ご当地グルメの「かつめし」と出会い、ドラマと映画のロケ地をめぐる加古川
兵庫ご当地グルメの「かつめし」と出会い、ドラマと映画のロケ地をめぐる加古川
まいどまいど! 皆さんは、加古川名物の「かつめし」っちゅうのをご存知でっか? かつめしとは、ご飯の上に、ビフカツ(とんかつ)が乗ったもので、なによりもタレがちゃいまんねん。 ほんでまた、加古川名物かつめしのキャラクター「かっつん」と「デミーちゃん」も登場。 それぞれの像の頭の部分は、かつめしがモチーフ。 加古川名物かつめしをPRしようと、兵庫大学短期大学部に所属する皆さん考案したキャラクターを、加古川観光協会とともに設置したという。 これは、いっぺん、食べてみな、なんぼ説明してもわかりまへんな。 また、加古川城址に代表されるように地元でもあまり知られてへん城址も各地に点在しておます。 その他、ドラマや映画のロケーションにも使用されたという日本毛織旧加古川工場の社宅があり、古くは明治時代から現存する洋風建築と和風建築も。 兵庫県加古川総合庁舎では社員食堂を自由に利用することができたり、最上階からは加古川市街地を一望することができますねん。 この界隈では、趣ある雰囲気を漂わせるなど、何かとおもろい加古川市をご案内しまひょ!
焼肉の専門店として知られる焼肉ビストロ168は、播磨名物のかつめしの発祥のお店として知られる“いろは食堂”“かつめし いろはーず”と深い縁があり、焼肉の専門店。 メニューは、ステーキ重、カルビ丼、焼肉定食などがあり、焼肉専門店ならではの肉の美味しさを堪能することができる。
入口
可愛らしいキャラクターが描かれている。
店内では
有名人もたびたび、訪れる有名店。
焼肉定食
焼肉定食では焼肉を楽しむことができる。 ごはんとスープのお替りは自由で、アイスクリームまたはコーヒー、紅茶の中から選択できる。
カルビ丼
カルビ丼は、ご飯の大盛りは自由。
ステーキ重
ステーキ重は、ご飯の大盛りは自由。
野菜だけサラダ
野菜だけサラダは野菜たっぷり。
ホットコーヒー
食後にゆったりと。
1947年に開業した老舗レストラン「いろは食堂」。 その後、「ニューいろは」「パラーディオ」へと店名が変わるも、2015年に再び「いろは食堂」となった。 店内は、テーブル席とカウンター席がある。 メニューは、自家製キッシュ、ハンバーグ、タパス、地元志方牛のランプステーキなどが味わえる。
かつめし博物館
加古川市を中心とする地域の名物「かつめし」。 かつめしの美味しさや歴史をPRする博物館がある。
かつめし
開業当時からの変わらぬ味が楽しめる加古川名物の「かつめし」。 初代のいろは食堂から人気で、レシピも昔とほぼ変わらないとか。 デミグラスソースは専用の仕込み部屋で1週間かけて仕上げ、完成したソースはハンバーグにも使うという。
日本の地方自治法に基づいて設置された兵庫県の支庁。 別名、東播磨県民局。 1942年、加古郡と印南郡を管轄する加古川町の加印地方事務所、明石郡と美嚢郡を管轄する明石市の明美地方事務所が設置。 1971年、地方自治法第155条第1項の規定に基づき、東播磨県民局(第1次)が設置。 2000年県民局の数を6局から10局に増設する県民局設置条例が改正。 2001年、東播磨県民局(第2次)が発足。 かつて明美地方事務所が管轄していた旧美嚢郡域(神戸市北区淡河町を除く)は分割された北播磨県民局が管轄。
情報発信や観光案内
ここでは明石市や加古川市、加古郡稲美町、加古郡播磨町、高砂市を中心とする情報発信や観光案内などを行っている。 また9階には食堂があり、播磨地域で愛されてきた郷土料理「かつめし」を味わうことができる。
展望フロア
最上階にあたる10階は展望フロアとなっており、東播磨地域はもちろん、遠くは瀬戸内海、淡路島などを一望できる。
展望フロア
遠くは瀬戸内海、淡路島などを一望できる。
展望フロア
遠くは瀬戸内海、淡路島などを一望できる。
展望フロア
遠くは瀬戸内海、淡路島などを一望できる。
展望フロア
遠くは瀬戸内海、淡路島などを一望できる。
展望フロア
遠くは瀬戸内海、淡路島などを一望できる。
うどんやそば、ラーメン、カレーライス、丼などが味わえる飲食店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 かつめし 播磨地域の名物で地元料理。
播磨地域で愛されてきた郷土料理「かつめし」や大阪名物の「串カツ」などを味わうことができる。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 1988年創業。 油は植物油を使用しているという。
