相島散歩
福岡相島散歩
相島(あいのしま)散歩 古代に相島が宮地嶽神社と深く関わっていた事を知り興味を持ち訪れました。 なるほど色々な遺跡があり楽しい散歩ができました。 写真は、相島にある積石塚古墳群から鼻面半島とその脇にあるめがね岩越しに宮地嶽神社の方向を眺めた景色です。 宮地嶽神社から玄界灘につながる参道が、真直ぐこのあたりに向かって伸びているのが分かります。
相島
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2時間半ほどの散歩になりました。反時計回りに歩きました。
新宮町役場渡船新宮港から相島(あいのしま)へ。
港を見下ろす。
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剣神社への道は、残念なことに危険であるため通行禁止になっていました。
相島積石塚古墳群 荒らされているためにいつ作られたかは正確には分からないとのこと。 最初の築造時期は古墳時代前期までは確実にさかのぼることができる、と言われているようです。 https://kotobank.jp/word/相島積石塚群-1443075
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朝鮮通信使石碑
対馬、壱岐島を経由してきた朝鮮通信使達は、福岡藩が、幕府からの接待の依頼を受け、相島に施設を設けています。 対馬藩主が案内役そして、平戸藩が警固の任務にあたり、黒田藩が出迎えています。 朝鮮通信使は、12回朝鮮と江戸を往来しており、相島の施設を11回利用しているとのこと。 ここには、亡くなられた朝鮮通信使の方々のお墓もあります。(2016年3月)
朝鮮通信使の墓
鼻面半島 小高い山を越えると景色の良い場所に出ます。
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蒙古塚
岩宮神社 秀吉に朝鮮出兵を命じられた諸国の軍船が戦勝祈願した岩宮神社と太閤潮井石。
太閤潮井の石
秀吉に朝鮮出兵を命じられた諸国の軍船が戦勝祈願した岩宮神社と太閤潮井石。 私には理由が分かりませんが、諸国の軍船がここで戦勝を祈願した際に、結構大きな石をここに置いていったとのこと。わざわざここにまで石を運んだ理由は何にかな?(2016年3月)
朝鮮通信使 有待邸跡 秀吉に朝鮮出兵を命じられた諸国の軍船が戦勝祈願した岩宮神社と太閤潮井石のすぐ近くにあるのもまた面白い。 秀吉軍は多くの工人達を朝鮮から日本に連れて帰っており、その戦後処理としてこの工人達を連れて帰るために、江戸時代になって朝鮮から使節団がやって来た、というのが朝鮮通信使の始まりです。この使節団を接待する客館を福岡藩が相島に作り、秀吉軍が戦勝祈願をした島で戦後処理の使節団をもてなした、という歴史の面白さを感じます。
遠見番所跡 幕府の鎖国令に従い黒田藩は異国船を監視する遠見番所を姫島、大島、玄海、岩屋、相島の5カ所に設置しています。。
朝鮮通信使客館跡 この辺りから海に向かってかなり大きな客館であったようです。
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金比羅神社 朝鮮通信使客館跡の裏にある小山にあります。
ヤブサブロウさま
朝鮮通信使客館跡の裏にある小山の頂上にあります。ヤブサブロウさまは天候の神様で、天候が悪いときはオコゼの頭をお供えしてお参りする、とのこと。朝鮮通信使に関わる方々も天候の悪い時にここでお祈りをしたと思うと面白い。 若宮神社が祀る女性である神は、美しいものが嫌いとかで、醜いものとしてオコゼの頭をお供えする、との話を何処かで読んだ記憶があります。
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神宮寺 朝鮮通信使客館跡の脇にお寺があります。。
朝鮮通信使客館跡に関わる井戸などの遺構が残っている。