マチカネワニと遊ぼう♪服部天神&服部緑地
大阪マチカネワニと遊ぼう♪服部天神&服部緑地
まいどまいど! 大阪府内では人気観光地の一つともなっている服部緑地公園がおます。 今でも市民の憩いの場として親しまれ続け、ぎょうさんの人が訪れはりまんな。 公園内では日本民家集落博物館と題して日本最初の野外博物館がおまして、北は岩手から南は奄美大島まで日本全国、昔の暮らしを勉強することができまっせ。 さらに豊中市では名門「大阪大学」がおまして、学生の町としての一面も持ってまんねやけど、大阪大学の敷地内には待兼山があり、古代に生息していたとされるマチカネワニの骨が発掘されたんやとか。 え?豊中っちゅう町の中にワニ? 驚きでっしゃろ? 市内では、マチカネワニの和菓子・どら焼きも登場。 萩が植樹され、毎年9月にはイベント「萩まつり」が開催される東光院 萩の寺も人気観光名所の一つ。 天下の徳川家康公とも縁があるといい、歴史ファン必見の場所ともなってまんねん。 さらに菅原道真公ゆかりの服部天神では足の神様としても知られ、ぎょうさんの参拝客でにぎわってはりまっせ。 また庄内で見つけた老舗めぐりなど、豊中もおもろスポットがいっぱい! 豊中市のお土産にぜひどうぞ!
正式には、大阪府営服部緑地と呼ばれている。 1928年、造園された。 施設内には、都市緑化植物園や日本民家集落博物館、陸上競技場などがある。
1956年、日本最初の野外博物館として開館した。 1600年から1900年にかけて建築された民家を服部緑地内に移設。
野外博物館
ここでは、岩手から奄美大島までの民家11棟を展示している。
野外博物館
摂津能勢の民家、信濃秋山の民家、日向椎葉の民家をはじめとする重要文化財。
野外博物館
飛騨白川の合掌造をはじめとする重要有形民俗文化財。
野外博物館
そのほか、越前敦賀の民家、小豆島の農村歌舞伎舞台、河内布施の長屋門、堂島の米蔵、堺の風車、奄美大島の高倉など幅広い。
野外博物館
野外博物館。
茶の看板に緑の暖簾。 うさぎの絵が描かれ、その名も、天兎。
天兎ぶっかけうどん
天ぷら、ちくわ天、とり天、玉子などが入って豪華な器の中心には、讃岐うどん。 本格的なうどんには、コシがあり、ツルッとしていて、美味しい。
大阪府豊中市のマスコットキャラクター「マチカネワニ」。 実はここ豊中市では、ワニの化石が発掘されている。 発掘の現場は、大阪大学の豊中キャンパスの敷地内。 1964年に発見されたという。 発見当時は、体長7mという世界最大級のワニの化石として注目を浴びた。 大阪大学では、待兼山という山名から命名されたマチカネワニの化石を敷地内の博物館にて保存。 ここでは、マチカネワニの化石の他、大阪大学の歴史紹介などを無料で見学することができる。
マチカネワニどら焼き
そんなマチカネワニがどら焼きとして登場した。
マチカネワニどら焼き
この他にも、まちかねプリン、マチカネワニのエクレアなどが販売されている。
阪急電鉄宝塚本線の停車駅の一つ。 1910年、箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の前身)宝塚本線の営業開始と同時に開業。 服部天神宮の境内に開設された。 そのため、境内にあった御神木の楠が現存。 楠には神棚としめ縄が設けられ、服部天神宮の夏天神祭の際、構内で安全祈願祭が行われる。
祭神は、少彦名命と菅原道真。 「足の神様」として知られている。 創建時期など詳細は不明となっている。 400年代、朝鮮半島から訪れた秦の人々は、機織りの技術を日本に伝えた。 姓氏「秦氏」をあたえられ、機織部として各地に住むこととなる。 少彦名命を祀る祠を建立する。 783年、藤原魚名は大宰府に左遷され筑紫国へ向かったものの、当地で病没。 半年に1度行われる大祓(茅の輪くぐり)は、形代に半年間の罪・穢を託し、茅萱で編んだ輪をくぐることにより罪・穢を祓う。 境内社である豊中えびす神社の祭「豊中えびす祭」は、福娘が選出される。
