
とっとパークで海釣りを楽しみ、みさき公園で絶叫、里海公園で海水浴。夏を楽しむなら泉南郡へGO!
大阪とっとパークで海釣りを楽しみ、みさき公園で絶叫、里海公園で海水浴。夏を楽しむなら泉南郡へGO!
まいど! 夏や!海や! せや!大阪府泉南郡に遊びに行こう! 大阪府泉南郡の田尻町と岬町には、夏を感じる素敵なスポットがぎょうさんおまっせ! 大阪湾に面した岬町海釣り公園では、とっとパーク小島として海釣りと、海釣りで必要な餌や釣竿も販売、無料駐車場完備、飲食店もあるので、一日中、楽しむことができまんねん。 付近のせんなん里海公園「ピチピチビーチ」、淡輪海水浴場「ときめきビーチ」では、海水浴を楽しむことができまっせ! また、関西最大級のヨットハーバーも。 大阪湾で楽しむ海の旅も乙なもの。 さて、田尻町では、古くから玉葱の生産地として知られ、春日神社では、顕彰碑が建立。 今でも品種「泉州たまねぎ」として販売され、泉南郡ならではの味をご堪能ください。 付近の田尻歴史館は、和風と洋風の2棟を兼ね備え、貴重な建築物として、国の登録有形文化財に指定された。 今では、田尻歴史館の中で、ゆったりとお食事を楽しむことができまんねん。 彼女とのデートに、家族と楽しむひと時にぜひ、泉南郡へいらっしゃ~い!
ここでは、魚釣りが楽しめる他、釣り具、エサ、喫茶店も営業。 それではこれから詳しくご紹介していきまひょ! 府道65号線を車で走っていると見えてきたのは、とっとパーク小島への案内標識。 100台ほど停められる駐車場に車を入れ、とっとパーク小島の入り口へ。
関西国際空港との関わり
ここ「岬町海釣り公園」は、関西国際空港埋め立て土砂の積み出し桟橋を有効利用したもので、建物の壁面には「関西国際空港第2滑走路に」と題して、関西国際空港の第2滑走路が開港するまでの歴史を紹介している。
大きな水槽
施設内では水槽の中で多くの魚介類が生息する。
とっと食堂
魚の可愛い外観が描かれた円形ドーム「とっと食堂」が見えてくる。 地元・小島で獲れたマダコを使用した「タコ飯」や「タコカレー」が人気で、週末限定「海鮮丼」が話題を呼んでいる。 これと似た外観の建物がもう一棟。 長形ドームは、「レストハウス」。 釣具・エサの販売、喫茶コーナー、水洗トイレ完備。 一日中、安心して釣りを楽しむことができる。
展望デッキ
無料で楽しめる展望デッキ。 晴れた日には、目の前の大阪湾が一望できるだけでなく、淡路島、関西国際空港、明石海峡大橋を見ることができる。
海釣りスポット
展望デッキ目の前の桟橋では多くの人が海釣りを楽しんでいた。
関西では、太平サブローさんが登場する「月化粧」のコマーシャルが流れている。 コマーシャルでは主に関西でテレビタレントとして活躍する太平サブローさんが頭に、満月のような饅頭を模したものを被り、みるく饅頭の月化粧を宣伝する。 月化粧は、新大阪駅や大阪駅、天王寺駅、大阪国際空港(伊丹空港)などで、購入できる他、インターネットでも購入することができる。 月化粧は、大阪府泉南郡岬町深日1542-2に本社を置く青木松風庵さんで、早速、大阪駅で手に入ったので、味わってみることにした。 白餡の中にはバターと練乳が入っているといい、ふわっとした食感の中に甘さがじわっと広がるような味でした。
