近鉄大和西大寺から眺める平城京の街並み
奈良近鉄大和西大寺から眺める平城京の街並み
まいどまいど! 今回は関西でも一位、二位を争うほどの人気を持つ奈良県奈良市内中心部を案内していきまひょ。 奈良市内には私鉄最大の営業距離を誇る近畿日本鉄道が東西に走り抜け、やがて大和西大寺駅へ。 大和西大寺駅には飲食店や雑貨店などが営業する商業施設があり、その一角には展望台。 ここからは近畿日本鉄道や阪神電気鉄道の鉄道車両や周辺の街並みを眺めることができ、人気スポットともなってまんねん。 さて、奈良県を代表する観光スポットっちゅうたら、やっぱり平城京跡やおまへんでっしゃろか。 ここでは広場・公園として整備され、広い敷地内には大きな博物館も設置され、平城京の歴史や文化など詳しく学ぶことができまっせ。 ほんでから周辺には、興福寺とともに法相宗の大本山として知られ、東大寺、西大寺、元興寺、大安寺、法隆寺と並ぶ南都七大寺の一つに数えられる薬師寺も。 薬師寺以外に、奈良時代、東大寺が総国分寺であったのに対し、法華寺は日本の総国分尼寺とされた法華寺。 玄昉が唐からの帰路、暴風雨に遭遇、「海龍王経」を唱えて帰国を果したことに因んで、寺号が海龍王寺となった場所も。
日本最古の本格的な首都・難波宮が現在の大阪府大阪市に造営されて以後、奈良県の明日香村や橿原への遷都を繰り返しながら、700年代には平城京、現在の奈良県奈良市に遷都した。 一時、恭仁京、難波京への遷都しながらも745年には、再び、平城京となって以後、784年の長岡京に遷都されるまで政治の中心地であった。 現在は公園として整備され、自由に見学することができる。
日本最古の本格的な首都・難波宮が現在の大阪府大阪市に造営されて以後、奈良県の明日香村や橿原への遷都を繰り返しながら、700年代には平城京、現在の奈良県奈良市に遷都した。 一時、恭仁京、難波京への遷都しながらも745年には、再び、平城京となって以後、784年の長岡京に遷都されるまで政治の中心地であった。 ここでは平城京跡の歴史やその詳細を紹介、発掘調査をもとに保存、展示を行っている。
光明宗の本山の寺院。 奈良時代、東大寺が総国分寺であったのに対し、法華寺は日本の総国分尼寺とされた。 別名、法華滅罪之寺。 本尊は十一面観音。 開基は光明皇后。 元は真言律宗に属したが、1999年に同宗を離脱し、光明宗と称する。 藤原不比等の邸宅跡に造られた光明皇后ゆかりの門跡尼寺。 不比等の没後、娘の光明子・光明皇后が相続して皇后宮とした。 741年、聖武天皇は国分寺・国分尼寺建立の詔を発した。 745年、皇后宮を宮寺としたのが法華寺の始まり。 平安京遷都後は衰退。 1180年、平重衡の兵火では被害を受けた。 鎌倉時代、東大寺大仏殿の再興を果たした僧・重源は、法華寺の堂宇や仏像を再興。
江戸時代
大和国を攻撃する細川政元の家臣赤沢朝経によって焼失。 江戸時代、後水尾天皇の養女・高慶尼が入寺、当寺は尼門跡寺院となった。
真言律宗の寺院。 本尊は十一面観音。 別名、隅寺、隅院、角寺、角院とも。 710年、平城遷都の際、藤原不比等は土師氏から土地を譲り受け、邸宅を構えた際、北東隅にあった寺院は壊さずに残した。 この寺院が海龍王寺の前身。 不比等の没後、娘の光明皇后が相続し、邸宅は皇后宮となる。 皇后は遣唐留学僧・玄昉が仏法を携え、帰国を願って寺院の伽藍を整備。 734年、玄昉が帰国、聖武天皇・光明皇后は仏教や鎮護国家の基礎となる仏教政策を学んだ玄昉を重用し、内裏に近いこの寺院の住持に任じた。 玄昉が唐からの帰路、暴風雨に遭遇、「海龍王経」を唱えて帰国を果したことに因んで、寺号が海龍王寺となった。
平城宮内道場
玄昉は唐の都にならい、海龍王寺を「平城宮内道場」と定めて宮中の仏堂とした。 平安京に遷都後、衰退。 鎌倉時代、再興。 西大寺を中興した真言律宗の僧・叡尊上人によって伽藍の復興、戒律の道場として栄えた。 室町時代、応仁の乱の余波を受け衰退。 江戸時代、幕府から知行100石を与えられ伽藍を維持。 明治時代、廃仏毀釈で東金堂を失うなどの打撃を受けた。
近畿日本鉄道(近鉄)奈良線、京都線、橿原線の停車駅の一つ。 1914年、大阪電気軌道上本町駅と奈良駅間が開通し、西大寺駅として開業。 1920年、車両を収容するための西大寺車庫が竣工。 1921年、大軌畝傍線開業に伴い、移転。 1926年、西大寺変電所が竣工。 1928年、奈良電気鉄道桃山御陵前駅と西大寺駅間が開通し、各路線が十字に平面交差する駅となった。 1932年、大軌西大寺駅に改称。 1940年、西大寺変電所設置。 1941年、大阪電気軌道は参宮急行電鉄を合併、大和西大寺駅に改称。 1963年、新西大寺変電所設置。 1964年、新車庫使用を開始。 1965年、駅舎が開業時の位置に移転。
大和西大寺
1966年、西大寺ショッピングセンターに近商ストア西大寺店が開店。 1967年、旧車庫・旧橿原線路敷跡に西大寺近鉄ビルが竣工。 1階に西大寺ショッピングセンター、上部に日本住宅公団の西大寺駅前団地が入居。 1970年、西大寺近鉄ビル東に西大寺第2近鉄ビルが完成。 1982年、西大寺技術研究所の増築が竣工。
大和西大寺
2009年、平城遷都1300年祭に合わせ、橋上コンコースが拡張、「スイーツ」「惣菜」「奈良」がコンセプトの駅構内ショッピングモール「Time‘s Place Saidaiji」が開業。 乗り入れる鉄道や周辺の町並みを一望できる展望デッキが設置。
興福寺とともに法相宗の大本山として知られ、東大寺、西大寺、元興寺、大安寺、法隆寺と並ぶ南都七大寺の一つに数えられる。 本尊は薬師如来。 開基(創立者)は天武天皇。 「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録。
薬師寺
680年、天武天皇の発願により、飛鳥の藤原京(奈良県橿原市)を造営。 平城遷都後の700年代に西ノ京に移転。 天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願、百僧を得度(出家)させた。
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ここは、路線バスや高速バスで知られる奈良交通さんが運営しているらしく、店内は、菓子パンや総菜パン、ドーナツ、バーガー、サンドイッチなどが並ぶ。