NHK大河ドラマ『花然ゆ』舞台の萩には幕末がそのままあります!
山口NHK大河ドラマ『花然ゆ』舞台の萩には幕末がそのままあります!
NHK2015年大河ドラマ『花然ゆ』は吉田松陰の妹をテーマにしていますが、その舞台の萩。日本海側の小さな街で交通の便も良くないため幕末がそのまま残っています。関ヶ原後、徳川が毛利を防長二州に押し込め、居城も日本海側の萩を指定した結果なのですが、山陰の閉じた場所で育まれた倒幕の思いが明治維新→明治新政府に繋がって行きます。総理大臣が山口からやたらとでているというのもこのつながりといえるかもしれません。 やっぱり山陰の閉じた場所ということで、おとろくほど萩には幕末のまんまの建物が沢山あります。同じく日本のはじっこの薩摩と比べるとそのまんまっぷりにホントにびっくりします。 幕末の長州のことをあまり知らない方は是非、吉田松陰のこちら(http://bakumatsu.org/blog/2012/05/syoin.html)と高杉晋作のこちら(http://bakumatsu.org/blog/2013/06/takasugi.html)を読まれてから行って下さい(本当は司馬遼太郎の「世に棲む日々」を読んで行ってください。)。 幕末のまんまの萩を是非一度。
なんと当時のそのままの松下村塾があります。毛利は関ヶ原に負けて、本州のハジッコ、しかも交通の弁も悪い日本海側の小さい街の萩に押し込められたので、逆に150年以上立ってもそのまんまが残っているんですかね。 かの吉田松陰がたくさんの弟子達を教えていた様が目に浮かびます。当時の松蔭が十代だったってのが衝撃ですが。
松下村塾の建物
とにかくそのままです。現代の人と比べると当時の人達の身長はとても小さいので建物もえらく小さい感じがします。
東京世田谷にも松陰神社はありますが、実は由来が異なります。東京は松蔭の死後墓を毛利ゆかりの地に移して作ったことに端を発して建てられたもので、先に出来たのは東京の松陰神社です。 こちらの萩の神社は殉節から31年後の明治23年、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われ、そのとき松陰の実家、杉家の手で松陰を祀る土蔵造りのほこらが建立されたのが神社のはじまりのようで、実際にご遺体のある東京の松陰神社が大分先だったのですね。 松陰神社の祭神はもちろん吉田松陰。ここでは吉田矩方命(のりかたのみこと)とされています。 今では、久坂玄端命、高杉晋作命はじめ松下村塾の面々も祭神に加えられています。
吉田松陰歴史館
短くも激しい吉田松陰の生涯を、20シーン70余体の蝋人形で再現しています。が、まぁ蝋人形館ですね。
吉田松陰幽囚の旧宅
神社の境内にある実家杉家。吉田松陰が伊豆下田で海外渡航に失敗し、江戸伝馬獄から萩野山獄へ収容された後に預けられた場所です。ここで謹慎して読書と著述に専念し、やがて松下村塾で教えるようになった流れがわかります。
普通に松蔭博物館です。有料と無料とありますが、是非とも有料も見てみて下さい。遺墨・遺品類がたくさんあります。是非とも10代で藩の指南役となり24歳で黒船に小舟で乗り込もうとした長州の類いまれな思想家・活動家の生涯を堪能しましょう。
吉田松陰
10代で藩の指南役となり24歳で黒船に小舟で乗り込もうとした長州の類いまれな思想家、活動家。著名な松下村塾での後進育成活動は、黒船に残り込もうとして捕まった後の幽閉中の話です。
留魂の間
刑死される前日に書き遺された門下生・塾生への遺書『留魂録』を展示しています。“身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”です。
松下村塾復刻版原稿用紙
併設のミュージアムショップで、松下村塾復刻版原稿用紙が売られています。
桂小五郎の生家です。今でも奇麗に維持されているのですがそれは当時からそういう家なのか、それとも木戸家が明治の元勲であり今も良家だからか、それは後者なのでしょうかね。
桂小五郎
まだ桂小五郎を名乗っている時代の写真です。この家ではこの頃よりもさらに前に育ったのでしょう。 長州のリーダーです。
木戸孝允
