姫路名物ちゃんぽん焼きも特産の刺身も旨い!灘のけんか祭りの迫力を楽しむ
兵庫姫路名物ちゃんぽん焼きも特産の刺身も旨い!灘のけんか祭りの迫力を楽しむ
まいどまいど! ジャニーズの人気アイドルグループ「V6(当時)」の岡田准一はんが2014年に演じた黒田官兵衛が主人公のNHK(日本放送協会)大河ドラマ「軍師官兵衛」。 黒田官兵衛は戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将の一人で別名、黒田孝高、黒田如水とも。 黒田官兵衛は兵庫県姫路市の御着城にゆかりがあり、現在の御着城址公園では官兵衛に関する碑や案内板などが建立。 国府山城にも豊臣秀吉や黒田官兵衛ゆかりの地として知られ、歴史ファンが訪れる人気スポットの一つともなってまんねん。 複数の神輿をぶつけあう秋季例大祭の通称「灘のけんか祭り」の松原八幡神社は兵庫県姫路市に鎮座しておまして、毎年ぎょうさんの見物客が訪れてまんねん。 けんか祭とは一の丸、二の丸、三の丸からなる3基の神輿をぶつけ合わせる神事で、東山から順に木場、松原、八家、妻鹿、宇佐崎、中村という旧7ヶ村の絢爛豪華な屋台が激しく練り競う勇壮な屋台練りが行われまんねやけど、妻鹿にある博物館では灘のけんか祭をはじめ、神輿など神事に関する資料の展示、公開を行ってまっせ。 海の幸から総菜の名店、昔ながらの鉄板焼きなどグルメも満載!
別名、妻鹿城、甲山城。 鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍、薩摩氏長の子孫にあたる妻鹿孫三郎長宗によって築城、初代城主に。 1330年代、妻鹿孫三郎長宗は元弘の戦で赤松円心に属して功を立て、妻鹿地方を領有、国府山城を築城。 1573年、黒田孝高(黒田官兵衛)の父・職隆は姫路城から当地に移り、居城とした。 1580年代、黒田孝高(黒田官兵衛)は居城とした姫路城を豊臣秀吉に譲り、父・職隆とともに移住、居城。 甲山は標高約100m、山頂付近からは姫路市街地を一望できる。 近年の発掘調査により、遺跡からは土師質外容器・経筒、須恵器甕、青白磁合子、泥塔、銅鏡、銅銭などが出土。
豊臣秀吉
当時、豊臣秀吉の軍師として従事した黒田孝高は別所小三郎長治率いる三木城の三木城攻めに従事した。 別所小三郎長治の滅亡後、豊臣秀吉は三木城を居城。 豊臣秀吉は黒田孝高(黒田官兵衛)に三木城が戦略的に不備であることを進言され、姫路城を居城。 反旗を翻した荒木村重の説得のために有岡城を訪れた黒田孝高(黒田官兵衛)は約1年間、幽閉。 一年後に救出後も、秀吉と共に各地の戦で奮闘。
黒田孝高(官兵衛)
黒田孝高(官兵衛)は、九州の福岡に移り、黒田藩五六万石の大名の基礎を築いた。 1585年、職隆の没後に廃城。 また、山頂付近では経塚が建立。 経塚は経文を容器(経筒)に入れて土中に埋納した遺跡。 経典を後世に伝え、その仏教的な作善行為によって極楽往生を願う経塚が造営。
現在の松原八幡神社の元宮八幡神社内に石碑が建立されている。 1556年、当地付近で母里友信が生まれた。 別名、太兵衛、多兵衛。 母里友信は黒田孝高(官兵衛)率いる黒田家家臣の中から選出された「黒田二十四騎」のうち、特に優れた8人を指す「黒田八虎」の一人として活躍した。 性格は、豪傑、忠義に厚い。 太兵衛の代名詞は「黒田節」。 「黒田節」とは賤ヶ岳の七本槍、七将の一人として活躍した福島正則の元へ使者として訪れた太兵衛。
黒田節
正則は太兵衛に酒を勧めるも断り続け「飲み干せたならば好きな褒美をとらす」と勧め、正則が黒田の家名を汚す発言、太兵衛は一変、大杯の酒を飲み干した。 褒美として名槍「日本号」を頂戴した逸話があり、「黒田節」の一節「酒は呑め呑め 呑むならば 日本一のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士」として唄い継がれている。 また、兵庫県の加古川市稲美町にも母里という地名があり、当地が本貫とされる。
雲道筆塚
現在の松原八幡神社の元宮八幡神社内には、妻鹿町出身の書家として活躍した稲田雲道の筆塚が建立されている。
祭神は奥津彦命、奥津姫命。 神社は甲山の麓に建立されている。 甲山は標高約100mで山頂付近からは姫路市内を一望することができる。 境内では、鎌倉時代に築城された国府山城址、別名、妻鹿城、甲山城、袴垂城の石碑が建立され、目薬の木が植えられている。 国府山城は、黒田孝高(黒田官兵衛)と父の職隆ゆかりの地として知られている。 目薬の木は、黒田孝高(黒田官兵衛)の祖父の重隆が広峯神社の御師の神符に付けた目薬の木からつくった目薬で財を成したという。
