ごんぼそばで春を食し、河内音頭で過ごす近鉄八尾
大阪ごんぼそばで春を食し、河内音頭で過ごす近鉄八尾
まいどまいど! 大阪府の東部、河内の一部に属する八尾市には近畿日本鉄道大阪線が走り抜け、大阪市中心部にある大阪難波と奈良県とを結ぶ。 その中間地点にあたる近鉄八尾駅前には昔ながらの雰囲気漂う商店街「ファミリーロード」があり、昼夜問わずぎょうさんの買い物客、観光客が行き交ってはります。 観光といえば、八尾は古くから「河内音頭発祥の地」として知られ、ファミリーロード付近にある常光寺境内には石碑も建立。 また、吉本興業に所属している河内家菊水丸さんを中心とする河内音頭記念館も開設され、市内全体で盛り上げてはります。 その他、歴史的にも文化的にも貴重な八尾天満宮があり、祭神は恵比須様。 毎年1月8日には商売繁盛を願う十日戎ならぬ八日戎が催され、ぎょうさんの参拝客によるにぎわいをみせまんねん。 また、古くは八尾市やその周辺は河内県と呼ばれ、県庁を大信寺に。 今でも河内県庁跡として語り継がれてはります。 さらに大阪を代表するなにわ伝統野菜の一つ「若ごぼう」は八尾産として知られ、2月上旬から4月にかけての期間(変動あり)「葉ごんぼそば」として味わうことができることも。
ヤッタくん。 八尾市水道局で生まれた。 水の大切さや水道局の役割などをPR。 大阪・御堂筋「御堂筋カッポ」のほか、八尾市のイベントに登場!
みずまるくん
大阪・御堂筋「御堂筋カッポ」のほか、八尾市のイベントに登場!
長瀬川は、淀川水系として知られ、大阪府柏原市内で大和川から分流した一級河川。 途中、玉串川に分流しながら、大阪市城東区で第二寝屋川と合流する。 古来より水運として利用され、現在の大和川が整備されるまでは、大和川と呼ばれていた。
付近は、河内音頭発祥の地として知られ、商店街には、河内家菊水丸氏による河内音頭記念館が設けられている。 また、毎月11日と27日はお逮夜市(おたいやいち)が開催され、この日限定で販売される商品も。 毎年7月には、イベント「わんぱくちびっこカーニバル」を開催。 地域のこども達に向けた模擬店を出品。 白バイや消防車に乗って記念撮影もできるとか。 「はがき供養」では、ご家庭で不用になった葉書や手紙を八尾天満宮境内にて供養する。 宮司によるお祓い行事を行った後、お焚上げの儀を行う。
お逮夜市
八尾御坊(大信寺)と久宝寺御坊(顕証寺)との間に続く露店市が起源。 現在は複雑な交通事情を理由に、規模が縮小され、八尾御坊の境内、御坊前の道路上に露店商が店を並べている。 ここでは、苗物、農工具、古着、荒物、雑貨品などを販売。 毎月27日は宗祖親鸞聖人の逮夜日にあたるため、はじまったとされる。
大阪府内で古くから伝わる街道の一つとして知られている。 大阪府枚方市の桜町交差点を始点として、寝屋川市、国道170号線大阪外環状線、四条畷市、大阪府大東市などを経由する。 終点は、大阪府八尾市とされ、商店街「八尾ファミリーロード北」では石碑が建立。
河内音頭とは、大阪府八尾市を中心とした中河内地域を発祥とする伝統的な音頭。 主に、盆踊りで使用され、全国的に愛聴されている。 江戸時代、大阪府全域で歌われていたそれぞれの地域の音頭や民謡、祭文などを混合、改良して成立。 元来は亡くなった人々の魂の鎮魂歌として親しまれ、現世に回帰した際の霊魂をおもてなしする意味が含まれている。 2012年、河内家菊水丸は大阪府八尾市で開館した河内音頭記念館の館長に就任した。
別名、牛頭天王社、栗栖神社。 祭神は、宇麻志麻治命、品陀和気命。 創建時期など詳細は不明。 1337年、周辺は八尾荘と呼ばれ、常光寺の僧顕幸(八尾別当)らが中心となって八尾城を築城、南朝方についたが、湊川の戦い後に敗北、北朝方の兵火により焼失。 南朝方の高木遠盛ら軍勢が八尾城の奪還を企図し猛攻をかけ、八尾城は再建。 織田信長の家臣で切支丹武将の池田丹後守教正の居城を廃城。
八尾神社へ