明治の元勲木戸孝允を名乗ってからの写真です。墓地は京都の霊山です。
木戸家と比べると高杉家の方がややこじんまりした感じがあります。ここからあの奇抜なスーパースターが誕生したのかと立ちすくみましょう。
高杉晋作
幕末のスーパースター。男子なら誰もが憧れる高杉晋作。伊藤博文をして「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し 衆目駭然、敢て正視する者なし これ我が東行高杉君に非ずや」と言っています。 高杉の生涯をざーっと知りたい方はこちら(http://bakumatsu.org/blog/2013/06/takasugi.html)を。 もっと詳しく知りたい人は、司馬遼太郎の「世に棲む日々」を。
高杉晋作、伊藤博文が学び遊んだ大きな天狗面のある寺です。高杉家のすぐ隣ですね。
天狗の面
これですね。どうやって遊んだのでしょうかね。
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下田で黒船への密航に失敗した松蔭は、江戸伝馬町の牢獄に捕らえられた後、萩に送られます。その時萩での牢となった野山獄跡です。このとき一緒に密航を企てた金子重輔は身分が低かったのですぐ近くのより劣悪な岩倉獄に入れられました。金子重輔は岩倉獄の劣悪な環境の中で絶命してしまいました。
旧萩城の外堀から外側に広がる城下町は、町筋は碁盤目状に区画されていたようですが、その姿がうかがいしれます。中・下級の武家屋敷が軒を連ねていた地域で、この先に高杉家などもありますね。
藩の御用商人を務めていた豪商菊屋家。屋敷は江戸初期の建築で400年ものです。約2000坪の敷地の約3分の1が現在公開されています。また幕府巡検使の宿だったようで当時の様子を復元し公開してます。本当にいい旧家です。
天守閣はありませんが、萩城趾の公園です。海沿いの姿がとてもよいです。 毛利家は関ヶ原に負けてから300年弱ずっと、正月の挨拶に「殿、徳川追討の件、今年はいかがいたしましょうか」「いや、その件は来年に延期するとしよう」というやりとりを公式行事としてしたそうです。大政奉還のあとも、毛利は「いつ将軍になるのだ?」と言ったとか言わないとか。そんな徳川への恨みつらみの詰まったお城と言えるでしょう。 山陽の要所にある広島の開けた姿とこの閉じた萩を見比べればその思いも理解出来るような気もします。 しかし、その後この小さな山口県からたくさんの総理大臣が誕生しているという流れを生んでいるわけですが。
萩城旧姿
このときに姿を見たかった。
天守
奇麗な天守台の石垣です。
萩城の近くにある萩にまつわる博物館です。歴史には限らないのですが、高杉晋作資料室があります。高杉晋作の奥様の話しが非常に印象的でした。
高杉晋作資料室
実は高杉晋作には、子供がいます。実際の夫婦生活は本当に短い間しかなかったのに、直系子孫がいるなんて驚きです。ここでは東京在住の晋作曾孫高杉勝氏より同家に伝わる史料一括が寄託されています。産着から最晩年の書まで、一人の人物にかんする史料がこれほど残っている例は貴重といわれています。晋作のことは「良く知らない」と言ったと言われる妻の話が印象的でした。
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約150年間毛利の治めていた防長二州の文教の中心となっていた藩校が明倫館です。その跡地には史跡有備館に合わせた意匠で木造小学校舎が建てられており(なので当時の明倫館はこの形ではないです)、国登録有形文化財となっています。 桂小五郎、長井雅楽、吉田松陰、高杉晋作、井上馨らが出身者といわれています。
明倫館遺構南門
1849年に新築された新明倫館の正門として建てられたもので、明倫館全体からみて南にあたるので南門と名付けられたそうです。一時別の寺の門に移されたそうですが、昭和に入ってもとの場所に戻しました。
明倫小の向かいには、旧藩校時代の明倫館の復元があります。こちらをイメージしてください。そりゃそうですよね、江戸時代ですから。