昔ながらの雰囲気が漂う街並みの中で佇む一軒のお店。
鉄板焼き
鉄板焼きのお店として知られ、店内に入ると、お好み焼きだけでなく、そばめし、ちゃんぽん焼き、モダン焼き、ネギ焼きなどが揃う。
トマトチーズ焼き
トマトチーズ焼きとは、鉄板焼きの一つでトマト一個分を豪快に使用し、チーズが添えられている。
ちゃんぽん焼き
ちゃんぽん焼きとは、焼きそばと焼うどんが一つになった姫路名物の一つ。
焼きラーメン
焼きラーメンがあり、ラーメンの風味とともに味わうことができる。
江戸時代、姫路藩が整備した非常用食糧備蓄倉庫。 原型は唐から伝来した社倉の制度、江戸時代諸藩でも唐に倣った制度がつくられた。 最盛期には288ヶ所に存在、現在は5か所のみが現存。 1685年、前橋藩時代の酒井家は低利貸付制度である社倉法を実施、姫路に転封後も継続。 1809年、飾西郡大庄屋衣笠弥惣左衛門達が姫路藩家老の河合道臣(寸翁)に対し、従来の社倉に似たものを建設することを上申。 藩主酒井忠道が取り上げて、近在の庄屋、富裕層から穀物などの提供を受けて発足。 貯蔵した穀物は、領民に低利子で貸し付けた。 天保の大飢饉時、姫路藩では餓死した人数が近隣の他地域に比べて非常に少なかったとか。
儒学者林述斎
名称の由来は「書経」の一節「民惟邦本、本固邦寧(民は惟れ邦の本、本固ければ邦寧し)」。 儒学者林述斎が選び、その子檉宇が扁額の文字を書いたと伝わる。
兵庫県の姫路市では灘のけんか祭が有名で松原八幡神社の秋季例大祭の通称。 けんか祭とは一の丸、二の丸、三の丸からなる3基の神輿をぶつけ合わせる神事で、東山から順に木場、松原、八家、妻鹿、宇佐崎、中村という旧7ヶ村の絢爛豪華な屋台が激しく練り競う勇壮な屋台練りが行われる。 ここでは、灘のけんか祭をはじめ、神輿など神事に関する資料の展示、公開を行っている。
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灘のけんか祭で有名な姫路市の妻鹿で、手作りお惣菜、お弁当、巻寿司など家庭の味を楽しむことができる手作りお惣菜屋。 ポテトサラダや肉団子、巻き寿司などが並ぶ。
巻き寿司
巻き寿司は卵、三つ葉、高野豆腐、干瓢、椎茸などが使用された素朴な味が人気。
灘のけんか祭り(神輿をぶつけ合わせる神事)の通称で知られる松原八幡神社。 秋季例祭の風流として兵庫県指定重要無形民俗文化財に指定されている他、獅子屋台の太鼓の音は「日本の音風景100選」に選定。 祭神は、品陀和気命、息長足姫命、比咩大神。 763年、妻鹿の漁師が「八幡大菩薩」と書かれた霊木を拾い上げ、その霊木を祀ったことを起源とした。 平安時代、松原荘が石清水八幡宮の社領となった。 1287年、遊行途中の一遍が参詣し、時衆たちに「別願和讃」を示した。
坊勢など播磨灘で獲れた海産物や野菜などの農作物を中心に販売している。
姫路城下 春らんまん
施設内では、姫路菓子組合による「姫路城下 春らんまん」が展示されている。
海鮮丼
店内奥にはフードコートがあり、地元特産の海産物を使用した海鮮丼や海鮮料理、バーベキューなどを楽しむことができる。
海鮮料理
時期によって穴子丼やしらす丼などがある。
瀬戸内海の家島群島の一つである坊勢島やその周辺で漁獲された魚介類や水産物を中心に製造販売する専門店。
海鮮丼
しらす丼、焼き穴子丼、海鮮丼などを味わうことができる。
瀬戸内海に面した場所に位置する展望台。
一望
晴れた日には家島や男鹿島、小豆島、淡路島などを一望できる。
一望
晴れた日には家島や男鹿島、小豆島、淡路島などを一望できる。
一望
晴れた日には家島や男鹿島、小豆島、淡路島などを一望できる。
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祭神は菅原道真公。 慶長年間、池田輝政は米蔵を建てるため現在地に遷座させた。 当時、神社の南側は松林が広がり、付近には海が迫っていた。 境内には石灯籠、常夜灯、力石など江戸時代の石造品が多く、手水鉢も1798年と古い。 社殿前の神牛は明治時代、越前や加賀の北前船船主らが奉納。 秋祭りには3台の大屋台と6台の小屋台が宮入りし、須加、宮、天神、西細江屋台による「台場差し」は、他に類を見ない荒技として知られている。
台場差し
台場差しとは屋台を差し上げて静止し、その間に台場(泥台)の部分に24人の練り子が入り、「サー、イテバ・チョーサー」の掛け声に合わせて台場の練り子だけで屋台を差し上げるという荒技。 閂(かんぬき)を外し、太鼓の位置を引き上げる。 泥台の外側に8人、内側に8人、泥台四隅に2本ずつある角に8人が入り、何回まで差し上げられるかを競う。