室町時代、河内国守護の畠山氏の内紛のために戦乱に巻き込まれて焼失。 八尾市跡部では物部守屋の阿都の別業が営まれ、八尾市一帯は物部氏とその同族の栗栖連に関係した。 1735年、牛頭天王を祭神としたが「栗栖神社」に改称。 明治時代、品陀和気命を祭神とする八幡社が合祀。
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南禅寺塔頭金地院の末寺で、山号は初日山。 通称、八尾地蔵尊と呼ばれている。 本尊は地蔵菩薩で、小野篁の作と伝わる。 境内には、大坂の役で戦死した藤堂家の戦死者の墓がある。 奈良時代、僧行基が創建した。 室町時代、足利義満から、自筆の「初日山」「常光寺」の額が納められた。 大坂の役において、付近は激戦地となったが、本寺は徳川方の保護を受けた。
河内最古之音頭発祥地
山門脇には、大坂城の残石と「河内最古之音頭発祥地」の碑がある。 常光寺の「流し節正調河内音頭」 は、河内音頭の原型とされ、「日本の音風景100選」に選定された。
本格的な手打ちそばを味わうことのできる専門店。 1893年、お茶の専門店として創業。 1985年、手打ちそば・うどん店を併設。 落語会や日本酒の会などのイベントが定期的に行われている。 蕎麦は現在、福井県大野・勝山産と福島県会津の蕎麦粉を使用しているといい、そのときの良質な蕎麦粉を使用した蕎麦を提供しているとか。 蕎麦以外にも河内鶏を使用したそばや抹茶プリンなどがあり、楽しみ方も様々。
葉ごんぼそば
大正時代から続く大阪・八尾の伝統野菜の一つ「若ごぼう」の葉を使用した「葉ごんぼそば」は2月上旬から4月下旬にかけての期間限定販売。 「葉ごんぼそば」とごぼうを使用した「天ぷら」が人気。 葉ごんぼそばは、粉にした葉が練りこまれ、ほろ苦い味が伝わってくる。 日本でもここだけにしかないという八尾産の葉ごんぼそばはまさに地産地消。 もちろん、
やんちゃいなり
黒米(古代米)や金胡麻、紅生姜使用した「やんちゃいなり」も定評
寺内町として発展してきたため、「八尾の天神さん」とも。 祭神は、天穂日命、菅原道真。
歴史
片桐且元が創建。 中門は、寺内町の木戸門を移建したもの。 境内には寺内町開発者森本行誓の六代・孫房吉寄進の灯篭がある。
恵比須神
恵比須神を祀り、毎年1月8日は「八日戎」が開催される。
真宗本廟(東本願寺)を本山とする。 別名、八尾御坊。 本願寺の内部対立が勃発し、顕証寺(久宝寺御坊)と慈願寺による内部対立が勃発。 後に、本願寺が東西に分裂し、顕証寺は西本願寺派、慈願寺は東本願寺派に属した。 1607年、大信寺(八尾御坊)が建立。 以降、大信寺を中心とする八尾寺内町へ発展していく。 1869年、大信寺内の対面所に仮役所として河内県庁が設置された。 後に、堺県を設置し、河内県は廃止されたが、堺県出張所、八尾郡役所として利用された。
大阪府八尾市を中心とした河内地方は、全国有数の綿作地帯として知られ、綿から糸を紡いで手織りされた木綿「河内木綿」と呼ばれていた。 戦国時代、朝鮮半島から輸入されてくる木綿は高級品であったため、木綿の原料となる綿を国産化した。 当初、三河地方で作られていたが、次第に河内地方でも作られるようになった。 明治時代、機械化が進み、姿を消した。
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近畿日本鉄道大阪線の停車駅の一つである近鉄八尾駅の高架下に位置する商店街。 ペントモールは1番街から5番街までと、ペントプラザがある。 飲食店や居酒屋、雑貨店、薬局などがある。
近畿日本鉄道大阪線の停車駅の一つである近鉄八尾駅の高架下に位置する。 昔ながらの雰囲気漂う店内では、テーブルと椅子があり、ゆったりと味わうことができる。 システムは基本、セルフサービス。 メニューは、にしんうどん・そば、天ぷらうどん・そば、はいからうどん・そばなどがあり、店先に置かれている券売機で食券を購入、または券売機に掲載されていないメニューに関しては直接、注文する。
とんかつカレーうどん