かつめし
かつめしには牛、豚、鶏の3種類。 今回はデミグラスソースを使用した郷土料理「かつめし」を味わう。
JR西日本加古川駅構内にある観光案内所「まち案内所」。 ここでは、加古川市内の観光情報はもちろん、名所や施設などの情報発信、観光案内を行っている。
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プロとして活躍する棋士の多くが加古川市出身であることから「棋士のまち」としてPRすることを目的に2018年、「将棋盤付きのベンチ」が設置。 「将棋盤付きのベンチ」は、加古川中央ライオンズクラブの寄贈によるもので、「将棋が盛んな地域ということをPRしたい」との期待も。 ベンチは長さ約166cm、幅約40cm、御影石製。 駒を模った石が特徴で、駒を持参すれば対局することもできる。
製造直売の味を楽しむことができる餃子専門店。 テイクアウト専門店。 コンセプトは、餃子は「美味しい!」を包む宇宙。 コソラの名の由来は小宇宙(コソラ)から。 また冷凍生餃子を販売する自動販売機が併設され、コソラ餃子をはじめ、福崎の餃子、イベリコ豚と白ネギの餃子、肉汁小籠包、山椒とタケノコの餃子、福良の黒毛和牛ハンバーグ、黒毛和牛ガーリックライスなどが販売されている。
兵庫県靴下工業組合のアンテナショップ。 店内では主に加古川市内で製造された靴下を中心に販売している。 加古川市を中心とする兵庫県は東京都、奈良県と並ぶ靴下の三大産地の一つ、 明治時代、稲岡啓吉氏は中国の上海から手廻しの靴下編み機を持ち帰り、製造を開始。 靴下の製造は農家の副業であったが、大正時代には半自動靴下編み機、自動靴下編み機が輸入されて発展。 昭和時代、靴下を海外に輸出する規模にまで発展し、日本最大の靴下の産地となった。
2000年、百貨店「そごう」が閉店。 2001年、百貨店「ヤマトヤシキ」が開店。 兵庫県姫路市に本店を置くヤマトヤシキは、1906年、米田徳次が洋品雑貨店米田まけん堂を開業。 屋号のまけん堂は正札制を表したもので、キャッチコピーは、「ねぎっちゃいけねえ まけん堂」。 1946年、やまとやしき洋裁学校が入ったショッピングセンターやまとやしきを開業。 屋号は数多くの商店が仲良くという意味で「やまと(=大和)」、一つ屋根の下という意味で「やしき(=屋敷)」と名付けたとか。 キャッチフレーズは、「播州のお買い物センター」。
自動販売機
コリアンチキンハルハルが運営する自動販売機。 商業施設ヤマトヤシキの加古川店内に設置されている。 自動販売機ではトッポギやヤンニョムチキンなど韓国料理が販売されている。 ラーメンの自動販売機。 本格的なラーメンの味を楽しむことができる。
加古川市は「棋士のまち加古川」として知られ、市にゆかりを持つプロ棋士6名が活躍している。 施設内では棋士の直筆扇子などの展示や自由対局コーナーや販売コーナーも。 将棋教室をはじめ、日本将棋連盟公式戦「加古川青流戦」、第23期竜王戦第4局や第60期王将戦第4局、第61期王将戦第4局も開催。
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うなぎ専門店、清白。 浜名湖で獲れたうなぎを使用した、うなぎ料理、ひつまぶしを味わうことができる。 ひつまぶしとは、愛知県や三重県など東海地方の郷土料理の一つとして知られている。
ひつまぶし
お櫃の中のご飯を、しゃもじで十字に4等分にする。 1/4を鰻飯として。 1/4を薬味のネギ、ワサビ、海苔などを入れて、混ぜる。 1/4を出汁や煎茶を注ぎ、お茶漬けのようにするなど食べ方は、さまざま。 定食では、ひつまぶしの他、天ぷら、茶わん蒸し、汁物がある。
ヤマトヤシキ加古川店の7階はレストラン街。 その一角に加古川名物の「かつめし」が味わえるというお店があります。 かつめしとは、洋皿に盛ったご飯の上にビフカツ(または豚カツ)を乗せ、たれ(主にドミグラスソースをベースとしたもの)をかけて、ゆでたキャベツを添えた料理のこと。
かつめし御膳
価格は庶民的な1000円台で楽しめる「かつめし」を中心とした「かつめし御膳」。 かつの下には、温かいご飯、奥には汁物、小鉢など。
皆さんは加古川やその近辺で名物の「かつめし」をご存知でしょうか。 洋皿に盛ったご飯の上にビフカツ(または豚カツ)を乗せ、たれ(主にドミグラスソースをベースとしたもの)をかけて、ゆでたキャベツを添えた料理で、ご当地グルメ。 加古川市内にはすく数店舗が今も営業しているそうですが、今回はその中の一軒、看板に「元祖」と書かれたお店に入ってみることにしました。
