龍馬の長崎はこれでバッチリ!
長崎龍馬の長崎はこれでバッチリ!
高知、京都/伏見につづいて長崎編の坂本龍馬観光です。思い入れのある方は是非。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」で龍馬役を演じた話題の福山雅治さん関連も少々入れてみました。 高知編(https://haveagood.holiday/plans/1594) 京都/伏見編(https://haveagood.holiday/plans/1293)
このプランの行程
亀山地域
街中
このプランのスポット一覧
龍馬の作った海援隊の前身で日本初の会社であり商社である亀山社中の跡です。現在は記念館になっています。 幕末頃の窯、亀山焼の窯元で働いていた人々の住居の跡を活用して使っていたそうですが、現在のものは老朽化した建物を改修復元して平成21年に「長崎市亀山社中記念館」としてオープンしたものです。
若宮稲荷の近くにある亀山社中資料展示場です。龍馬関連のかなりの資料がありますが、写真の展示などが多く、史跡的要素ではなく龍馬にまつわる説明を知れる場所として楽しむ場所です。
写真展示
写真の展示が中心です。あとはレプリカ展示との記念撮影とかで楽しみます。
楠木正成の守護だったことから「勤皇稲荷」とも呼ばれ、幕末の志士も参拝したといわれています。
長崎の街を見下ろす龍馬通りの高台におもむろにブーツの銅像があります。これは龍馬が愛用していたブーツを銅像にしたもので、実際に履いてみることも出来ます。
亀山社中のある山の龍馬通りの途中に龍馬の銅像が建っています。ここから長崎を見下ろしている姿が印象的!
「竜馬がゆく」文学碑
ここには司馬遼太郎さんの名作「竜馬がゆく」の文学碑もあります。
土佐出身で龍馬が「饅頭屋」と呼んでかわいがったとされる近藤長次郎の墓です。龍馬伝では大泉洋さんが演じていました。
近藤長次郎
亀山社中では番頭のようなことを担当していてビジネス面で大活躍でした。特に薩摩藩船ユニオン号購入に成功したりしています。ところが長次郎は、向学心から薩摩藩家老の小松清廉が費用を出し英商人トーマス・ブレーク・グラバーが船の手配をしてイギリスへ留学することになりました。しかし、亀山社中のメンバーには秘密だったため社中盟約書に違反として仲間たちより追及を受け、責任をとって小曽根乾堂邸で切腹してしまいます。
龍馬なら・・・
長次郎の訃報を聞いた龍馬は「己が居ったら殺しはせぬのぢゃった」とその死を悼んでいたと妻のお龍に行ったと言います。
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墓碑「梅花書屋氏墓」
龍馬の筆などと言われています。長次郎が自刃した小曽根邸の「梅花書屋」という離れの名だそうです。 切腹のおり介錯する者がなく、はみ出した自分の腸を障子に投げつけ、命絶えたと言い伝えられています。壮絶です。
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チラシ
お寺にお話するとこんなチラシもいただけます。龍馬伝のときは毎日いたけど、「久しぶりだ」って言われました。世の中そんなもんですね。
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龍馬をはじめ多くの幕末の有名人の写真を撮影した日本初のプロカメラマンとも言われた上野彦馬の撮影局の跡地です。撮影機械をかたどった祈念の碑や説明があります。
坂本龍馬写真
龍馬の写真は色々ありますが、いずれも上野彦馬が撮影したと言われています。
台
龍馬の写真と同じポーズで写真が撮れる台がおいてあります。
撮影機の像
上野撮影局を記念した撮影機の像があります。
明治の撮影局
明治の撮影局はこんな感じだったようです。
坂本龍馬の写真で有名な上野彦馬の生誕地です。
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日本の写真の祖といってもよい長崎の写真家上野彦馬の墓です。龍馬も写真も多く撮影していて、当時の写真でまともなものはすべて彼の写真といっても過言ではありません。風頭公園のすぐ下にあります。
龍馬たち志士を金銭的に支えたと言われている豪商大浦慶の居宅跡です。
大浦慶
日本茶輸出貿易の先駆けとして大成功し、龍馬達志士を金銭的に支えていた女傑。
晩年不遇
晩年不遇だったことなども書かれています。平庭が426坪とありますが、平置き駐車場に。
