豊臣一族の隠れ里、日出で味わう城下かれいと麦焼酎の醍醐味
大分豊臣一族の隠れ里、日出で味わう城下かれいと麦焼酎の醍醐味
2016年の大河ドラマ「真田丸」。 豊臣家は秀頼と母の淀君が大阪城で自決し滅亡。 一方の徳川家康は真田幸村の突貫攻撃から逃げる途中、後藤又兵衛に槍で駕籠ごとグサリと突き刺されて絶命… というエンディングを期待してたのですが、そうはなりませんでした。 それはさておき、徳川幕府は豊臣家が存在した痕跡を歴史から完膚なきまでに葬り去ろうとしました。 ところが秀吉の旧姓“木下”を名乗ることを許された大名が2家だけ存在したのです。 ひとつは備前国(岡山県)足守藩。 そしてもうひとつが、ここ日出藩です。 藩祖は秀吉の正室である北政所の甥、木下延俊。 ちなみに「真田丸」で寧[ねい]こと北政所は鈴木京香が演じてました。 また「関ヶ原の戦い」で西軍を裏切り、徳川方最大の功労者となった小早川秀秋は延俊の実弟です。 「真田丸」で秀秋は浅利陽介がナヨナヨとした、いかにもどっちつかずのキャラを演じてました。 さらに、日出はブランド魚「城下かれい」と麦焼酎「二階堂」の故郷。 豊臣家の盛衰に思いを馳せつつ、城下かれいを肴に本格麦焼酎を味わう。 そんな贅沢ができるのは日本でも、ここ日出だけです。
木下延俊は関ヶ原の戦いの軍功で日出3万石に封じられました。 慶長6(1601)年の入国後すぐ築城に取りかかり、翌7年には完成、入城します。 義兄の細川忠興(延俊の正室・加賀の兄)が城を設計。 本丸には三層の天守閣をはじめ5ヵ所の二層櫓と平櫓を設け、その外側は二の丸・三の丸・外郭と三重の備えを施しました。 石垣は家臣で築城の名手・穴生理右衛門[あのうりえもん]が野面積みで構築したそうです。 明治維新で城の建物は処分され、現在は天守閣跡、城壁、堀跡などが現存しています。 城址には日出小学校が立っているので、見学の際は不審者に間違われないように注意しましょう。
なぜ日出城じゃなく暘谷城?
日出藩なのに「暘谷城[ようこくじょう]」と呼ばれています。 これは3代藩主の木下俊長が中国の古書『淮南子[えなんじ]』の一節から引用、命名したそう。 その一節とは… 日出於暘谷 浴于咸池 (日は暘谷[ようこく]より出でて咸池[かんち]に浴す) 意味は…よく分かりません。
元禄の時鐘
日出小学校の校庭の一隅にシンプルな鐘楼が建っています。 元禄8(1695)に3代藩主の木下俊長が鋳造させた釣鐘です。 当時は1日12回この鐘を突いて時刻を知らせていたとか。 明治7(1874)年、外大手門から現在の本丸裏門櫓跡に移設されました。 鐘は現在、日出町の有形文化財。 毎朝8時に日出小学校の児童が鐘を突いて時を知らせているそうです。
日出城の構造物は全て処分されたのですが、辛うじて現存している建物がこの「鬼門櫓」。 明治維新での取り壊しを免れ、民間に払い下げられました。 平成21(2009)年に日出町へ譲渡。 解体調査を経て復元され、現在無料で一般公開されています。
「鬼門封じ」の櫓
「鬼門」とは陰陽道で、邪悪な鬼が出入りするとして忌み嫌われた艮[うしとら](北東)の方角のことです。 この鬼門櫓は本丸の北東側に建てられました。 北東部「鬼門」の方角の隅を欠いているのが特徴です。 北東側の隅を無くしてしまえば鬼門の方角から厄災が侵入するのを防げると考えられていたからです。
鬼門櫓の向かいに立つ資料館、入館無料です。 日出藩主の木下氏が豊臣秀吉から拝領した「豊臣印章」をはじめ、日出町の歴史資料が多数展示されてます。 また「豊後三賢人」の一人、帆足萬里[ほあしばんり]に関する資料を収蔵・展示している「帆足萬里記念館」を併設しています。