吉田松陰が生まれた場所です。東光寺近くの山中にあります。萩の中心部にある木戸や高杉の家とは全く違う環境だったことがよくわかります。でも、みな松下村塾に通って来たわけですからね。地理関係を踏まえて想像しましょう。
吉田松陰・金子重輔の像
松陰誕生地近くに吉田松陰と金子重輔の像があります。明治維新100年を記念のものですが、黒船に乗り込むことを企てた2人の姿ですね。
希代の思想家であり活動家の吉田松陰のお墓参りをしましょう。時代を変える上では思想家の存在は極めて大事ですね。 とはいえ本当のお墓は東京世田谷です。ここでは松陰没後100日に吉田家墓地に親戚、高杉晋作、久坂玄瑞をはじめ在萩の門人が出席して、遺髪を埋葬したそうです。なので髪のみここに眠っています。
東京の松陰神社の墓
吉田松陰は、安政の大獄に連座して江戸伝馬町の獄中で刑死しました。その4年後の門下生であった高杉晋作、伊藤博文らが世田谷若林の現松陰神社の地に改葬したそうです。一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主の別邸のあったところだったそうです。
初代総理大臣伊藤博文の旧宅です。伊藤が総理大臣になるころには長州の大物たちはみーんな死んでしまっていたし、薩摩の大久保も暗殺されてしまったので、残った伊藤にお鉢が回ったとも言えます。最後は公家の三条実美との二択だったようですが、外交を考えて英語が出来る伊藤になったということ。江戸時代に国禁を破ってイギリスに留学って結果がこんなところに繋がるのですね。 明治後東京に立てられた伊藤邸を移築した別邸と比べてみると維新の前後での立場の違いがよくわかります。
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明治40年、伊藤博文が東京府下荏原郡大井村(現:東京都品川区)に建てた広大な別邸の一部を移築したものだそうです。品川と言えば若き伊藤博文が高杉晋作とともにイギリス公使館焼き討ちをおこなった御殿山がありますね。 明治に生き残り、初代総理大臣となった伊藤がとても立派な家を構えていたことを、伊藤旧家との比較や、そもそも維新の前に死んでしまった高杉家や松蔭の松下村塾との対比でみると面白いです。
松下村塾の創立者であり松陰の叔父である玉木文之進の旧宅です。この人がいたから吉田松陰が生まれたとも言えるかもしれません。
玉木文之進
松下村塾を開いて、幼少期の松蔭を厳しく教育したといいます。また乃木希典も玉木の教育を受けたといいます。
毛利家の奇数代藩主が祀られている菩提寺です。松蔭の生まれた家のすぐ裏にあります。
山県有朋は、高杉晋作の奇兵隊創設とともにこれに参加し軍人としての頭角をあらわして行きます。維新後長州の中心人物として活躍します。特に海軍は薩摩、陸軍は長州という棲み分けの中で、陸軍の中心人物になって行った人です。
山県有朋
奇兵隊で活躍して頭角をあらわし、維新後は軍人政治家として活躍します。日本陸軍の祖とも言われます。
萩のお宿はこちらがよいかと思います。やや高級ですが、温泉もよいですし、松陰神社や東光寺を中心とした地域にも近いですので。
展望台
宿に展望台がついていて、萩が一望出来ます。夜景も奇麗ですね。
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萩出身のかたにここは絶対外せないよと言われたそば屋さんです。美味しそうですね。
せいろそば
段重ねのせいろそば。何段食べますかね。
夕食はこちらがおすすめみたいです。見蘭牛の鉄板焼が名物ですが、刺身も大分おいしいみたいです。 予約マストです。
見蘭牛
和牛のルーツといわれている「見島牛」(父)とオランダ原産のホルスタイン種(母)を交配させて誕生した牛だそうです。見島牛の霜降りと、和牛原種の濃い旨味が魅力だそうです。
刺身
大分美味しいみたいです。萩の刺身醤油がいいとか。
同じく見蘭牛をお昼に食べるならこちら。道の駅なので、通る予定があればって話ですが。
ハンバーグ究極の黒
見蘭牛のハンバーグです。
極
和牛の原型の見島牛100%だそうです。土日だけでかつ数量限定です。
見蘭バーガー
テイクアウトでは見蘭牛のハンバーガーやメンチカツもあります。