
友ヶ島で考える永遠の課題「平和について」
和歌山友ヶ島で考える永遠の課題「平和について」
戦争と聞いて、何を連想しますか。 例えば、広島県の原爆ドームや広島平和記念公園、長崎県の平和祈念像や平和公園等を思い浮かべるでしょう。 ただそれらはほんの一部であり、大阪では幾度もの大阪大空襲を乗り越え、市内に住んでいた子供たちは吹田市等に集団疎開、都島区の京橋駅前地下や旭区の淀川河川敷には千人塚が建立され、千人以上の遺体を供養。 大阪城周辺では陸軍施設・軍需工場が攻撃され、東住吉区では模擬原爆(原子爆弾の模擬)が投下されました。 そんな戦争当時を物語る場所の一つが和歌山県沖に浮かぶ友ヶ島。 友ヶ島と聞くとどことなく明るい印象を受けますが、島内には戦争当時の砲台跡や宿舎などの旧日本軍の関連施設が現存しています。 また山裾に掘られた防空壕らしき穴も点在し、ここで過ごした人々の思い「家に帰りたい・家族と再会したい」必死さ、この世に生まれてきた人間本来としての「生きていくこと」への命の尊さが伝わってきます。 なぜ、戦場に血と涙が流れるのでしょうか。 二度と同じ過ちを繰り返してはならない。 学校を中退・卒業したばかりの若者たちが犠牲となった戦争を今一度、考えてみませんか。
紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ無人島群(地ノ島、神島、沖ノ島、虎島)の総称。 対岸の加太にある淡嶋神社は、神島が発祥の地とされる。 江戸時代、紀州藩の藩主の徳川頼宣の命令を受けた紀州藩の蘭学者、李 梅渓が虎島内に葛城修験道における「行場」を書いた文字を彫った。 これを五所の額という。
孔雀
沖ノ島では鹿、孔雀が棲息。 過去に、南海電鉄グループが観光用として放たれたもの。
友ヶ島からの眺望
公衆便所では、屎尿の汲み取りが出来ないため、水は一切使用しない。 そこで、杉のチップを用いて微生物の働きによって汚物を分解し、それによって作り出された液によって便器を洗浄して再利用する自立循環型の「バイアニクストイレ」を採用。
かつてのキャンプ場、バンガロー村
南海電鉄グループの観光開発により、島内では、キャンプ場やバンガロー村として賑わっていたが、観光客数の減少により、撤退。
砲弾
友ヶ島の港で船を待っていると見つけた砲弾。
砲弾
もちろん、安全な状態で保存されているが、当時の戦争のすさまじさを実感できる貴重な遺産であろう。
友ヶ島と加太港を結ぶ航路を運航。 戦後、南海電鉄グループにより友ヶ島の観光開発が進められた。
かつて第二砲台として機能していた場所に今も現存する当時の建物。
今も現存
終戦から長年の月日が経ち、老朽化に伴い、一部が崩れかかっているものの、戦争当時の惨状を今も語り継いでいる。
今も現存
終戦から長年の月日が経ち、老朽化に伴い、塀の一部が崩れている。
今も現存
人が一人歩けるかの隙間があり、当時の面影を今に伝えている。
今も現存
周辺にはいくつもの建物が現存し、戦争に関する貴重な資料が点在する。
今も現存
周辺にはいくつもの建物が現存し、戦争に関する貴重な資料が点在する。
今も現存
周辺にはいくつもの建物が現存し、戦争に関する貴重な資料が点在する。
山に穴が・・・
自然豊かな山々に囲まれた友ヶ島という場所。 木と木の間に突如出現した大きな穴。 防空壕でしょうか。 大人が数人、入れるほどの大きな口を開けている。
明治時代、旧日本軍により、外国艦隊の大阪湾への進入を防ぐ目的で、沖ノ島内と虎島に砲台や防備衛所が造られた。 第二次世界大戦までは要塞施設として使用され、一般人の立入は禁止。 当時の地図や地形図にも記載されなかった。
土木学会選奨土木遺産に選定
戦後、友ヶ島全体が瀬戸内海国立公園に指定。
土木学会選奨土木遺産に選定
終戦時に爆破処分された第2砲台以外は軍事施設跡が比較的良好な状態で現存。
地下を散策
懐中電灯が必要となってくる地下通路。 どこにつながっているの? 目の前の光景に思わず疑ってしまうような現実がそこにあります。 階段を下りてみると、そこには・・・。
さらに奥に進んでみる?
砲台跡に広がる暗闇の迷路では多くの人がスリルを味わっている。 これはもしかすると、お化け屋敷よりもドキドキ感が!? カメラのフラッシュだけでは写真撮影に限界が。
暗闇の中を
懐中電灯で照らし続けている周辺は明るいが、懐中電灯の光が届かない部屋の奥は本当に真っ暗。
ようやくたどりついた奥の部屋
ここは火薬庫?防空壕?食糧庫? 実際に使用されていたであろう地下室は真っ暗で、懐中電灯一個やデジタルカメラのフラッシュ機能だけでは全体を見るのは不可能。 旧日本軍の皆さんの現実が広がる。
地上へ
地下室の中を散策し、地上へ。 振り返ってみると、真っ暗。
旧日本軍の宿舎跡
かなり劣化が進んでいるが、旧日本軍が使用していたとされる宿舎が残っている。
山に穴が・・・
自然豊かな山々に囲まれた友ヶ島という場所。 木と木の間に突如出現した大きな穴。 防空壕でしょうか。 大人が数人、入れるほどの大きな口を開けている。
穴の中をのぞいてみると
大きな口の中を少しのぞいてみると、奥に広々とした空間が。 戦時中の名残でしょうか。 東寺を過ごした人々の思いが伝わってくるように感じる。
屋根は劣化し、壁は剥がれ落ち、かつての面影を失いつつあるが、現在も、友ヶ島の片隅でたたずんでいる。
黒色の建物
木陰にひっそりと隠れるように佇んでいる。
戦争の遺恨
何の建物でしょうか。 恐らく戦争に関する武器や道具を保管していたのでしょうか。
戦争の遺恨
何の建物でしょうか。 恐らく戦争に関する武器や道具を保管していたのでしょうか。
戦争の遺恨
建屋の周辺を散策していると、階段の多さに気づく。 それだけ多くの人々がここで働いていたのでしょうか。
戦争の遺恨
何の建物でしょうか。 恐らく戦争に関する武器や道具を保管していたのでしょうか。
2007年、友ヶ島は東経135°線上にあることから、友ヶ島灯台完成135周年記念「友ヶ島135°」が行われた。
友ヶ島子午線広場
日本の標準時子午線である東経135度線上に位置する友ヶ島には子午線に関するモニュメントが建立されている。
- アプリで地図を見る
海岸には松が植えられ、美しい景色が広がる。
建物は港からかなり離れた場所に位置するが、当時の面影を残している。
海軍聴音所
現在は、廃墟となり、中を自由に出入りすることができる。
海軍聴音所
今も当時のままの姿で保存されている。
自然豊かな島の一つ、友ヶ島。 ここも、緑が生い茂る中、見つけた廃墟。 こちらも、中を自由に出入りすることができる。
地ノ島と沖ノ島には灯台。 沖ノ島の灯台は明治初期に作られた5基の洋式灯台として知られ、現役。
明治時代の姿をそのままに
日本で8番目に竣工した西洋式灯台、そして歴史的文化財的価値が高いAランクの保存灯台。 建設当時はイギリス製の3等不動レンズ、石油3重芯ランプを使用していたとか。 経済産業省「近代産業遺産群 続33」の認定。