平安〜幕末まで、歴史ある田園地域神指町(これでも会津若松市です。)
福島平安〜幕末まで、歴史ある田園地域神指町(これでも会津若松市です。)
私が生まれて住んでいる。神指町は 平安時代〜幕末まで 歴史ある場所です。NHK大河ドラマ(天地人、新選組、八重の桜)でも紹介されました。最近は工場も出来ましたが、ほとんどが田畑に囲まれております。
大ケヤキと呼ばれ、樹齢550〜600年のケヤキです。幹周り約11m、樹高16m。 昭和16年1月27日 国指定天然記念物に指定されました。 神指城 二の丸北東角の土塁の位置になっていました。 「天地人」の頃、地元財産区で整備しました。 子供の頃は「おおぎどて」って呼んで遊び場でした。 今はできないがスキーもやっていました。
階段が設置されております。
バリアフリーではないですが、高い階段ではないのでお年寄りも大丈夫です。
冬は雪でいい景色です。
ので四季を楽しめます
春は花見客が多いです
桜が綺麗です。
会津三十三観音 第十五番礼所 承案2年(1172年)当時川があり、川を渡る「金売吉次・吉内・吉六」船が転覆し溺死した 金売吉六の冥福を祈り建立されました。
観音堂向いにある「金売吉次・吉内・吉六・三兄弟御堂」があります。
目立たないです。
その近くに
金売吉六の墓 と言われています。
慶長5年(1600年)上杉景勝・直江兼続が、会津で神指城の築城を開始しました。 住民は移住し、約12万人が動員され、土塁と水堀が完成したが、徳川家康の会津征伐西会津より、工事中断、未完のまぼろしの城となってしまいました。
家の畑、休日作業しているかも。
私有地です。
神指城 完成予想図
これが完成していたら、東北最大溺死戊辰戦争に買っていたかもしれない。豊臣だったかな。 俺も住んでいないかも。
こんな感じです。
本当に大きかったと思います。
新選組殉難の地。母成峠での敗戦後、會津藩に残留した 斎藤一らは、ここ如来堂に立て篭り、新政府軍と戦いました。
入り口、見えにくいかも
看板があるのでわかると思いますが。
詳細
のこ様に書かれています
ここから見える田んぼ
とても自然です。 当時も
慶応4年(1868年)會津藩娘子軍で照姫の護衛部隊の竹子は、新政府軍との交戦で敵の銃弾を受けて、この地で最後となりました。
詳細
この様に書かれています。
毎年8月の暑い日如来堂行われる顕彰祭。
PTAで出席しました。
地碑
国会議員からいろいろな方々月の来賓されます。
女子児童の娘子舞奉-1
とても上手です。
その2です。
練習も頑張っています。
寛永12年(1635年)キリスト教禁止令でのキリシタンの取り締まりが激化し、60余名が処刑されました。 昭和37年(1962年)立てられました。
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会津と新潟を結ぶ越後街道の湯川にかかる橋で付近に道しるべとして柳がたくさん植えてあったので、別名柳橋
ここに休み小屋があって、処刑場にひかれる罪人は井戸の水で家族らと水盃を交わし、涙で別れをしのんだとされています。
かなしいですね。