お墓は、お慶が信仰していた「歓喜天(かんきてん)」を祀る聖天堂のある清水寺本堂の近く。そこから100m程上った高台にあります。
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長崎で貿易を行っていた福建省出身の華僑の人々が創建した中国寺院で、日本最古のもの。龍馬ももちろんいったことあるでしょうし、龍馬伝でもロケに利用されました。 ちなみに高杉晋作が1862年に上海に視察に行く前に長崎でここにいる宣教師に話を聞きに来ていたとも言われてます。 九州の国宝5つのうちの3個が長崎でそのうち2つがここにあります。
国宝第一峰門
軒裏の複雑な組み方が特徴だそうです。
国宝大雄宝殿
特徴は軒回りの「擬宝珠付き垂花柱」。柱の手前のぶら下がってる奴ですね。長崎で現存する最古の建物だそうです。
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龍馬伝
ロケでも使われてます。高杉との会談のシーンです。ちなみにこの寺は高杉ゆかりなので印象的。
このアングル
ランタン
龍馬伝ではたくさんのランタンが飾られてました。実際ランタンフェスティバルってのが2月頃にあるそうですのでその時期に行くと良いかもしれません。
このアングル
国宝第一峰門
当初はここが山門。後に下に広がり二門になったとか。
豪商・小曽根家の邸宅跡。金銭的に龍馬や社中を支えました。また後の海援隊本部も設置されます。饅頭屋近藤長次郎が密航未遂の罪で切腹したのもこの場所です。現在は長崎地方法務局になっています。
お龍さんと月琴
月琴が得意だったといわれるお龍の様子を再現した像があります。
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龍馬の清風亭の会談の相手である後藤の長崎での居宅跡です。後藤は岩崎弥太郎に土佐商会を作らせ、土佐藩の軍備増強などを行います。もちろん龍馬も長崎の交遊関係を使いこれに絡んでいます。
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現在は幼稚園になっていますが、玉川邸という料亭があったところです。龍馬が土佐藩士佐々木高行とともに、長州の桂小五郎や伊藤俊輔(伊藤博文)と会談した場所です。
説明書き
玉川邸に関する説明が一角にあります。
長崎四福寺の一つ。慶応3年(1867)には、龍馬率いる海援隊の船が紀州藩船と衝突したいわゆる「いろは丸事件」の談判があった場所です。土佐藩参政・後藤象二郎と紀州藩勘定奉行・茂田一次郎の会談がおこなわれました。
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石門
「華蔵界」の文字があり金比羅神社から貰い受けたもの
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沢村惣之丞は坂本龍馬とともに土佐藩を脱藩し、勝海舟に入門した人物です。常に龍馬と行動を供にしました。龍馬の死後、慶応4年(1 868)1月、海援隊が長崎奉行所を占領したとき、誤って薩摩藩士を射殺したことで大事になり、責任を取り切腹しました。墓碑には「関雄之助延世」の名前で書かれています。NHK「龍馬伝」では要潤さんが演じてましたね。
沢村惣之丞
坂本龍馬とともに土佐藩を脱藩し、勝海舟に入門した人物です。常に龍馬と行動を供にしました。慶応3年(1867年)には龍馬暗殺の容疑者であった三浦休太郎の暗殺計画に参加し失敗(天満屋事件)。
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一つ目の看板
二つ目の看板
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土佐藩の長崎出張所。後藤象二郎から岩崎弥太郎が運営を任され武器輸入などを行っていました。その際、龍馬とも絡みます。結果海援隊の経理を後藤がサポートし、結果これが三菱の礎になります。鐵橋の手前に碑が建っており「海援隊発祥地」と記載されています。
夕顔丸
土佐藩船「有顔丸」の像が設置されています。
海援隊旗
海援隊の旗が掲げられています。
説明書き
運営を行っていた岩崎弥太郎に関する記載があります。
梅屋
梅屋商店が土佐商会の家主でした。弥太郎に可愛がられた梅屋庄吉はのちに孫文を支えたとのこと。歴史凄い。
薩摩藩はここを拠点としており、亀山社中への援助もここから行っていたので、龍馬との縁も深いと言えます。幕府と戦争かにあった長州藩の伊藤博文や井上馨なども薩長同盟締結時にはこちらにかくまわれていました。現在の三菱UFJ銀行ですね。
