ええ国つくっていきまひょ鎌倉幕府
神奈川ええ国つくっていきまひょ鎌倉幕府
まいどまいど! 学生時代、1192年と「いい国」とを掛けた「いい国つくろう鎌倉幕府」と授業で習い、そう年号を覚えた人もぎょうさんいたはるのではないでしょうか。 ただしこの鎌倉幕府の開幕時期においては1192年以外にも諸説あり(当プランでは1192年を有力説として編集)。 そもそも鎌倉幕府とは征夷大将軍に就任した源頼朝による武家政権のことで、これを一般的に鎌倉幕府と呼び、以後、室町幕府や江戸幕府へと継承されたという。 そんな鎌倉幕府の中心地・神奈川県鎌倉市。 ここにはかつての時代を彷彿させる鶴岡八幡宮をはじめ、周辺には神社仏閣が集中してはりまんな。 鎌倉にゆかりある北条時宗、夏目漱石、島崎藤村、三木清、そして源頼朝もかつては訪れたであろう聖地をめぐりながら散策していきまひょ。
東日本旅客鉄道の横須賀線と湘南新宿ライン、江ノ島電鉄の江ノ島電鉄線の鎌倉駅から鶴岡八幡宮へと続く参詣道。 商店街には飲食店や居酒屋、雑貨店などが立ち並ぶ。
別称、鎌倉八幡宮。 大分県宇佐市の宇佐神宮、京都府八幡市の石清水八幡宮、福岡県福岡市の筥崎宮と並ぶ三大八幡宮の一社。 祭神は応神天皇、比売神、神功皇后で八幡神と総称。 1063年、河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺または河内源氏氏神の壺井八幡宮を鎌倉の由比郷鶴岡に鶴岡若宮として勧請したのが始まり。 鎌倉に入った河内源氏後裔の源頼朝は宮を現在の小林郷北山に遷座。 幕府の中枢となる施設を整備。 1191年、社殿が焼損、改めて石清水八幡宮護国寺を勧請し、神宮寺を創建。
源頼朝による鎌倉幕府が開幕
源頼朝が鎌倉幕府を開く。 戦国時代、里見義豊・実堯と北条氏綱による鶴岡八幡宮の戦いにより焼失、北条氏綱が再建。 江戸時代、徳川家光の治世に薬師堂、鐘楼、楼門なども建立。 1868年、明治政府による神仏分離令により廃仏毀釈があり、八幡大菩薩など大部分が姿を消した。
境内には
北条政子が掘らせたと伝える池「源平池」があり、源氏池には島が3つ、平家池には島が4つ、それぞれ産(三)と死(四)を表すという。
太鼓橋
源氏池の島には旗上弁天社が鎮座し、源氏池と平家池を繋ぐ水路には石造の橋「太鼓橋(旧赤橋)」が架橋。 北条氏の庶流・赤橋家の苗字はこの橋の名称に由来するとか。 1219年、源頼家の子・公暁が階段脇に生えていた銀杏の木に隠れて待ち伏せ、この大階段を降りてきた源実朝を殺害、隠れ銀杏という別名も。
鶴岡八幡宮の歴史や鎌倉の魅力を紹介する季節展示などを目的とした文化発信拠点。 1951年、日本初の公立近代美術館として神奈川県立近代美術館が開館。 1949年当時の内山岩太郎神奈川県知事のもとに神奈川県在住の美術家や学者から美術館を要望する声があがり神奈川県美術家懇話会が設立。 2019年、リニューアルして開館。 建物は旧鎌倉館。
かつて鎌倉幕府の鎌倉(大倉)御所の西門があった。 鎌倉幕府とは鎌倉時代の日本の武家政権で征夷大将軍となる源頼朝が創始。 北条時政・北条義時らを中心とした坂東武士が設立した幕府。 頼朝の没後、御家人の権力闘争によって頼朝の嫡流は断絶、義時の嫡流である得宗が同幕府を支配。 1213年、将軍源実朝は西御門に赴き、和田合戦で傷付いた武士の実検を行っている。 1224年、三浦義村の西御門亭が焼失。 1238年、後藤基清、三浦家村らの居宅が罹災。 1247年、三浦泰村は合戦で敗れ、居宅を焼失。 後に北条義時が居を構えた。
源頼朝と豊臣秀吉
1416年、上杉禅秀の乱では、禅秀に加担した足利満隆、持仲が義堂周信開祖の保寿院で挙兵。 1454年、関東管領上杉憲忠が鎌倉公方足利成氏の西御門亭で殺害(享徳の乱)。 戦国時代、建長寺の所領があり、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐に際し、二階堂郷中の一つである当地に禁制を下し、掌握しようとした。
薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ 1180年、源頼朝は鎌倉に入り、屋敷を構え整備した。 これを後の大倉御所、大蔵幕府とも呼ぶ。 その大倉御所から離れた場所に位置する当地にあるのは源頼朝の眠る墓で、法華堂跡または持仏堂跡とも。 また付近には、毛利季光、大江広元、島津忠久の墓がある。 この山林一帯は島津家・毛利家から鎌倉市へ寄贈、国指定史跡となった。
祭神は源頼朝。 頼朝を祀る法華堂が存在したが神仏分離令により廃止。 法華堂とは法華三昧堂の略称で天台宗の法華三昧の行を行う仏堂のことをいう。 法華三昧とは天台宗における四種三昧の一つで半行半坐三昧のうち法華経に基づいて行われるもの。 1872年、白旗神社を建立。
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1147年、大阪府内に本拠地を置いた河内源氏の武将で源為義の長男にあたる義朝の三男。 尾張国愛知郡熱田(現在の名古屋市熱田区)の神宮大宮司・藤原季範の別邸(誓願寺)生まれ。 幼名は鬼武者、または鬼武丸。 1156年、父の義朝は保元の乱で、後白河天皇側で平清盛らと共に戦勝、崇徳上皇側の父の為義の助命を自身の戦功に替えて願うが許されず、父兄弟を斬首し左馬頭に任ぜられる。 1158年、頼朝は後白河天皇准母として立后した統子内親王の皇后宮権少進となり、統子内親王が院号宣下を受けると、上西門院蔵人に補される。