浄土真宗本願寺勢力(一向宗)と織田信長による石山合戦が勃発。 石山合戦の終結後、鷺ノ森別院に織田勢が押し寄せた。 織田信孝は、泉州路を南進し、深日へ押し寄せた。 「織田勢の先鋒淡輪に到着」の報に、深日・多奈川では鐘や太鼓が鳴り渡り、村人総出の防御線となった。 当時、この付近に陣を張って織田勢を待ち受けて、攻め寄せてきた。 一同家の釜土から持ち出してきた灰が西風に乗って、敵方めがけてまき散らし、手籠に入れた小石を投げつける。 飛道具を持たない村人たちのゲリラ戦法に、織田勢は前進できず、鉄砲をうちかける。 この時、本能寺の変にて、明智光秀による織田信長の死が伝えられ、本隊から制止され、終結した。
1957年に開業したみさき公園は、遊園地、動物園、水族館、夏季限定の屋外大型プールを擁する複合型レジャー施設。 1957年の開園と同時に設置されたジェットコースターは現在も運転中であるとともに、西日本最古、日本全国では浅草花やしきに次いで2番目に古い。 上野動物園長の古賀忠道博士が設計指導して設立された最初の動物園として知られ、ドイツのハーゲンベック動物園を範としている。 また、日本最初の動物地理学的配置(地理学展示)による無柵放養式展示を採用した。 キリンの繁殖に成功し、キリンのみさき公園とも呼ばれるようになった。 イルカの搬送世界最長記録を樹立。 日本初の水中遊歩道(トンネル水槽)を導入。
多くの家族連れで行きかう駅前に、一軒のカフェがある。 コーヒーはもちろん、ジュースなどもあるが、一番の注目を集めるのが、自家製野菜の健康ジュース。 旬の野菜を使用した健康ジュースには定評があり、夏限定の甘酒とともに、いかがでしょうか。 そのほか、地元の無農薬・有機野菜、しょうゆ、泉州みそなどを使用。
伊勢うどん
ランチでは、三重県名物の伊勢うどんを楽しむことができる。 半熟卵を載せていただく伊勢うどんは、柔らかく、あっさりとした食感が特徴。
通称、「ピチピチビーチ」と呼ばれている。 大阪府泉南郡岬町「ときめきビーチ」、大阪府阪南市箱作の「ピチピチビーチ」と隣接する。 潮騒ビーチバレー、バーベキューコーナーのほか、風車の丘、展望休憩所などがある。
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通称、「ときめきビーチ」と呼ばれる。 大阪府泉南郡岬町「せんなん里海公園」、大阪府阪南市箱作の「ピチピチビーチ」と隣接する。 ここでは、海水浴はもちろん、地引網、潮干狩りなどが楽しむことができる。 サンダル、パラソルなどのレンタルができ、駐車場も完備。 「淡輪海浜大学」と題して、大阪湾で獲れる会や魚の資料の展示を行っている。 遊泳等は有料となっており、期間限定。 また、時間は朝9時から夕方5時まで。 雨天時など、営業時間等が変更となる場合がありますので、直接、ご確認ください。
クルーザーヨットをはじめ、モーターボートなどが停泊する。 隣接するヨットハウスでは、ホール、ロビー、喫茶コーナー、ショップ、バーベキューコーナーなどがある。
ヨットハーバー
ここでは、クルージングをはじめ、フィッシングなどを楽しむことができ、大会が開催される。 晴天時には、関西国際空港、淡路島、明石海峡大橋の眺望が可能。
淡路島や明石海峡大橋、関西国際空港を一望できる愛宕山丘陵一帯は、別名、淡輪遊園と呼ばれている。 桜、ツツジが見ごろを迎える春には、花見の名所としてにぎわう。
この付近は、淡輪氏の邸跡とされ、「城の藪」と呼ばれていた。 淡輪氏の祖父・佐藤忠信は、源義経の家臣であったとされ、子の小治郎重治は地頭として住んでいた。 戦国時代、淡輪徹斎の女「おこよ」は豊臣秀次の側室・小督の局と呼ばれたが、三条河原で斬首された。 また、徹斎の次男六郎兵衛重政は大阪夏の陣の前哨戦「樫井川の合戦」で塙団右衛門とともに戦死。 淡輪城址は淡輪部落の一部に位置していた。 本丸があった付近は、城の藪と呼ばれ、淡輪氏の邸宅があった。
