
築地から横須賀へ!「坂の上の雲」の戦艦三笠と猿島要塞で明治の日本海軍を知る!
神奈川築地から横須賀へ!「坂の上の雲」の戦艦三笠と猿島要塞で明治の日本海軍を知る!
横須賀訪問としてはかなりベタな内容ですが、司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」ファンはこんな日本海軍ベタでも大満足ではないでしょうか。 まずは築地で茂助だんごでお雑煮の朝食をとって海軍発祥を確認。 そのまま横須賀に移動しランチで海軍カレーを食した後、軍港めぐり→三笠→猿島見学+α。幕末好きは浦賀に移動しても。 さて夜はどうしましょう。横須賀で軍港ビューでと思ったのですが知らないので、東京で明治を偲ぶプランにしておきました。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」のクライマックス旅順閉塞作戦、日本海海戦での旗艦として活躍した三笠です。 長さは約132m、排水量1万5千トン。戦艦大和の全長263m、排水量約7万トンと比べると大分小さい船だということがわかります。 司令官はかの東郷平八郎で三笠のまえに銅像も建っています。
甲板上部
実は戦後アメリカに接収されてしまった後、払い下げで上部が取り壊されて水族館として利用されたりしたそうです。上部の艦橋やら何やらは英国で同時に造船されたチリの艦船の退役という幸運から好意でもたらされた材料による復元だそうです。
甲板主砲
なかなか迫力の主砲です。これも復元ですね。
東郷平八郎銅像
英雄東郷平八郎の銅像です。薩摩藩出身の海軍大将で、日露戦争海軍の司令長官です。連合艦隊を率いて日本海海戦で当時世界屈指のロシアのバルチック艦隊を一方的に破って世界的な名声を得、国民的英雄となりました。 ちなみにタイム誌最初の日本人カバーパーソンでもあるそうです。
東郷平八郎館長室
こちらの船主にある館長室で様々な指示がだされたのでしょう。ちなみに明治天皇の写真が掲げられています。
旗艦三笠の写真
艦内に掲示されていた旗艦三笠に関わる人の写真です。右下にいるのが「坂の上の雲」の主人公の一人、秋山真之です。旅順港閉塞作戦、日本海海戦の作戦参謀です。
聯合艦隊解散之辞
艦内に残されている「聯合艦隊解散之辞」です。日本海海戦終了後の解散式において司令長官の東郷平八郎が読んだ訓示で、東郷の筆ですが、起草は秋山真之によると言われています。 国家における海軍の大事を説きつつ、平時における海軍や海軍軍人のあり方について指し示し、有事に備える心構えの重要さを示したそうです。これを読んだセオドア・ルーズベルト米国大統領が感銘を受けたという話しも残っています。
夕暮れの三笠
黄昏れますねぇ。猿島からの戻りの船です。
東京湾唯一の自然無人島ですが、明治時代に陸軍海軍両方の所管の要塞として利用されていました。その後太平洋戦争でも基地化しますが結果実戦で利用されたことはありません。 島に切り通しを掘りそこを弾薬庫などとしながら砲台を設置する形をとっているので、外部からは全く要塞設備が見えない構造になっています。三笠公園から船で10分でたどりつけるライトな無人島です。夏場は海水浴やBBQなどにも利用され、また釣りのスポットとしても有名です。
切り通し
島を縦に切り通しが掘られており、そこに弾薬庫、そして砲台が設置されています。
砲台跡
この砲台跡は太平洋戦争寺に設置されたものだそうです。
トンネル
なぜか愛のトンネルと呼ばれています。「通ると・・・」とか書いてあります。島内の岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡のメインコンテンツでフランドル積みという方式のものだそうです。
天空の城ラピュタ
この光景が天空の城ラピュタを彷彿とさせると話題です。
初代ショッカー基地
初代ショッカーの撮影に利用された基地もあったりします。
海水浴場
夏場はこちらで海水浴をするのもよいですね。
ウッドデッキ
売店などもあってBBQをする人たちも多いみたい。夕方には最終戦が出ちゃいますが。
釣り場
島の端っこには階段で岩場に降りれる場所が二カ所有り、そこは結構良い釣り場のようです。昔の要塞の石垣を見ながら釣りをするのもオツですね。
戦艦三笠のすぐ隣にある桟橋から猿島への船が出ます。
時刻と料金
無人島なので最終で完全退去です。
「旧日本海軍の海軍食にイギリス海軍のカレーシチューを採用し、日本人の口に合うよう小麦粉を加え、とろみをつけてご飯にかけて食べるようにしたのが、家庭で食べられているカレーライスのルーツ」だそうで、大塚食品のいわゆる「ボンカレー」などもこの流れのものだそうです。これをご当地カレーとして観光名物として横須賀市が力を入れだして作られたのがこの店です。