大分県に現存する唯一の藩校。 木造2階建てで建物全体が往時の姿を今に留めています。 安政5(1858)年に15代藩主木下俊程の命で開校しました。 加藤賢成らをはじめ多くの人材を輩出した歴史を有します。 藩校は明治4(1871)年の廃藩まで続き、その後は女学校になったり町役場になったりしていたのですが。 昭和26(1951)年に現在地へ移築され、県の史跡として保存されることに。 現在、無料で公開されています。
暘谷城址=日出小学校と海岸の間は「城下公園」として整備されています。 ここは日出名物「城下[しろした]かれい」の名称の由来ともなりました。 桜越しに望む別府湾の眺望は大分県百景にも選ばれている絶景。 また、高浜虚子の句碑とか人柱の祠(怖ッ!)とか軍艦海鷹の碑とか、いろんな記念碑が立ってます。
城下かれい
日出の特産品といえば、なんといっても「城下かれい」。 江戸時代には庶民が食べることすらできなかった「殿様魚」です。 城下公園前の海には海底から真水が湧き出す場所があり、そこで獲れるマコガレイを特に「城下かれい」と呼びます。 なかなか高嶺の花の城下かれい料理ですが、ランチであれば後述の的山荘を含む町内の料理店で手頃な価格で味わえます。 それでも4000〜5000円ぐらいするのですが。
日出城址…現在の日出小学校前にある観光交流拠点です。 館内には観光案内所をはじめ展示スペース、地域特産品の販売コーナー、軽食喫茶「やすらぎ」などがあります。 「やすらぎ」の一番人気メニューは「親子丼」とのこと。 また、無料駐車場もあるのでクルマでの観光にも便利です。
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明治時代、金の採掘で巨万の富を築いた成清博愛の旧邸宅です。 金山王の家だけに懸けた費用は半端なく、総工費は25万円…現在の価値だと7~8億円とか。 3670坪の敷地に立つ約300坪の邸宅は3代目信輔の時、城下かれい料理を提供する料亭に変身しました。
国重要文化財で味わう城下かれいの味は?
平成26(2014)年には国の重要文化財に指定されました。 現在も現役の料亭として営業しています。 ランチ3000円、喫茶タイムなら700円とリーズナブル。 なお、庭園を鑑賞するだけなら無料です。
瀧廉太郎といえば「荒城の月」などを作曲した日本を代表する音楽家。 その祖先である瀧家は代々、日出藩の要職を務める一族でした。 瀧家の墓は日出藩士が数多く眠る龍泉寺にあります。 もともと廉太郎の墓は大分市の万寿寺にありましたが、遺族の意向でここに移設したものです。
まさに日出の核心ともいうべき場所。 日出藩主木下家の菩提寺です。 山門には豊臣家の紋所である「五七桐」が掲げられ、まるで豊臣家の「実家」であるかのよう。 本堂の前庭にそびえる国天然記念物「日本一の大蘇鉄」が有名です。 また、本堂の奥には水墨画の大家である雪舟が造園したと伝わる庭園もあります。
大名墓
本堂の裏手にある墓地の中に歴代の藩主が眠る墓所「大名墓」があります。 また、藩祖木下延俊の祖母、つまり北政所の母である朝日の方の墓もここにあります。
麦焼酎「二階堂」「吉四六」などでおなじみの蔵元、二階堂酒造は日出町に本社を構えています。 その二階堂酒造が設立した美術館がココ。 横山大観や川合玉堂、上村松園といった近現代の日本画専門の美術館です。 コレクションは850点を超え、掛け軸の作品が多いのが特徴。 なお、場所は暘谷駅の隣、日出駅の近くにあります。
日地町の中心駅。 ですが駅名は城名の「暘谷」から取っています。 かつての暘谷駅は線路にへばりついているような小さな駅でしたが昨年5月15日に新駅舎が落成! 駅近辺は再開発され、ショッピングセンターや家電量販店、ビジネスホテルなどが立ち並んでいます。 電車でもクルマでも、どちらでも快適にアクセスできますよ。
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