情緒あふれる有松のまちなみ
愛知情緒あふれる有松のまちなみ
まいどまいど! まるで江戸時代にさかのぼったかような雰囲気が体感できるっちゅうて人気を集めている有松のまち。 場所は愛知県名古屋市の緑区に位置しておまして、名古屋鉄道名古屋本線にある有松駅やその周辺にひろがってまんねん。 そもそも有松町とは東海道沿いにあたり、現在も古い町並みが残ってはりまんな。 ほんでそれだけやなく、戦国時代に桶狭間の戦いの合戦「桶狭間」を合わせた地域の総称としても知られてはりまんねん。 ほんでまた、江戸と京都を結んだ旧東海道の池鯉鮒宿と鳴海宿の間に位置する茶屋集落では、伝統工芸品の一つである絞り染めの産地として栄えたとしても知られ、現在も有松・鳴海絞りに関連する店舗や博物館も点在してまんねん。 古き良き名古屋の文化を肌で感じることのできる有松のまち。 ぜひ皆さんも一度は訪れてみてください。 ほな、まいどおおきに。
有松町とは東海道沿いの古い町並みが残る「有松」と、戦国時代に桶狭間の戦いが行われた「桶狭間」を合わせた地域の総称。 江戸と京都を結んだ旧東海道の池鯉鮒宿と鳴海宿の間に位置する茶屋集落で、絞り染めの産地として栄えた。 町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。 卯建を設けた和瓦の屋根、塗籠造、虫籠窓といった特徴を持つ伝統的建築物が現存。
伝統工芸品の一つである有松・鳴海絞りを紹介する施設。 1984年、旧知多郡有松町役場跡地に開館。 1階では絞り製品の展示販売。 2階では資料の展示および制作の実演。 絞りの体験教室も行われる。 有松・鳴海絞りとは木綿布を藍で染めたものが代表的で、糸のくくり方で模様が変わる。 その技法から「くくり染め」とも。 江戸時代、九州の豊後絞りの影響を受けて、尾張藩が藩の特産品として保護、模様の種類は世界一とも。 「伝統的工芸品指定品目」に認定、日本国外においても「SHIBORI」といえば有松を示すとも。
布袋車・唐子車・神功皇后車の山車三輌は毎年、交代に展示、公開。 毎年10月第1日曜日には秋まつりが開催され、山車曳きが見物できる。
服部幸平は、服部孫兵衛家(井桁屋)の分家にあたり、住宅も服部孫兵衛家の東隣を占める。 倉は、服部孫兵衛家の屋敷の一部を構成。 明治時代、分家に際し、元の位置のまま、服部幸平家に譲られたもの。 二階建、切妻造、桟瓦葺。 切石の土台の上に建ち、白漆喰の塗籠造、腰を海鼠壁とする外観。
有松町とは東海道沿いの古い町並みが残る「有松」と、戦国時代に桶狭間の戦いが行われた「桶狭間」を合わせた地域の総称。
その昔をしのぶ
有松やその周辺での歴史を今に伝える碑が建立。
1600年頃、竹田庄九郎が手拭いに「豆しぼり」をつくったことが、伝統工芸品の一つである有松・鳴海絞りの発祥。 庄九郎は、「九九利絞」と呼び、名古屋城の築城(天下普請)の為、九州・豊後から来ていた人々の着用していた絞り染め衣装を見て、当時、生産が始められていた三河木綿・知多木綿に絞り染めを施した手拭いを、土産として販売。 江戸時代、有松地域は松林が生い茂る人家の無い荒野であり、街道には盗賊が出没する危険な地域。 1608年、尾張藩は東海道の旅人の安全と保護のため付近に集落を設ける必要性から、知多郡一帯に移住を奨励する触書を発布。 移住者には一切の夫役を免じて、免租地の特権を与えると布告。
有松の始まり
東海道沿いには知多郡の阿久比庄出身の竹田庄九郎が移住するなど新しい集落として有松が開かれた。 竹田庄九郎らは東海道沿いに萱葺の家を建てて茶屋を開業する傍ら、有松絞りをはじめた。 一説によれば有松・鳴海絞りの発祥は1655年に豊後(現在の大分県)より移住した医師三浦玄忠による「三浦絞」であるとも。
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江戸時代より13代続いた旧絞り問屋の神半邸を改装した建物。
旧有松町の氏神であるが、鎮座地は旧鳴海町。 祭神は菅原道真。 創建時期など詳細は不明。 当初、尾張知多郡有松町の祇園寺の境内に鎮座。 1789年、現在地に詩歌文章が埋め置かれる。 10月第1日曜日の有松天満社秋季大祭では3輌の山車(東町・中町・西町)が曳行。