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清風亭は、旧榎津町にあった料亭で、龍馬と後藤象二郎が初めて会談を行った場所。仇敵だった二人が、以後、供に力を合わせていくきっかけとなり、慶応3年(1867)4月には土佐海援隊が成立、10月には大政奉還が実現しています。
説明書き
現在、跡地には説明板が設置されていますが長らく具体的な場所が分からなかったようです。
こじつけですがNHK龍馬伝で龍馬役だった福山雅治さんが行かれるラーメン屋さん。
サイン
福山さんのサインだけではなく、近藤長次郎役大泉洋さん、沢村惣之丞役の要潤さん、岩崎弥太郎役香川照之さんのサインもありますね。
バクダンちゃんぽん
これを食べてたのですかね?みなさん。ニンニク盛りされてます。
ラーメン
とんこつに胡麻油?なかなか独特。麺は博多ではなく、札幌一番系な奴です。
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長崎の丸山町は幕末の長崎の志士達が夜をすごした花街です。
史跡料亭の卓袱(しっぽく)料理
史跡料亭という非常に珍しい形で運営されているので、今でもお部屋でお食事をいただくことが出来ます。卓袱(しっぽく)料理というヨーロッパや中国の影響を受けて長崎で独自に発展した料理で、もともとの「卓袱」は、丸い中国風の朱塗りテーブルとのことです。夜は夜で良いのでしょうが夜は色々な店が候補に挙がるでしょうから、是非昼食をこちらで取られるとよいと思います。
建物
建物も非常に趣きあります。
竜の間
大広間の「龍の間」の刀傷は松本良順と遊びに来た坂本竜馬が残したものだといわれています。
刀傷
広間の刀傷はこれです。見学させてくれます。が、本当かはやや?
集古館
龍馬直筆の書などを展示しています。他にも、映画「長崎ぶらぶら節」で有名になった名妓・愛八直筆の歌本や写真、向井去来の俳句 や頼山陽の書などが展示されています。
長崎で一番驚いたのはこの出島。出島が周囲の埋め立てで街中にあります。近年観光資源を増やすために出島の周りを堀のようにして当時の出島の再現が進められているので多少はイメージ出来るようになってきましたが、この光景にびっくりです。
龍馬と出島
オランダをはじめとする外国と交易を行っていた亀山社中ですから当然出島を訪れることもあったようです。
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これですからね
海側の護岸
こちらが海側の護岸です。
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グラバー園の広大な敷地には数多くの洋館が立ち並んでいます。当時からあるもの移築したものなど色々ですが、一番の目玉はもちろんグラバー邸です。龍馬が取引してたトマス・グラバーの当時の様子を垣間みれます。
トマス・グラバー
幕末の商人で「グラバー商会」を設立して貿易業を営みつつ、討幕派の藩、佐幕派の藩、幕府問わず、武器や弾薬を販売していました。もちろん龍馬を支え亀山社中とも取引を行っていましたが、どちらかというと商人の色彩が強いです。薩摩藩、長州藩の密航イギリス留学の手引きなどもしていました。維新後は長崎の炭坑開発、ブリュワリーなどを岩崎弥太郎などと行ったりもしていて麒麟麦酒も誕生しています。
グラバー邸
一番の目玉のグラバー邸。面白い建築様式なのもそうですが、長崎の街から志士達がここを訪ねていたことを想像するのが楽しいです。
隠れ部屋
夫人部屋前の廊下の天井には屋根裏にある隠し部屋が残されており、幕府に対しても取引をしながら志士達をかくまうというようなこともしていたことを伺わせます。
もちろん正確な住所では表示しませんが、NHK龍馬伝で龍馬役を担当された福山雅治さんのご実家は稲佐山の麓にあるそうです。タクシーの運転手さんが良く案内しているという噂も。
稲佐山ライブ
稲佐山では福山さんのライブも何度か行われています。
夜景
日本三大夜景の1つ稲佐山の夜景です。普通ここにはこれを観に行きます。
全然関係ありませんが、長崎に宿泊するなら隈健吾デザインのガーデンテラス長崎がオススメです。稲佐山ほどではありませんが、長崎の入り江を見下ろす夜景の綺麗なホテルです。
客室
モダンな客室
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