かつめし
大きなカツをメインに、ご飯が盛られて登場した。 元祖かつめしの美味しさは食べた人にしかわかりません。 普段では味わえない感動と喜びをぜひ、元祖のお店で。
日本毛織(ニッケ)が運営に参画しているショッピングセンターとして知られている。 かつて、当地に日本毛織の加古川事業所が存在した。 1976年、閉鎖。 1984年以後、スーパーマーケットのダイエーを核店舗とした専門店とスポーツ施設、ホームセンター、大型ボウリング場「ニッケパークボウル」、専門店街「ニッケレポス」などを擁して開業。 2016年、本館が改装し、リニューアルオープン。
旧西国街道の一部にあたる寺家町商店街。 江戸時代、宿場町「加古川宿」として栄え、参勤交代の大名が宿泊した陣屋、儒学者頼山陽をはじめシーボルト・小林一茶などの旅人が宿泊したとか。 明治時代に創業した飲食店や印章店などが今も営業している。 また、寺家町などこのエリアは、月に一度、お祭り「蚤の市」が開催される。
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加古川名物かつめしのキャラクター「かっつん」と「デミーちゃん」 かつめしとは、洋皿に盛ったご飯の上にビフカツ(または豚カツ)を乗せ、たれ(主にドミグラスソースをベースとしたもの)をかけて、ゆでたキャベツを添えた料理のことで、播磨地域を中心に愛されてきた郷土料理の一つ。 JR西日本加古川駅前にあるベルデモール通りでは、加古川名物かつめしのキャラクター「かっつん」と「デミーちゃん」の像が建立。 それぞれの像の頭の部分は、かつめしがモチーフ。 加古川名物かつめしをPRしようと、兵庫大学短期大学部に所属する皆さん考案したキャラクターを、加古川観光協会とともに設置したという。
播磨地域を中心に愛されてきた郷土料理「かつめし」。 かつめしとは、洋皿に盛ったご飯の上にビフカツ(または豚カツ)を乗せ、たれ(主にドミグラスソースをベースとしたもの)をかけて、ゆでたキャベツを添えた料理のこと。 肉のいろは本店の店主一角武氏の叔父で「いろは食堂」の創業者が開発したグルメ。 ここでは元祖かつめしの味を引き継ぐかつめし専門店として知られています。
かつめし
メニューは、ビーフかつめしや黒毛和牛かつめし、ビーフひれかつめし、チキンかつめし、エビかつめし、ポークかつめし、ポークひれかつめし、豚ロースかつめし、黒黒コロッケかつめし、白身魚かつめしなど。 味は、赤いかつめし(元祖の味)、白いかつめし、グリーンかつめしの3種類。 赤は、デミグラス風の甘口たれ。 白は、ホワイトソース。 グリーンは、ホウレンソウとバジルと15種類の香辛料とのこと。
かつめしバー
歩きながらでも楽しめる「かつめしバー」も試食してみました。
かつめしバー
かつめしバーは、ご飯と牛肉、赤のたれが一本になったもの。
かつめしバー
おやつにもちょうどいい大きさでした。
勝めし(かつめし)神社
縁起物・げんかつぎに「勝めし(かつめし)神社」が鎮座していました。 昭和時代、勝負ごとや受験前の縁起担ぎ・げんかつぎに「かつめし」を「勝つめし」として食べていたという。 そんな縁起物・げんかつぎに勝めし(かつめし)を食べて、勝めし神社を参拝してみてはいかがでしょうか。
1705年、「陣屋」は山陽道(西国街道)に面した、姫路藩の藩役所として建造。 明治時代、明治天皇が休憩場所として利用し、松の盆栽を陳列していたことから「樹悳堂」と名付けられたとか。
冬の味覚である牡蠣を中心とする旬の食材を使用した料理を味わうことができる老舗。 1926年、牡蠣料理専門店として創業。 1904年、創業者の高山立宝は広島県安芸区矢野町生まれ。 博多、京都で修行を重ね、かき船が通り、ニッケなどで栄えていた加古川に移り、父・庄助より命名して創業。
くつろぎ定食
旬の食材を使用したくつろぎ定食では、付出、お刺身、天ぷら、焼き物、煮物、総菜の盛り合わせ、ご飯、味噌汁、そして、コーヒーまたは紅茶。
カキフライ定食
牡蠣を使用したカキフライ定食ではカキ釜飯、カキフライ、お吸い物、香の物。
自然派にこだわったオーガニックワインやナチュラルワインを中心としたバル。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 コンセプトは「ワインを気軽においしく健康に!」。 その他、ランチとディナーでは志方町、姫路市、丹波市、淡路島で栽培された無農薬野菜、厳選された肉も味わうことができる。
