創建:1341年(暦応2年) 山号:萬年山 宗派:臨済宗天龍寺派 本尊:釈迦如来 開基:足利尊氏 開山:夢窓疎石(むそうそせき) 足利家の菩提寺✨
鐘楼
彫りが素敵✨
スポット内のおすすめ
邪鬼ちゃーん✨
スポット内のおすすめ
鐘楼の彫りもよい!!
山門
庫裏
【歴史】 暦応四年(西暦1341年)、足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山にお迎えして、衣笠山の南麓に創建されたのが、この等持院である。 後に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地にあった等持寺もこちらに移されて、足利将軍家歴代の菩提所となった。
庫裏前の庭
【歴史(つづき)】 応仁の乱などの戦乱や火災に見舞われたが、豊太閤も、秀頼に建て直させたほど、この寺を重んじられた。 その後も移り変わりはあるが、 等持院には、足利15代、230余年の歴史を語るだけの貴重な文化財が、今なお充分に保存されている。
天龍寺派 元管長 関牧翁老師筆・祖師像
天龍寺派 元管長の関牧翁老師筆 【祖師像】
庫裏 お抹茶席
庫裏 お抹茶席
庫裏 お抹茶席 と 庭園
【庭園】 庭園は夢窓国師作として伝えられる。 ◎西…書院から望む『芙蓉池』 古い木立で区切られ、蓮の花を形どった庭園。 石組も変化に富んでいる。 ◎東…心字池(草書体の心の字をかたどって作られた池庭) 中ノ島には妙音閣があったが、現在は礎石でその面影を偲ぶことができる。
西の芙蓉池
人がいない。さいこー。
スポット内のおすすめ
書院に坐して茶の香りを愛でながら眺めるこの庭を引き立てるのは、寒の頃から春先にかけ咲きはじめる有楽椿(侘助)、初夏のさつき、七月頃からのくちなしの花、初秋の芙蓉の花などで、それらが清漣亭の前庭の景色に彩りを添えている。
方丈(本堂)
方丈(本堂) 現在の方丈(本堂)は、元和二年(1616年)福島正則が妙心寺塔頭海福院に建立し、文政元年(1818年)等持院に移築された古建築で、南庭をひかえた広縁を静かに歩むと、鶯張りの音がここちよく響く。 方丈の襖絵は狩野興以の作で、明治維新当時一部損壊し、更に映画の撮影所が等持院境内に出来て、方丈がロケに使用されたためにかなり破損したが、今日修復され、年一回の寺宝展で公開されている。
茶室 『清漣亭』
方丈北背の小高いところに、清漣亭がひっそりと落ちついた姿で建っており、控え目な侘しいたゝずまいを見せている。 村田珠光や相阿弥らと茶道を興じた『義政の好み』と言われる。 上段一畳を貴人床とする二畳台目の席で、この上段一畳に坐して望む芙蓉池苑はまた格別である。 今は背後の建造物に遮られているが、当時段上の背後のある櫛型の窓を開けると、衣笠山の裾野ののびやかな姿が眺められたことであろうと偲ばれる。
茶室 『清漣亭』
足利義政好みの茶室。 江戸時代初期に再建されたが、元は康正3年(1457年)に義政が建てたものである。
芙蓉池 と 方丈
芙蓉池 と 方丈
スポット内のおすすめ
スポット内のおすすめ
東の『心字池』
東庭園 - 心字池を中心とする庭園。 夢窓疎石作と伝えられる。 東庭園・西庭園は本来は衣笠山を借景としていたが、立命館大学衣笠キャンパスの拡充により校舎に眺めを遮られたため、現在では樹木を高く伸ばして校舎を隠している。
スポット内のおすすめ
スポット内のおすすめ
【尊氏之墓所】(写真は撮りませんでした。) 方丈北の中央に尊氏の墓である宝筐印塔がある。 塔の台座は四面に立派な格挟間があり、宝瓶に蓮華を挿した紋様があって、室町時代の形を示している。 台座の正面に延文三年四月の文字がみられる。
スポット内のおすすめ
【霊光殿】※行けませんでした…。写真なし。 方丈の西側に建つ。本尊の利運地蔵尊の他、足利歴代の将軍、徳川家康の木像がある。
創建:859年(貞観元年) 御祭神:総称 春日神 ①建御賀豆智命(たけみかづちのみこと) →春日大社では武甕槌命 ②伊波比主命(いわいぬしのみこと) →春日大社では経津主命 ③天之子八根命(あまのこやねのみこと) →春日大社では天児屋根命 ④比売神(ひめのかみ) ※ 祭神は上記4柱で、勧請元の春日大社と同じ。 ◎鎮座地である吉田山 古来より「神楽岡」(神が集いし岡)と呼ばれ親しまれている聖地🌱 ◎節分厄除け詣り発祥の社✨
北側(京都大学側) 表参道
【吉田神社の歴史】 貞観元年(859年)藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請した。 後に、平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受ける。 永延元年(987年) 朝廷の公祭に預かる。 正暦2年(991年) 二十二社の前身である十九社奉幣に加列。 ※二十二社…国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受けた。白河天皇の時代 永保元年(1081年)に制度として確立。
