)や、御朱印船、鯨の潮吹きなど、だしものの内容は毎年変わるそうです。
この辺りは、唐船の荷物を収納するために作られた人工島(新地)で倉庫などが建ち並んでいたと言います。明治に入ってからは、居留地に編集され日本で初めての中華街になったそうです。 四方には中華門があり、それぞれの方位を守る四神のレリーフがはめこまれています。合わせて250mにおよぶ十字路には、中華料理店や土産物店、中国雑貨店など約40店舗が軒を連ねます。 写真は「玄武門」。銅座川が流れる北に位置します。
頭上の中国風のネオンにも注目
昼間だったので点灯していませんでしたが、日が暮れるとキラキラ光るのでしょうね。龍や鯉、建物など中国っぽいカラフルなネオンがありました。
江山楼(こうざんろう)で「ちゃんぽん」
今回はこちらでランチをいただくことに。母はこの上ちゃんぽん、私は皿うどんを注文。なんてクリーミーなんでしょう”!魚介のエキスが存分にしみ出ていて濃厚なスープ。あんまりおいしいのでお土産のちゃんぽんも購入しました。
泰安洋行(たいあんようこ)で「中国茶」
1階は雑貨や中国食材などがあ販売されていますが、2階はシックな中国茶が味わえるスペースになっています。
蘇州林で「角煮まんじゅう」
店頭で自家製の点心や飲茶が売られています。こちらの角煮まんじゅうがオススメ!トロットロの角煮はくずれそうなほど!
長崎ランタンフェスティバル
長崎の冬の風物詩になっているお祭。中華街を中心に市内各所に約15000個のランタンが(中国提灯)飾られ、夜になると幻想的な光景が広がります。 一度見てみたいものです。
長崎の花町、丸山にある梅園身代り天満宮。元禄13年(1700年)に創建され、昔から身代り天神と呼ばれ親しまれてきました。遊女や芸者さんがたくさんお参りに来られたのでしょうね。菅原道真公、宇賀御魂神をお祀りしています。 「身代り」と呼ばれる所以は、元禄6年(1693年)のある夜、創建者の安田次右衛門が二重門辺りで何者かに襲われ 左脇腹を槍で刺され倒れた際に、不思議とどこにも傷がなく、その代わりに自邸の祠の天神像が左脇腹から血を流していたことによるのだそう。フシギな言伝えですよね。
狛犬の口に入っているのは?
えっ??飴? そうなんです。この狛犬さんは歯痛を治してくれるらしく、袋からだした飴ちゃんをこうして口に入れてあげてお願いするとか…。ちょっとかわいそうな気がしないでもないんですが…。
撫で牛
2体ある撫で牛。こちらを撫でると身体健全、病気全快のご利益が。頭を撫でると、知恵がつくそうですよ。 もう1体はボケ防止によいとか…。
字がうまくなる?
この金色の「天満宮」の文字を指でなぞると、字が上達するそうです! いろんなこと考えますな~。 この神社は、小説「長崎ぶらぶら節」の舞台になった神社なんですって。2月中旬には梅が見事に咲き誇ります。
七力稲荷神社
狛犬がナゼかツルツルになっていて原型をとどめていませんでした。削られたのかな?痛々しい…。
史跡 料亭花月
遊女屋引田屋の庭園内に文政元年(1818年)頃造られた茶屋。昭和35年に史跡に認定、史跡料亭として営業され卓袱料理などが味わえます。 花街の雰囲気が出ていますな。
バテレン追放令によって厳しく弾圧されたキリシタンや宣教師ら26人(日本人20人、外国人6人)は、京都や大阪で捕らえられ 慶長元年(1597年)12月、浦上街道を経てこの西坂の丘に到着。十字架にかけられ処刑されたと言います。中には12歳の少年もいたのだとか…。東洋のローマと称されたここ長崎には、このような悲しい歴史もたくさんあるんですね。 この出来事はキリスト教国のヨーロッパなどに伝わり、時のローマ教皇によって彼らは「聖人」として称えられるようになったという事です。昭和37年(1962年)、列聖100年を記念して記念碑が建てられました。
地に足がついていないのは…
26人の聖人が、讃美歌を歌いながら昇天していく様子を表現しているからなのだそうです。本当に幼い子供も見られます。それぞれの聖人の等身大の像なんですね。
日本二十六聖人記念館
記念碑の裏手に建つ記念館では、聖人ゆかりの資料や、F・ザビエル直筆の書簡、潜伏キリシタンの遺物などが収蔵されています。一見の価値ありです! *9:00~17:00open、¥500 定休日 年末年始
聖フィリッポ西坂教会
天に伸びる2本の塔が美しい教会。昭和37年に建てられたモダニズム建築です。ガウディのアノ教会を彷彿させます(*^^)v
見どころいっぱいの教会内部
