くるくる なると 鳴門金時をUFOキャッチャー
徳島くるくる なると 鳴門金時をUFOキャッチャー
まいどまいど! 徳島県の玄関口の一つ鳴門市。 ここには本州から続く高速道路のジャンクションがあり、付近の観光名所ではぎょうさんの観光客でにぎわおうてはりまんな。 その観光名所の一つである道の駅くるくる なるとでは鳴門金時がお出迎え。 駅名「くるくる」の由来は鳴門海峡の渦潮と千客万来の意味が込められ、入り口にはさつまいものオブジェ、施設内にはなると金時キャッチャーがあり、長さ約15cmのぬいぐるみを取ると「鳴門金時カレー」や「さつまいもラテ」など5種類の商品から一つ選んで交換できるとか。 ほんでから、くるくるなると ベーカリーイモホルダでは鳴門名産のサツマイモを使用したおいもあんぱんが人気。 特にサツマイモの形をしたパンの中にはサツマイモがぎっしり詰まってて、ホンマにデリシャス。 ん?徳島にドイツ村? 観光途中に立ち寄ったドイツ館では第九(ベートーベン)の発祥の地であるとか!? 道の駅で情報収集をして周辺を散策しよう。
徳島県徳島市と愛媛県松山市とを結ぶ国道11号沿いにある道の駅。 2022年、徳島県で18番目として開駅。 駅名「くるくる」の由来は鳴門海峡の渦潮と千客万来の意味が込められている。 コンセプトは「(体験型)食のテーマパーク」。 施設内では鳴門市特産のさつまいも「鳴門金時」をはじめとする地元特産品が並ぶ。 屋上広場には鳴門市の特産品をモチーフとした遊具も。
記念撮影
さつまいものオブジェが設置されている。
なると金時キャッチャー
オリジナルクレーンゲーム「なると金時キャッチャー」。
なると金時キャッチャー
なると金時に見立てた長さ約15cmのぬいぐるみを取ると「鳴門金時カレー」や「さつまいもラテ」など5種類の商品から一つ選んで交換できるとか。
スイートポテトタルトケーキ
鳴門金時 スイートポテト タルトケーキ
スイートポテトタルトケーキ
鳴門金時を使用したスイートポテトタルトケーキ。
JA大津松茂が運営する直売所。 ここでは徳島県内を中心とする農産物や名産品、特産品などが販売されている。
鳴門市内を中心に活躍するマスコットキャラクター。 右:うずしおくん。 服は鳴門の美しい海の青。 胸には渦のマーク、頭に大鳴門橋を題材とした冠を被る。 マントとNARUTOの文字は、市の花「ハマボウ」の黄色を使用。 左:うずひめちゃん。 頭にはなると金時をイメージした帽子と焼きいもの色をした服を着ている。 胸には渦のマーク。 得意料理はお菓子作り。
瀬戸内海国立公園内にある美術館。 1998年、大塚製薬グループの創業75周年事業として開館。 施設内では世界25ヶ国・190余の美術館が所蔵する西洋名画等1000点以上をオリジナルと同じ大きさに複製し展示。 開館当初、美術館としては日本一を誇ったが、現在は国立新美術館に次いで日本第二位。 大塚グループは鳴門が発祥地であり、 展示作品は大塚オーミ陶業が開発した特殊技術によって、世界中の名画を陶器の板に原寸で焼き付けたもの。 オリジナルの収集だけでなく、自社技術を用いて作品を複製・展示するのは珍しい。
大塚国際美術館
現存しない(修復前のレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」・戦火で失われたゴッホ「ひまわり」等を復元する試みも。 ミケランジェロ「最後の審判」もオリジナルの展示環境(システィーナ礼拝堂)全体を再現した「システィーナ・ホール」に展示。 陶板複製画を原寸で展示することから全体を1日で回ることは難しく、複数回訪れて全体像を知ることが出来る美術館とも(鑑賞ルートが地下3階から地上2階までの約4kmに及ぶ。
「道の駅 くるくるなると」内にあるベーカリーショップ。 総菜パンや食パン、プリンなどを製造販売している。 2022年、開業。 鳴門名産のサツマイモを使用したおいもあんぱんが人気。
おいもあんぱん
特にサツマイモの形をしたパンの中にはサツマイモがぎっしり。
社会運動家賀川豊彦に関する博物館。 館外観は大正時代、板東俘虜収容所にいたドイツ人の設計により建設された船本牧舎がモデル。 2002年、開館。 大正・昭和期のキリスト教社会運動家・社会改良家。 戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動、協同組合保険(共済)運動において、重要な役割を担った人物。 日本農民組合創設者。 「イエス団」創始者。 キリスト教における博愛の精神を実践した「貧民街の聖者」として世界的に有名。 戦前、現代の「三大聖人」として「カガワ、ガンジー、シュヴァイツァー」と称された。 茅ヶ崎の平和学園の創始者。 妻は社会運動家の賀川ハル。
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徳島県徳島市から徳島県鳴門市とを結ぶ徳島県道41号徳島北灘線沿いにある道の駅。 ドイツの作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲した交響曲第9番の日本初演の地。 施設内には物産店と飲食店がある。 板東俘虜収容所廃止後の1968年に一旦移築され、登録有形文化財に登録された柿本家バラッケ(登録名、バラッケ(兵舎))を2006年に当地に移築したもの。