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クレープやパフェ、こだわりカレー、タコライスなどを販売するカフェ。 2017年、築50年の元電気店を改装して、開業。 スイーツをエンターテインメントとして楽しんでもらいたいという思いから、コンセプトは「小さなテーマパーク」。 クレープで忘れられない特別な1日を演出。 店舗はオーナーさん自ら約7カ月かけて海と空をイメージしてDIYしたという手作り。 店先にはクレープ専用の自動販売機が設置。
クレープ専用の自動販売機
2020年より流行した新型コロナウイルスの影響により、客足が減少。 全国各地に面白い自販機が設置されていることや、様々な商品を積極的に自販機で販売しようとする全国的な流れに刺激を受け、人と非接触で対応のできる自動販売機の設置に至ったとか。 一番人気の「バナナホイップチョコ」「特製カスタードホイップ」「あんこホイップ」「りんごの甘煮ホイップ」「焼き芋クリームホイップ」など。
明治時代から大正時代にかけて建造。 増改築を繰り返し、店舗兼住宅の木造建築となっていた。 2004年、老朽化を理由に、一部の建物を取り壊したことで洋館部分が出現。 現在、国の登録有形文化財に指定。
1899年、日本毛織(ニッケ)加古川工場の操業に合わせて造成。 現在も、木造洋館、一戸建ておよび平屋または二階建の長屋・町家風の木造家屋が立ち並ぶ社宅群として管理。 洋風建築の設計は、服部長七。 西側の棟は、1898年に建設し、移築された旧日本毛織加古川工場事務所。 東側の棟は、1911年、生産技術確立のために訪れた外国人技師(通称「お雇い外国人」)の住居「異人館」として建築された。 現在、集会場「ニッケ社宅倶楽部」として利用されている。 加古川市の「わがまち加古川60選」の1つにも選定されている。
和風建築
日本毛織旧加古川工場の正門、加古川本流河川敷左岸の土手に囲まれた界隈。 以前、旧加古川工場を中心としたトロッコ用鉄路網が存在し、鉄路が撤去された今でも通称、「トロッコ道」と呼ばれている。 また、映画「火垂るの墓(2007年撮影)」「少年H」、「夏の終り」(2012年撮影)、テレビドラマ「砂の器」(2011年放映)、連続テレビ小説「マッサン」(2014年放映)など、多数のドラマ、映画に登場する。
本尊は阿弥陀如来。 開山は聖徳太子。 当地は加古川城址の一部にあたる。 当初は西光寺と号した。 鎌倉時代、雁南庄(印南郡)領主・糟屋有教が、加古川城築城当時から糟屋氏の菩提寺とした。 1358年、大洪水により流失。 1363年、有教の曾孫である保連が再建。 戦乱の火災にも遭ったが、糟屋武則が客堂を寄進した。 高野山遍照院の寛海上人が勝名院に改称。 その後、称名寺と改称。 池田輝政、奉行中村主殿介により、上田三段の寄付を受け、板倉勝重により寺領の寄付を受けた。 その後、火災に遭った。 1691年、現在の伽藍が再建。
1184年、糟屋有季は平氏追討の戦功により源頼朝から播磨国印南郡南条郷を与えられた。 1221年、糟屋有教によって加古川村より西方に築城。 当時、石垣上部に物見櫓が設置、城壁には矢、鉄砲の発射を目的とする大小の孔が空けられた(狭間)。 外部は塹壕を巡らせ、逆茂木を設けた。 鎌倉時代、加古川城は播磨守護所として守護代糟屋氏が在城。 1577年、羽柴秀吉らによる毛利氏討伐の軍議が開かれた。 12代城主・糟屋武則は秀吉方となって小姓頭となり、賤ヶ岳の戦いで武功(七本槍の一人)をあげ、大名に出世。 関ヶ原の戦いでは西軍に付き、領土を没収され、糟屋氏は断絶し、破却。
加古川評定
織田信長は豊臣秀吉に中国攻めを命じて出陣。 秀吉は播磨に下向、別所氏らの協力を得て播磨の豪族を掌握。 秀吉は、但馬や毛利勢力の福原城(佐用郡)、上月城(佐用郡)を武力平定し、戦果報告に帰国。 秀吉は再び、播磨の加古川城に国内諸城主を集めて軍議を行った(加古川評定)。
三木城主
別所吉親は三木城主の別所長治の代理として出席。 吉親は下層から立身した秀吉を見下し、評定で秀吉の問いに応じて別所氏の家系から代々の軍功を語る長談義に及び、秀吉の不興を買う。 吉親は憤懣を抱いたまま三木城へ帰って長治を説き伏せ、信長からの離反を決意。 この決裂により、秀吉による三木合戦が始まり、三木城及び別所氏一族の諸城を攻撃し落城。 長治、吉親は死亡。
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