祭神は、紀船守、五十瓊敷入彦命、紀小弓宿弥。 本殿は三間社流造、屋根は檜皮葺で、国の重要文化財に指定。 豊臣秀頼の命により、片桐且元が造営した桃山式の建築様式を採用している。 境内には、4本の幹が1本になった珍しい楠の大木は、大阪府の天然記念物に指定。
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四至本八郎氏は国際ジャーナリストで、「是でも米国か」「テクノクラシー」「頭脳(ブレーン)トラスト」「開戦太平洋脱出」等の著書を刊行、ベストセラー。 大伴 昌司(本名、四至本豊治)は、日本の編集者、SF研究家、映画評論家、翻訳家。 別名、大伴秀司、怪獣博士。 ペンネームの「大伴」は大伴家持に、「司」は司葉子に由来。 母の四至本愛子(本名アイ)は母権擁護運動家でコラムニスト。 商業誌「マンハント」連載コラムでデビュー。 「ある作家の周囲」「SFを創る人々」「トータル・スコープ」を連載。 ウルトラマンが地上で戦える時間を3分間、宇宙恐竜ゼットンが放つ「一兆度の火球」などは大伴が考案した。
前方後円墳。 別名、「淡輪ニサンザイ古墳」。 五十瓊敷入彦命 宇度墓とも言われ、400年代に築造された。 第11代垂仁天皇と、後皇后の日葉酢媛命との間に生まれた皇子。
境内には、公園があり、多くの人でにぎわっている。 1890年、吉見藩の陣屋が置かれた。 遠藤氏は近江国三上藩から移籍した。 廃藩置県により吉見藩は廃藩。 遠藤氏は近江へ戻り、建物も撤去されたため、遺構は残っていない。 境内では、「玉ねぎ顕彰碑」がある。 明治時代、タマネギ栽培が田尻町に日本に初めて伝わった。 現在、品種「泉州たまねぎ」として栽培されている。
平安時代、貴族・歌人の紀貫之は土佐国で国司として赴任した。
土佐日記
土佐国での任期を終えて京に帰る最中、「土佐日記」には「和泉の灘に出て、黒崎の松原を過ぎて箱の浦に到着した」と書き記した。
大阪府大阪市と和歌山県和歌山市とを結ぶ一般国道26号沿いに位置する道の駅。 2017年、第二阪和国道の淡輪ランプに設置された。
フードコート
フードコートがあり、道の駅みさき名物のしらす丼をはじめ、まぐろ漬け釜揚げしらす丼、味噌かつ丼、山海天ちらし丼、和歌山ラーメン、山海天ちらしうどんなどを味わうことができる。
魚の産直コーナー
施設内では、新鮮な野菜や果物などの食材が揃う名産品をはじめ、地元で採れた新鮮な魚を取り扱う「魚の産直コーナー」などがある。 また、
灯台内部は展望台
灯台内部は展望台となっており、道の駅みさき夢灯台とその周辺はもちろん、大阪湾を望むことができる。
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733年、聖武天皇の命で行基により開創。 本尊は弘法大師の作と伝わる追風不動明王。 804年、弘法大師が唐(中国)から帰国途上、暴風に遭った際に鎮静を祈って彫った。 1592年、豊臣秀吉は朝鮮出兵のため、肥前名護屋城(佐賀県)に船で向かう途中、大阪湾が暴風となった。 岬町の谷川港に退避、当地の本尊が風を治める「追風不動」と聞き、住職の桂忍上人に護摩祈祷させた。 次第に防風は鎮まり、名護屋城に入城できたことから、秀吉は1尺2寸(約36cm)の木像を造らせて自らの髭を木像の顎に植えて「秀吉肉付けの像」を寄進。