スポット内のおすすめ
【歴史 続き】 ◎鎌倉時代以降、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝。 ◎室町時代末期(1469年 - 1487年) 吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始。 ◎文明16年(1484年)吉田神道の拠点として、境内に末社 斎場所大元宮を建立。 ◎ 寛永5年(1665年)江戸幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神職の任免権(神道裁許状)等を与えられ、明治まで神道界に大きな権威を持っていた
手水舎
※ト部氏(うらべうじ) …後の吉田家。 古代の祭祀貴族の一つで、卜占(ぼくせん)による吉凶判断を業としていた氏族。
今宮社(末社の1つ)
祭神:大己貴神(おおなむちのかみ) 大雷神(おおやまづみのかみ) 健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
スポット内のおすすめ
今宮社を右手に見ながら、階段を✨ 空気が変わる。
本宮へ
工事中の本宮 御殿
右側から、 ◎第一殿 健御賀豆知命 ◎第二殿 伊波比主命 ⇒ 第一殿・第二殿のご神徳 諸々の災難より逃れ幸福を勝ち取る厄除・開運の神。 ◎第三殿 天之子八根命 神祇の祖神であり思慮深き学問の神。 ◎第四殿 比売神 女神として女性に特別の徳を授ける神様 ⇒ご神徳 第三殿・第四殿は夫婦神として、良縁や夫婦和合の御神徳をお授け下さる。
スポット内のおすすめ
若宮社(摂社の1つ)
祭神:天忍雲根命 春日大社にも天忍雲根命を祀った若宮神社が鎮座する。 ◎「神楽岡社」(若宮社の隣にある。) 祭神:大雷神、大山祇神、高龗神 地域の地主神であり、雷除の神とされている。
スポット内のおすすめ
しかさん。 かわよい。よしよししてきました💕
スポット内のおすすめ
竜沢池
竜沢池(たつざわのいけ) 境内南に位置する。 奈良の猿沢池を真似てつくられた池。 敷地が広い&吉田山 ⇒スニーカー&ズボンで行くべし👍
創建:昭和初期 山号:無量寿山 光明寺(2005年~寺院となる) 宗派:浄土真宗 本尊:阿弥陀如来 ★年2回(新緑・紅葉 の時期)の特別公開
山門
【山門】 高野川の清流に沿い、橋を渡って進んでいくと、息を呑むような素敵な山門が現れます✨ 【歴史】 ◎昭和~大正 田中源太郎(京都電燈の創業者・政治家)が土地を所有。当地に構えた庵は「喜鶴亭」。 ◎田中源太郎の死後 土地は京都電燈重役の個人別荘となる。 現在みられる建物と庭園は、大正末期~昭和に造営されたもの。 数寄屋造りの書院は中村外二、 自然を借景とした庭園は佐野藤右衛門一統 作。
新緑に囲まれた階段
【歴史 続き】 ◎京都電燈…現在の叡山電鉄叡山本線や叡山ケーブルを開設 ↓ 1942年設立の京福電気鉄道に、鉄道・軌道事業は引き継がれる。 別荘も京福電気鉄道の所有⇒高級料理旅館「喜鶴亭」として営業。 ◎ 料理旅館が廃業⇒光明寺が買収。 本堂を設置し、2005年に寺院に改められた。 「喜鶴亭」の名は茶室に受け継がれている。
山露地(やまろじ)の庭
【山露地の庭】 美しい苔、新緑の青もみじ、十三重の石塔。 池を泳ぐ鯉によって、色のコントラストが美しい✨
玄関
【玄関】 石橋を渡れば玄関。 数寄屋造りが優雅。
命名書
【玄関を入ると】 田中源太郎が構えた庵に、「喜鶴亭」という命名をおこなった三条実美(明治政府の太政大臣)。 その命名書が飾られている。
書院2階
玄関を入って左へ。そして階段を上がると…!! 写経机に映り込む青もみじが美しい…🥺💓
書院2階
写経机のない窓から見える景色はこちら。 【写経】 この写真の左手(階段を上がって右側)では、写経をすることができます。 般若心経などの長いものではなく、16+20字をボールペンで書くだけで済むものなので、写経をした事のない人でもやりやすいと思います。
八瀬名物「かま風呂」
【かま風呂】 書院の1階に降ります。 日本式蒸し風呂の原型 かつ 有名な「八瀬のかま風呂」の現存する希少な遺構。 【八瀬】 「八瀬」の地は、壬申の乱で背中に矢傷を負った大海人皇子(天武天皇)が、かま風呂で傷を癒した場所と伝わる。 平安時代から貴族や武士に愛された保養地だった。
瑠璃の庭
【瑠璃の庭】 一面に苔の絨毯で覆われた主庭。
ご本尊のいる間から瑠璃の庭
瑠璃の庭を眺める間奥には
光明寺の寺宝。
聖衆来迎図
光明寺の寺宝。 室町時代のもの。
臥龍(がりょう)の庭
【臥龍の庭】 階段をさらに降りると…🥺✨ 天を駆け上ろうとする龍を、水の流れと石組で躍動的に表現した池泉庭園。 佇む人の心を解き放ち、昇運の兆しをもらたします。
臥龍の庭
3つの間の中で、私はここが1番落ち着きました🌱✨ 通路に反射する青もみじが本当に美しい!