券売機では販売されていない「とんかつカレーうどん」を注文することにした。 暫く待っていると、とんかつの入ったカレーうどんが登場し、心も体も温まる満足の一杯。
1981年、竣工。 2017年、西武八尾店が閉店し、リノアスとして開業。 スーパーマーケットを中心にやレストラン、書店、雑貨店、就労支援を行う「八尾市ワークスペース」、地元企業の新製品開発などを促すオープンイノベーション拠点「みせるばやお」などがある。 2017年のグランドオープンセレモニーには、大阪府知事や八尾市長、府立八尾高校の吹奏楽部による演奏、河内家菊水丸氏による河内音頭などが披露された。 LINOAS(リノアス)の「LINO」とはハワイ語で「光る・輝く・結びつく」、「AS」とは日本語の「明日」からなる造語。 イメージキャラクターは、ALEX(パンダの雄)、LINDA(クマの雌)。
コクヨ八尾工場が閉鎖。 2006年、アリオとしては5店舗目、関西地区としては初出店となる大型ショッピングセンターが営業開始。 地上5階建、スーパーマーケットやシネマコンプレックス、オートモール(サービス工場併設の自動車ショールーム)がある。 1階では、路線バスやタクシー乗り場を中心とした交通広場(ロータリー)が設置。
愛称、寺内町ふれあい館。 久宝寺寺内町の歴史的遺産の継承と八尾市のまちづくりについての地域活動の拠点として設置。
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別名、久宝寺御坊 浄土真宗本願寺派。 山号は近松山。 飛鳥時代、聖徳太子が「久宝寺」を創建。 久宝寺という地名の由来とも。 付近の許麻神社には太子創建を伝える久宝寺観音院があったが廃絶。 1469年、本願寺8世法主蓮如は、近江国近松(滋賀県大津市)に顕証寺を創建。 本願寺派近松別院となり、寺号は久宝寺御坊顕証寺に引き継がれた。 1470年、蓮如は河内国渋川郡(東大阪市・八尾市)を訪れて布教活動を開始。 当初、慈願寺を本拠としたが、久宝寺跡に「西証寺」を建立。 久宝寺城主の安井氏は地域住民が一向宗に与するのを見計らい、地域支配を維持するために創建に協力。 近江顕証寺から蓮淳を迎え、顕証寺に改称。
安土桃山時代にも
1541年、戦乱を防ぐため、顕証寺を中心に二重の堀と土塀を巡らし、その内側に碁盤目に道を巡らした寺内町を造成。 寺内町では顕証寺が支配権を持ち、安井氏がこの権利を委されていた。 交野郡招提や石川郡大ケ塚といった河内国の他の寺内町も統轄。 安土桃山時代の石山合戦の際、顕証寺は講和派(顕如)、慈願寺は抗戦派(教如)に分裂、対立。 本願寺東西分裂の際も顕証寺は西本願寺、慈願寺は東本願寺に属した。
大坂冬の陣・大坂夏の陣
1606年、顕証寺と安井氏の支配に異を唱える慈願寺と森本行誓らは旧大和川の本流にあたる現在の長瀬川の東岸、若江郡八尾の荒地を開墾、八尾御坊(真宗大谷派八尾別院大信寺)を中心に八尾寺内町を造成。 1614年に大坂冬の陣・大坂夏の陣が勃発、周辺は主戦場の一つとなり、焼き払われ、焼け野原になった。 2019年、府指定文化財に登録。 西本願寺は蓮如の子蓮淳が開基し、大谷宗家に準ずる連枝格寺院となった。
創建時期など詳細は不明。 「大狛」「狛」を姓とする氏族が関係するとか。 江戸時代、「久宝寺の牛頭天王」と称していたとか。 飛鳥時代、聖徳太子が「久宝寺」を創建し、現在の「久宝寺」という地名の由来とも。 許麻神社には太子創建を伝える久宝寺観音院があったが廃絶。
大阪市平野区の緑地公園である。 また、周辺にある八尾市や東大阪市をまたぐ。 1971年、開園。 園内には観光案内所が併設されたコンビニエンスストアも開業。
大阪四大緑地
服部緑地(豊中市、吹田市)や鶴見緑地(大阪市鶴見区、守口市)、大泉緑地(堺市)とともに「大阪四大緑地」に数えられる。
園内
公園内には、野球場、陸上競技場、テニスコート、プールなどの施設がある。 ここでは、「北エリア」「中エリア」「東エリア」の3つのエリアに分かれ、それぞれに「ファミリーゾーン」「スポーツゾーン」「プレイゾーン」がある。