対馬は大昔から日本の守り神だった!
長崎対馬は大昔から日本の守り神だった!
長崎県対馬市は、日本最北西端の地であるため、地政学上重要な場所でした。古くは文永の役で元寇が最初に攻めてきた地で、守備隊が全滅した場所です。明治時代にはロシアの南下に備え、運河を作って潜水艦の移動時間を大幅に短縮するとともに、大東亜戦争までの間、島内各所に砲台を設け、艦船の襲来に備えました。防人としての対馬を感じてみましょう。ハイキングコースとしてもいい場所がありますよ。
文永の役で、最初に元寇が襲来した地です。守備隊が全滅してしまいました。今でも毎年11月12日には、蒙古軍を迎え撃った当時の様子を祭りとして再現されています。
はっきりとした駐車場がないのですが、「集落の邪魔にならない箇所に停めて大丈夫!」と観光案内所の方が言ってました。他の砲台と比べると道の状態がとても良く、ハイキング気分で移動できます。肝心の砲台跡も保存状態が良く、神秘的な雰囲気です。天気が良ければ、壱岐島が見えますよ!
明治時代、潜水艦の基地が島の中央部にありましたが、島の東に出るには、いったん西へ出て南下しなければならず、非常に不便だったそうです。そこで、それまで辛うじて島が陸続きになっていた箇所を削って運河を作ったそうです。今は船が通るだけでなく、1大観光スポットとして観光客が橋を歩いてますよ。
戦艦長門級の砲台が設けられたものの、1回も発射されることはなかったそうです。戦後、砲台を解体するために訪れた進駐軍の中に、歌手のフランク・シナトラがいたという逸話があります。