うどんとドイツソーセージ・ホットドッグ
大きさの異なる麵が特徴のうどん。 ドイツの作曲家ベートーベンが作曲した第九をモチーフにしたホットドックなどを味わうことができる。
大きさの異なる麵が特徴のうどん。 ドイツの作曲家ベートーベンが作曲した第九をモチーフにしたドイツ・ソーセージ入りのホットドックなどを味わうことができる。 ホットドックは音符をイメージしたとか。
第一次世界大戦中のドイツ人・オーストリア・ハンガリーなどを含む捕虜収容所(板東俘虜収容所)の記念施設。 とくしま88景に選定。 1972年、創設。
ドイツ文化
捕虜の人権尊重と自主的な運営を許し、地元民との交流も活発に行われたため多くのドイツ文化が伝えられた。 その一つとして音楽の分野ではベートーベンの第九がこの収容所において日本国内初演された。 大麻比古神社ではドイツ人らによる石造りのアーチ橋(ドイツ橋)も残っている。
ベートーベン顔出しパネル
交響曲第9番 ニ短調 作品125で知られるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンをモチーフにした顔出しパネルが設置され、記念撮影を楽しむことができる。
松江豊寿
日本の陸軍軍人・陸軍少将、政治家・第9代若松市長として活躍した。 1872年、会津若松市で会津藩士、警察官・松江久平の長男として生まれる。 第一次世界大戦中、板東俘虜収容所所長を務め、在任中にドイツ人俘虜を人道的に扱い地元の住民とドイツ人俘虜を交流させた。 この時、ドイツ人俘虜によって日本で初めてベートーベンの交響曲第9番が演奏された。 映画「バルトの楽園」の主人公としても知られる。
交響曲第9番 ニ短調 作品125は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1824年に作曲した。 独唱と合唱を伴う交響曲。 ドイツ人俘虜によって日本で初めてベートーベンの交響曲第9番が演奏された。
第一次世界大戦期に開かれた俘虜収容所。 ドイツの租借地であった青島で日本軍やイギリス軍ら連合国の捕虜となった、ドイツ帝国将兵及びオーストリア=ハンガリー帝国の将兵(日独戦ドイツ兵捕虜)を1917年から1920年まで収容。 1914年、日本各地の12箇所に設置された俘虜収容所に順次移送・収容され、ヨーロッパでの戦争が長期化し、長期収容を前提とした収容所を建設。 当収容所もその一つで、丸亀、松山、徳島、久留米俘虜収容所から加わり、合計約1000名の捕虜を収容。 収容所長は松江豊寿陸軍中佐。 松江は捕虜らの自主活動を奨励。
板東俘虜収容所
第一次世界大戦と第二次世界大戦を通じて、日本で最も有名な俘虜収容所で、捕虜に対し極めて寛大であった。
8棟の兵舎
兵士の捕虜を収容する8棟の兵舎(バラッケ)を中心に、多数の運動施設、酪農場を含む農園、ウイスキー蒸留生成工場も。 志願兵となった元民間人が多く、職業は職人や写真家、印刷工、製本工、鍛冶屋、床屋、靴職人、仕立屋、肉屋、パン屋など様々。 自らの技術を生かして製作した作品を近隣住民に販売するなど経済活動も行い、優れた手工業や芸術活動を披露。 建築の知識を生かして建てた小さな橋(ドイツ橋)は、現地に保存。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番が日本で初めて全曲演奏された。 このエピソードは「バルトの楽園」として2006年に映画化された。 1920年、ヴェルサイユ条約が発効すると収容所としての役割を終えた。 閉鎖後、収容所跡地は陸軍の演習所として使用された。 8棟あったバラッケの建物のうち半数は残り、戦地からの引き揚げ者用の住宅として利用された。 松江豊寿所長ら日本兵の管理棟。
第1給水施設
第1給水施設。
売店付属便所
飲食物や日用品を販売した酒保(売店)の便所。
製パン所
捕虜の日常食として支給するパンを製造する施設。 製パン所は、石窯(レンガ積みのパン窯)および付属のレンガ積みの基礎や、モルタルを張った床面などが見つかる。
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下士官以下の捕虜が使用する8棟の兵舎のうち、東西に分かれた4棟の北側に、それぞれ「厨房・浴室棟」と「給水施設」が建てられた。 収容所開設当時は、レンガ積みの水槽の上部に木造屋根が付いていた。 水槽の横での給水は、蛇口ではなく、パイプの穴に差し込んだ木栓を抜く方法。 なお、水槽の北側にある給水塔は、第二次世界大戦後に、収容所建物を転用して開設された引揚者住宅に加圧給水するために建設。
捕虜たちが板東へ来て1年後、スウェーデンから赤十字の代表者が板東俘虜収容所の視察に訪れた。 捕虜たちはロシアのウラジオストックで収容されている仲間のことを知った。 仲間を思いやり、救済のためのチャリティー演奏会を開催。 演奏会のポスターには、「人道・博愛」の象徴である赤十字マークが印刷された。 日本赤十字社徳島県支部では 板東俘虜収容所跡地(ドイツ村公園)を「赤十字ゆかりの地」とし、チャリティー演奏会のポスターをモチーフとしたモニュメントを設置。