白亜の壁にノアの箱舟をイメージした船形の天井、ステンドグラス…信徒でなくても祈りたくなる、そんな厳かな空間になっています。
世界平和と文化交流を図るため昭和26年に造られました。毎年 原爆が投下された8月9日には平和祈念式典が行われ、長崎市長が全世界に向けて平和宣言を発表します。 シンボルにもなっている「平和祈念像」は天をさす右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、閉じた目は犠牲者の冥福を祈っているのだそうです。 改めて平和の大切さを感じた時間でした。
原爆投下中心地碑
現在の碑は4代目になるそうです。 この石柱の上空500mで原子爆弾が炸裂したのですね。
被爆当時の地層が見れます
爆心地一帯は地面が2mかさ上げされているんだとか!その土の下に埋もれているものが見れる地層の展示がありました。一瞬にして消え去ってしまった生活が見えるようで辛いです。お茶碗や、ビンなどが土の中にうずもれています。
長崎原爆資料館
広島に行った時も原爆資料館にはいりましたが、直視しがたいものもありますよね。やはり、ここ長崎もそうでした。ありえない破壊力にただただ愕然としました。 *8:30~17:30open、¥200 定休日 年末年始
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東洋一の規模と言われていた天主堂ですが、原爆で無残に壊滅してしまいました。爆心地から500mの距離だったと言います。この地域に住んでいた信徒12000人の内8500人が犠牲になりました。現在の天主堂は昭和350年(1980年)に再建され外観が赤レンガ風のタイルになり、当時のままのアンジェラスの鐘の音をきくこともできるようになりました。 入り口の両脇には、被爆した旧天主堂のヨハネ像とマリア像が安置されています。
入り口上に十字架のキリストが
こちらも原爆で破壊されたそうで、現在の像は複製されたものです。厳かな像です。
神聖そのものの堂内
堂内は自由に拝観できます。 深いブルーのステンドグラスに光が射し込んでいます。本当に美しい…。
原爆の威力を思い知りました
天主堂の前に古い像がいくつか並んでいますが…ドキッ!首が…ない!やはり、原爆の熱風で吹き飛ばされたそうです。 今を生きる私たちに二度と起こしてはいけない戦争のむごさを訴えているように思えてなりません。
破壊された教会の鐘が伝えるもの
大小2つあった鐘楼(アンジェラスの鐘)の小さい方は大破。戦争遺構として当時のまま展示保管されています。 大きい方は奇跡的にそのままの形で発見され、現在もその音色を1日3回<5:30、12:00、18:00>響かせています。平和を願う音色ですね。
天主公園
公園の壁に描かれているのは、「長崎の鐘」の楽譜でした。
フルーツいわなが
天主堂の前にあるフルーツショップですが、カフェスペースもあるのでホッと一息つくのに最適です♪ しぼりたて生ジュースや、果物入りの寒天がおいしいです。 *9:00~19:00open、定休日㈰
慶安元年(1648年)に創建された山王神社。長崎を訪れた幕府の老中・松平信綱が景色が近江の比叡山の麓に似ていて、地名も《坂本》と同じという事から、ここに比叡山坂本に置かれている山王権現を勧請することになったと伝わります。 地元の方は「山王さん」と呼んで親しんでいましたが、昭和20年(1945年)、原爆により社殿は倒壊、他の建物もすべて焼けてしまったと言います。 境内の入り口にそびえる2本の楠(クスノキ)も被爆し、枯れ木同然となったそうです。しかし、2か月後、樹木の裏側から新芽が芽吹き徐々に樹勢を盛り返し枝葉を茂らせていったのです。
地元出身の福山雅治もこのクスノキを歌いました
こうして戦後の復興の象徴として長崎の人々の心を支えていったのですね。 「クスノキ」と言うタイトルで福山雅治が歌っているそうです。今度、聞いてみたいと思います(^-^)
片足で立つ二の鳥居
こちらは、参道に建つ二の鳥居。ナント!右半分だけで建っているではありませんか( ゚Д゚) 爆心地から800mのところにあります。本当に恐ろしいです。よくもまぁ残ってくれたね!と称えたくなります(拍手!)
夜景が素晴らしい稲佐山にある日帰り入浴施設。温泉はもちろん、岩盤浴やマッサージ、レストランと多種多様な癒しがスタンバイしています。
まさに絶景温泉✨
露天風呂は長崎が一望!昼の景色もさることながら、やはり夜景ですね。なんてったって世界三大夜景ですから~!!