海軍カレー
これが標準のカレーです。チキンとビーフがあります。
黒カレー
大人味です。コーヒーが隠し味。
軍艦カレー
変わり種としてこんな軍艦を模したカレーもあります。色々な戦艦の名前がついています。
模型
戦艦の模型が飾ってあったりもします。
横須賀製鉄所の建設を指導したフランス人技師レオンス・ヴェルニーの名を冠した公園で、現在でも海上自衛隊の護衛艦、潜水艦などをみることができます。
米国海軍の施設です。年4回「日米親善ベース歴史ツアー」が開催されていて、また毎年夏に「ネイビーフレンドシップデー」が開催されていますので、基地内の一部や艦艇が一般公開されます。そういうタイミングを狙って是非、日本海軍にとって大変重要なドライドックの見学をしたいものです。
米軍基地部分
横須賀港の主要な部分は米軍基地部分になっています。この中に明治の日本海軍にとって大変重要な施設ドライドックがあります。現在も米海軍および海上自衛隊の艦艇修理に使用されています。
横須賀造船所事業
幕府の小栗忠順がフランスに購入した船の修理を依頼した際、技術力に驚嘆し自国の造船技術を高める必要を唱えたことから横須賀製鉄所事業が始まりました。明治新政府がこれを幕府から接収した際、その重要性を認識して、中心人物であったヴェルニーに事業継続を伝え、ドック建設に発展したのがこの事業です。 日本海開戦後に東郷平八郎が「日本海海戦で勝利できたのは造船所を建設した小栗氏のお陰だ」と述べたことは有名ですね。
一号ドライドック
1871年完成の最古のドライドックです。その後改修などを経て今の状態になっています。一号から三号まではヴェルニー公園の対岸にあります。
三号ドライドック
1874年の完成当時の原型のまま現役ドライドックとして利用されている三号ドックです。風化した石材のコンクリートによる補修が行われたのみで大きな改修がないので、建設当時の姿を残しているドライドックとしては日本最古。6基あるドライドックの中の名物です。
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ご存知幕末に4隻の黒船でペリーがやってきた浦賀です。浦賀は、東京湾の入り口で深い入江になっており外海の波から守られていた天然の良港。江戸時代は番所があって東京湾に入るすべての船の積荷を調べる港でもあったとのこと。船の行き来が激しいところで、そんなことからペリーがこの沖にやってきたそうです。
浦賀水道
2万年前の東京湾は陸地で大きな川が流れていたそうで、その跡が海底にも残されています。その跡のところが東京湾の深い部分でもあり、大きな船はここを通るということで浦賀水道となっています。ペリーもそれを使ったわけですね。
軍港横須賀
明治に入りフランスの軍港トゥーロンにも似た横須賀に造船所と軍港の中心は移りますが、その後も天然の良港としての存在は続き、太平洋戦争終了後は太平洋側最大の在外邦人の引き揚げ港となりました。
国立がんセンター内の裏入口付近に並んで建てられている石碑です。海軍兵学寮は1871年(明治4年)に新築、1876年(明治9年)に海軍兵学校と改称、1887年(明治20年)に江田島に移転するまで築地にありました。坂の上の雲の秋山真之は、1886年(明治19年)に海軍兵学校に17期生として入学してますから、ここと江田島の両方にいたことになります。
築地中央卸市場内にある水神社前には「旗山」と刻まれた石碑が建っています。これが海軍発祥之地の碑です。1872年(明治5年)に海軍本省がここに置かれた時に「海軍卿旗」を掲揚したことに由来しています。
水神社
築地市場場内にある神社です。
朝食は茂助だんごのお雑煮をいただきましょう。鰹出汁で最高です。
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帰りは横須賀からJR横須賀線→上野東京ラインを使って一気に戻ります。夜は明治時代的な雰囲気を備えた神田万世橋あたりはどうでしょう。1912年-43年まで神田駅-お茶の水駅間にあった旧万世橋駅の赤レンガ高架橋をリノベした商業施設で食事などどうでしょう。
展望デッキ
旧ホームの部分が展望デッキとなっていますので、東京のビルの夜景に囲まれながら当時をしのんでください。
むぎとオリーブ
蛤ラーメンで有名なむぎとオリーブがあります。
せっかくなら〆には本格的に明治時代の食事をと思う方には、明治5年創業のいし橋のすき焼きを食べますかね。
すき焼き
創業100年超えの最高レベルのすき焼きをどうぞ。