平家物語
上西門院殿上始において徳大寺実定、平清盛などの殿上人が集う中で献盃役を務める。 また右近衛将監に、二条天皇の蔵人にも補任。 1159年、平治の乱が勃発。 1170年代、北条時政長女・政子と結婚 配所の伊豆で挙兵、平兼隆を討つ。 石橋山の戦いが勃発。 1183年、源義仲と信濃国で対峙し、義仲の長男・源義高を人質とする後の平家物語。
源頼朝
1185年、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いにて平氏滅亡。 義経と行家に頼朝追討令が下り、義経と行家が都を去る。 義経と行家追討の院宣が下る 玉葉 1189年、衣川で義経が藤原泰衡に討たれる。 奥州合戦で奥州藤原氏滅亡。 初代征夷大将軍となり、朝廷と同様に京の都を中心に権勢を誇った平家政権とは異なる東国に独立した武家政権が開かれ、後に鎌倉幕府と呼ばれた。
正式名称は建長興国禅寺。 臨済宗建長寺派の大本山。 山号は巨福山。 本尊は地蔵菩薩。 1253年、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼によって禅宗の寺院として開基。 開山(初代住職)は南宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)。 第二世は兀庵普寧。 円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺と並ぶ鎌倉五山の第一位。 建長寺の境内やその周辺はかつて処刑場「地獄ヶ谷」で地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺があった。 心平寺の旧本尊と伝える地蔵菩薩像は今も建長寺に伝来。 蘭渓道隆は来日のため筑前国博多に到着し、京都で暮らした後、1248年に鎌倉入りし、常楽寺(鎌倉市大船に現存)で過ごした。
建長寺船
伽藍配置は中国式で寺内では日常的に中国語が使われていたという。 道隆は京都の建仁寺に移ったが鎌倉に戻って建長寺住持に復帰。1293年、鎌倉大地震が発生し、倒壊。 一山一寧は第十世となり、再建。 鎌倉時代、修復費用獲得のため、幕府公認で元へ貿易船(寺社造営料唐船)「建長寺船」が派遣。 江戸時代、徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築。
別名、山之内。 最寄りは東日本旅客鉄道の横須賀線の停車駅の一つである北鎌倉駅があるため一般的に北鎌倉と呼ばれる。 周辺には建長寺、円覚寺、東慶寺、浄智寺、明月院などの寺院が集中。 古くは山内庄(現在の鎌倉市の一部から横浜市栄区・戸塚区方面まで含む)と呼ばれ、この一帯を領した山内氏。 鎌倉時代、有力武家の屋敷や建長寺、円覚寺が建立し発展。 室町時代、関東管領の上杉氏(山内上杉家)が居を構え、現在でも地名「管領屋敷」が残る。
古民家を利用した施設。 年間を通じて様々な企画展が開催され、施設内には売店も。 元々、福井と横浜にあった築100年以上の古民家3軒を移築して合体。 1996年、開館。 雛人形、古屏風、着物などを展示することも。
山号は瑞鹿山。 正式名称は瑞鹿山円覚興聖禅寺。 本尊は宝冠釈迦如来。 開基は北条時宗。 開山は無学祖元。 臨済宗円覚寺派の大本山。 建長寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺と並ぶ鎌倉五山の第二位。 1282年、鎌倉幕府8代執権・北条時宗が国家鎮護のためと文永の役の戦没者の菩提を弔うため、円覚寺創建を発願。 中国僧の無学祖元(仏光国師)を開山(初代住持)に迎えて創建。 時宗は中国出身の高僧蘭渓道隆(建長寺初代住職)を師として禅の修行に励んだ。 蘭渓の没後、時宗は代わりとなる高僧を捜すべく、建長寺の僧を宋に派遣し、来日したのが無学祖元。
白鹿の群れ
時宗の父・北条時頼が創建した禅寺の建長寺が存在したが、官寺的性格の強い同寺に対し、当初の円覚寺は北条氏の私寺であった。 寺号の瑞鹿山は、円覚寺開堂の儀式の際、白鹿の群れが現われ、説法を聴聞したという故事による。 その鹿の群れが飛び出してきた穴「白鹿洞」がある。 寺号の円覚は、時宗と蘭渓道隆らが寺の創建する場所を探索の際、
北条氏
当地で地面を掘ると地中から石櫃に入った円覚経という経典が発掘されたことによる。 当寺では元寇で戦死した日本の武士と元軍(モンゴル・高麗等)の戦士が供養。 北条得宗の祈祷寺となり、北条氏と縁が深い。 毎週、一般も参加できる土日坐禅会が実施され、かつて夏目漱石や島崎藤村、三木清も訪れた。 「白鷺池」の名は開山無学祖元が鎌倉入りした際、鶴岡八幡宮の神の使いが白鷺に身を変えて案内したという故事に因む。
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大船仲通商店街にある弁当・総菜を販売する専門店。
クラフトビールの一つである江の島ビール(アメリカンスタイルペールエール)。 江島神社の祈願水仕込みであるといい、グレープフルーツ、シトラスもプラスされ、独特な風味とうまみが特徴。 1997年、創業。 1998年、鎌倉ビールが販売開始。 2003年、葉山ビールが販売開始。 2004年、江の島ビールが販売開始。 そのほか、鎌倉サイダー、江の島サイダーなど。