足踏み石
足の守護祈願大祭は、「摂州だんじり(地車)囃子」などの奉納がある。 例祭の神幸式(神輿巡行)は、本神輿・ギャル神輿・子供神輿や稚児行列が氏子区内を練り歩く。
菅原道真公
901年、菅原道真が大宰権帥として左遷され任地へ赴く途中、当地で持病の脚気に襲われ動けなくなった。 路傍の祠と魚名を祀る五輪塔に平癒を祈念したところ、たちまち健康を取り戻して任地へ辿り着けた、との言い伝えがある。 菅原道真の故事にちなみ「足の神様」として崇敬を受けた。
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大阪市中央卸売市場から直接、商品を仕入れ、安売りの市場として親しまれてきた市場。 現在、生鮮食料品店を中心に、小売店が軒を連ねる。 チラシの廃止、簡易包装の経費削減策などで価格を抑えた。 1948年、前身となる個人商店が開業。 1951年、付近に阪急宝塚本線・庄内駅が開業。 2019年、株式会社豊南市場が運営してきたが撤退。
メンズ、レディースを中心とするファッション専門店。 コンセプトは地域密着型。 1923年、大阪府大阪市城東区に呉服商を創業。 1946年、株式会社山田キリン堂に改称。 1962年、江綿株式会社キリン堂店に改称。 1966年、キリンド城東店 旧館 新社屋落成 衣料デパートとして新装開店。 1968年、キリンド庄内店 落成。 1977年、株式会社江綿キリンドを設立。
飲食店や居酒屋、喫茶店、雑貨店、病院、薬局などが軒を連ねている。 付近の庄内本通商店街、庄内西口商店街(庄内ちろりん村)、庄内西本町商店街などと接続する。
2021年、開業。 1階には焼鳥、餃子、ラーメンなどの屋台村。 2階にはスナックバー。 屋台がコンセプトのため、各屋台前にはカウンター席。 屋台村中心部にはテーブル席も。
カルビやタン、ハラミ、ミノ、レバーなどを味わうことのできる焼肉店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。
特製ネギ・カルビ包み
メニューはやみつき塩タンや切り落としカルビ、特製ネギ塩タン・カルビ包みなど。
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1971年、設立。 地上5階、地下1階建て。 飲食店や喫茶店、雑貨店、病院、薬局などが入居。 また大衆演劇の天満座があり、芝居をはじめ、舞踊、歌謡ショーなどを鑑賞できる。 2014年、大衆演劇専用劇場が開業。 2017年、現在地に移転。
奈良時代、行基がこの地を訪れ、猪名川に橋を架けた。 また、多くの鯉が彼を助けたという「鯉伝説」が伝わっているという。 白拍子菊亀ゆかりの「菊亀天満宮」があり、1221年「承久の乱」の発端ともなった。 古代、素戔嗚尊が高天が原より鯉に乗って、御降臨されたとの言い伝えもある。
1800年代、この付近には川が流れていた。 庄本の生活用水として使用され、水門も建設された。 現在は埋め立てられ、石碑のみが当時を物語っている。
江戸時代、赤穂浪士の一人として活躍した萱野三平氏の眠る寺院としても知られている。 正しくは、萱野重実と名乗り、父は、重利氏。 旗本大島出羽守に仕え、豊中市付近の代官を勤めていた。 また、三平氏は豊中市内に邸宅があり、現在も一般開放を行っている。 新福寺は、行基によって開基。 1649年、日芳上人によって自然石の鬼子母神を祀った。
祭神は、応神天皇 神功皇后。 1758年、石清水八幡宮のご分霊を勧請したことに由来する。 また、付近には、神崎川が流れていたとされ、「神崎川旧堤防」の碑が建立されている。
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