
織田信長が愛馬で走った富士山西麓の中道往還
山梨織田信長が愛馬で走った富士山西麓の中道往還
織田信長が愛馬を蹴って甲府の南にある笛吹川の野営地から富士山本宮浅間大社まで走り抜けた話しを面白く読んだ記憶があります。 信長は初めての富士山を西側から見た事になります。 3月頃なので雪を冠る富士山に感嘆しただろう、などとこの道を走るたびにその情景を楽しく想像してしまいます。武田氏滅亡でホッとした信長に家康が旅の馳走をする話しが書かれていました。 次に野営する富士山本宮浅間大社への50キロほどの道の両脇に人を立たせ安全を確保し、富士山本宮浅間大社に信長や付き添う侍たちの為に無数の小屋を建て、篝火を焚かせている風景を想像してしまいます。 夜、信長たちは煌煌と明るい富士山本宮浅間大社に到着し、大社内で豊富に湧き出る富士山の水で汗まみれの侍たちや愛馬の汗を拭い去る活気ある風景を思い浮かべたく、富士山本宮浅間大社を訪れました。 何も無い平坦な場所にある神社でしたが、冷たい湧き水に私が触れた時、辺りの風景を一変させてくれた時は嬉しかった。家康は、この水で信長にお茶を振舞ったかと思うと、また、面白くもありました。写真は、富士山本宮浅間神社にある湧き水からなる池、湧玉池です。
甲府を眺める。
精進湖から眺めた富士山が美しい。
信長は、愛馬で朝霧高原を走る。
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信長は白糸の滝による。
ここで一夜を過ごす。
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信長が50キロほど走り宿営した富士山本宮浅間大社の脇を抜け、旧道を進み山間を走る。20キロほど山間を走った後、旧東海道に抜ける。その旧東海道を下る。しばらく行くと、薩埵峠に向けて旧東海道が右折する。昔のままの旧道が続く。峠の頂上に向けてまっすぐに30度ほどの急な登りになる。車一台が通れるほどの道を2キロほど登る。薩埵峠の頂上に少しだけの空間があり車を停める。広重が描いた薩埵峠が広がる。
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さらに、旧東海道を走り、薩埵峠を下り海に出て、焼津の街を抜けて三保の松原に出ました。富士山本宮浅間大社で一泊した信長は、ここ三保の松原で遊んでから、西に下っています。
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