ゆかりの地
現在、豊臣家の桐の家紋が施された螺鈿細工の厨子の中に鎮座。 秀頼の書「豊国大明神」、秀吉の家臣で文化面での話し相手「御伽衆」にもなった曽呂利新左衛門作「狛犬」などが所蔵。 また、博物粘菌学者の南方熊楠は研究の場として身を置いていたとか。
852年、文徳天皇の命で慈覚大師円仁により創建。 宗派は天台宗。 大日如来坐像、釈迦像、薬師像は国の重要文化財に指定。 当地には千数百年にも及ぶ大楠木があり、その幹下の空洞で一人の行者が浄行をしていた。 里人は楠入道と称し、病になれば祈祷していたことが天皇の耳に届いた。 天皇は勅を出され、楠入道は参内して祈祷したところ、回復。 天皇は褒美をと金吊を差し出すと楠入道は辞退、「お堂を建てて大日如来をお祀りしてほしい」と願い出、姿を消した。 天皇は楠入道を探したが発見できず、慈覚大師に当山開基の勅を出された。 寺の地形が唐(中国)の長安(西安)にある大興善寺に似ていた事から、興善寺の号を授けた。
別名、宮山・青垣山。 興善寺の鎮守社として創建。 古くから神体山として信仰を集めていた。 1574年、織田信長の兵火により焼失。 江戸時代、再建。
別名、化石寺。 古くは、役行者が草創したという飯盛山の千間寺の下寺であった。 1500年代、和泉と紀州の村人との間に、山林の境界争いが起こり、戦となっていた。 紀州梶取本山(西山浄土宗)の哲翁託賢上人が和泉と紀州の村人の間に入り、和議が成立した。 村人は喜び、その恩義に感じて改宗し、深日村にあった当寺を、梶取総持寺末寺とした。 先代の住職は全国の銘石や化石を収集する趣味があった。 周辺の友ヶ島沖から引き上げられたというナウマン象の化石や中国製の青磁器、和泉壺石を収蔵、展示。 また、四国・西条藩の福姫にまつわる伝承や板碑などが現存する。
大阪府泉南郡岬町で活躍するマスコットキャラクター。 年齢は、8歳。 誕生日は、8月8日 生誕地は、大阪府泉南郡岬町。 特技は、釣り。 好きな食べ物は、わかめたっぷりの若竹煮、いかなごのくぎ煮、押し寿司。 みさっきーの双子は、みさきーちょ。 年齢は、8歳。 誕生日は、8月8日。 生誕地は、大阪府泉南郡岬町。 特技は、ビーチバレー、ビーチサッカー。 好きな食べ物は、しいたけ、古代米うどん、和菓子
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実業家谷口房蔵の別邸として知られている。 紡績業を起業し、成功を収め「綿の王」と呼ばれた。 実業家の別邸として大正時代に建設された。 愛称は、「愛らんどハウス」。 1861年、大阪府泉南郡田尻町生まれ。 1900年、紡績を多数、創立する。 田尻町に紡績業を起業し、別邸を建設。 1996年、国の登録有形文化財に登録。 2005年、大阪府の有形文化財に指定。 和風建築と洋風建築の2棟が隣接し、日本庭園や茶室などがある。 約90年前の建築技術をそのまま残っている数少ない資料として注目浴びている。 施設内では、無料で見学できるほか、飲食店が入居する。
和風建築
和風建築では、大黒柱として屋久杉などの貴重な木材が約90年の時を経て当時の姿のまま残っている。
洋風建築
洋風建築の外観は、煉瓦造りとなっており、ドイツのユーゲント・シュテイルを取り入れたもの。 また、各部屋や階段には、ステンドグラスがあり、バラやブドウ、綿などが描かれている。
りんくうタウン北地区と中地区を結ぶ。 全長は、338.1m。 幅は、26.3m。 車道と遊歩道が整備されている。