臥龍の庭
水の流れが心を落ち着かせます。
臥龍の庭 の反対側
こちらの少しの空間も美しい!
茶庵「喜鶴亭」
【喜鶴亭】 田中源太郎が構えた庵に、「喜鶴亭」という命名をおこなった三条実美(明治政府の太政大臣)。 その庵は、茶室として引き継がれている。
玄関(出口)前の窓
パンフレットと参拝券
創建:1601年(慶長6年) 山号:瑞巌山(ずいがんさん) 宗派:臨済宗南禅寺派 本尊:千手観音 開基:徳川家康 開山:閑室元桔(かんしつげんきつ) ⚠️秋の特別拝観中は予約制!!HPを確認してくださいね!
正門
【歴史】 1601年(慶長6年)徳川家康の命にて、下野 足利学校の第9代の学頭であった閑室元佶が招かれ、伏見城下に学校として建立された。 1602年 京都 相国寺内に移転。 1620年(元和6年)上京大火により圓光寺が焼失。 1667年(寛文7年)一乗寺村の現在の地に移転。 1684年(貞享元年)南禅寺を本山とし、現在に至る。
正門
スポット内のおすすめ
スポット内のおすすめ
スポット内のおすすめ
庭園「奔龍庭」
【庭園「奔龍庭」 枯山水庭園】 龍が奔り 雲海が煌めく。 渦を巻き、様々な流れを見せる白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組であらわした平成の枯山水である奔龍庭。
瑞雲閣
【瑞雲閣】 展示室。伏見版木活字や円山応挙筆の「雨竹風竹図屏風」などがある。
瑞雲閣前から眺む十牛之庭
瑞雲閣から眺む十牛之庭
瑞雲閣から眺む十牛之庭
瑞雲閣の中にて
展示室
円山応挙筆の「雨竹風竹図屏風」
【円山応挙筆の「雨竹風竹図屏風」】 重要文化財
四季草花図(左)と中門(右)
四季草花図(渡辺章雄 作)
書院
手水鉢と水琴窟
【水琴窟】 響き渡る澄んだ音色。 寂静とした寺内にかすかに響く清音。 緑深く、水豊かな洛北ならではの趣を演出する水琴窟は、十牛之庭の清涼となっている。 一滴一滴が奏でる澄んだ音色は心地良い余韻を残し、耳にする者の心を癒し、和ませてくれる。
本堂
本堂から入ります。
本堂の中
書院
本堂から書院へ。 書院から待月庵(茶室)を望む。
書院から庭園「十牛之庭」を
【庭園「十牛之庭」】 禅の悟りに至る道。 牛を追う牧童の様子が描かれた「十牛図」を題材にして、近世初期に造られた池泉回遊式庭園。 十牛図に描かれた牛は、人間が生まれながらに持っている仏心をあらわしている。 牧童が禅の悟りにいたるまでの道程であり、懸命に探し求めていた悟りは自らの中にあったという物語。 庭園南側には洛北最古の泉水、栖龍池がある。
書院から庭園「十牛之庭」を
美しい~🍁.*・゚ 四季折々の姿を魅せてくれそう。
庭園「十牛之庭」
庭園を一周してきますよ〜
庭園「十牛之庭」から本堂を
庭園「十牛之庭」
きゃわ♡
鐘楼
応挙竹林
【応挙竹林】 圓光寺の竹林から眺める洛北一望の景色は絶景であると近世の書物にある。 この竹林を訪れた若き絵師円山応挙は、後年この竹林をモチーフにした「雨竹風竹図(重文)」をかきあげ奉めた。 夏は竹林を吹き抜ける爽やかな翠風がひんやり心地良い。
庭園「十牛之庭」から瑞雲閣を
庭園「十牛之庭」の池
池の反射✨
裏山
裏山にも登ってみました!
徳川家康の墓
【徳川家康の墓】 家康の歯を埋めたとされる。
東照宮
【東照宮】 裏山には徳川家康公の遺言により歯を埋めた墓と東照宮がある。 眼下に洛北の市街地が一望できる。 特に、西山に陽が沈む夕刻は、言葉にしがたい美しさをたたえている。
裏山 東照宮からの景色
うわ〜いい眺め!2個ほどベンチあり小休憩。