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北陸・福井の敦賀(つるが)で日本海を楽しむ

北陸・福井の敦賀(つるが)で日本海を楽しむ

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    観光

北陸・福井の敦賀(つるが)で日本海を楽しむ

まいどまいど! 日本海近海で獲れた新鮮なお魚は美味しいと評判で、石川県金沢市や富山県富山市でも人気を呼んではりまんな。 そんな中で、関西地方から見て身近に感じる北陸地方の一つといえば、福井県。 兵庫県、そして、京都府のお隣で、福井県の敦賀市を散策してみることにしましてん。 毎年、冬になると日本でも有数の豪雪地帯の一つとして知られ、富山や石川、そして、福井などでは雪が降り積もりやすい場所で有名でんな。 関西地方からはJR西日本が便利。 JR西日本の京都府、滋賀県を経由して訪れた湖西線の敦賀駅を出るとそこはまるで別世界。 駅前には松本零士さん作品の「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」の像が並べられ、観光客の目を楽しませてくれまっせ。 ほんで、その奥には神宮があり日本三大鳥居に数えられる大きな鳥居を眺めながら、北へと向かうと力強い波音が聞こえてくる日本海。 ここで、冬の味覚であるカニなど海の幸を堪能しつつ、敦賀名物の敦賀ラーメン、敦賀発祥として知られるソースカツ丼を味わいつつ、松尾芭蕉の足跡を追いながら氣比の松原を散策しつつ、福井県敦賀市を堪能していくおでかけプランです。

  • JR西日本・日本貨物鉄道(JR貨物)の停車駅の一つ。 駅前には都奴賀阿羅斯等の銅像、駅前通りには港町に因み宇宙戦艦ヤマト(ヤマトよ永遠に)の銅像が設置されている。 駅構内には観光管内所が併設され、敦賀市内の観光案内や情報発信、名産物の販売などを販売している。 また、レンタサイクルも可能。

    • 駅前ゆめさき通り

      駅前ゆめさき通り

      JR西日本敦賀駅から福井県敦賀市に鎮座する氣比神宮まで続く商店街に、アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像が並ぶ。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      敦賀駅前には、星野鉄郎とメーテル、車掌の像が建立。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      商店街を歩いていくと、アニメ「銀河超特急999号」や「宇宙戦艦ヤマト」で登場する主人公や主人公を中心とする物語が、商店街を進むごとに展開していく。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      敦賀は全国有数の鉄道と港のまちとして知られ、明治時代には日本海側で初めて蒸気機関車が敦賀を走り始めた。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      また、東京の新橋駅と敦賀の金ケ崎駅を結ぶ欧亜国際連絡列車が運行を開始し、ロシアのウラジオストクまでの直通定期船により、大陸に最も近い場所として発展し、敦賀港は1999年に開港100周年を迎えた。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      開港100年を記念し、敦賀市のイメージ「科学都市」と歴史を引き継いだ「港」と「鉄道」に将来ビジョンを重ね合わせ、松本零士先生も快諾のもと、「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」の像を設置することになったとか。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      JR西日本敦賀駅から福井県敦賀市に鎮座する氣比神宮まで続く商店街に、アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像が並ぶ。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      JR西日本敦賀駅から福井県敦賀市に鎮座する氣比神宮まで続く商店街に、アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像が並ぶ。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      JR西日本敦賀駅から福井県敦賀市に鎮座する氣比神宮まで続く商店街に、アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像が並ぶ。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      JR西日本敦賀駅から福井県敦賀市に鎮座する氣比神宮まで続く商店街に、アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像が並ぶ。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      JR西日本敦賀駅から福井県敦賀市に鎮座する氣比神宮まで続く商店街に、アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像が並ぶ。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      JR西日本敦賀駅から福井県敦賀市に鎮座する氣比神宮まで続く商店街に、アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像が並ぶ。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      JR西日本敦賀駅から福井県敦賀市に鎮座する氣比神宮まで続く商店街に、アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像が並ぶ。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      JR西日本敦賀駅から福井県敦賀市に鎮座する氣比神宮まで続く商店街に、アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像が並ぶ。

    • アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像

      JR西日本敦賀駅から福井県敦賀市に鎮座する氣比神宮まで続く商店街に、アニメ「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像が並ぶ。

    • みどりのスコップ ひとかき運動

      みどりのスコップ ひとかき運動

      「みどりのスコップ ひとかき運動」と題し、緑色の雪かき用スコップが商店街のアーケードの柱にくくりつけられていた。 説明文では「信号待ちの時間、歩道の除雪にご協力をお願いします。」と書かれていた。

  • 別名、于斯岐阿利叱智干岐。 意富加羅国の王子は朝鮮半島出身で、額に角の生えた都怒我阿羅斯等が船で穴門から出雲国を経て笥飯浦に来着。 または、天皇が阿羅斯等に崇神天皇の諱の「みまき」を国名にするよう詔し、阿羅斯等に下賜した赤絹を新羅が奪い、新羅と任那の争いの始まりに。 阿羅斯等が国にある時、黄牛の代償として得た白石が美しい童女と化した為、阿羅斯等は合をしようとした。 童女は来日し、難波並びに豊国国前郡の比売語曽社の神になった。 「つぬが」は、新羅や加耶の最高官位「角干」を訓読み、「つぬが」が転訛して「つるが」となった。 「あらしと」は、朝鮮語の「閼智」のように、新羅・加耶における貴人への敬称。

  • 関西での「カツ丼」の特徴として、豚カツとタマネギを醤油味の割下で煮込み、卵とじにしたものがご飯の上に載る。 福井県敦賀市では、「カツ丼」は「ソースカツ丼」のことを指すとか。 先述した卵とじにしたものを「卵カツ丼」「上カツ丼」「煮カツ丼」などと名前がつけられている。 ソースカツ丼は、卵とじではなくウスターソース(濃厚ソースを含む)をかけて味付けするスタイル。 ここでのカツは薄く切られているが、一枚一枚がとても大きく、一口では食べきれない大きさ。

  • ご当地ラーメンの一つ、敦賀ラーメン。 そもそも、敦賀ラーメンは1953年、敦賀に初めてのラーメン屋台が開店したと同時に誕生しました。 当時は、「中華そば」と呼ばれ、敦賀駅前で敦賀ラーメンが販売されていた。 以後、国道沿いに屋台が最大15台、集まるようになり、別名、「ラーメン街道」と呼ばれていたとか。 敦賀ラーメンの特徴は、トンコツと鶏ガラをベースにした醤油味のスープで、多加水の縮れ麺を使用し、具材にはメンマ、チャーシュー、紅ショウガが用いられているという。

  • 国の重要文化財指定の大鳥居は、奈良の春日大社・広島の厳島神社とともに日本三大鳥居の一つ。 祭神は、伊奢沙別命、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、日本武尊、玉姫命。 伊奢沙別命は笥飯大神、御食津大神とも称し、天筒の嶺に霊跡を垂れ境内の聖地(土公)に降臨。 仲哀天皇は御即位後、当宮に親謁せられ国家の安泰を祈願。 神功皇后は天皇の勅命により御妹玉姫命と武内宿禰命を従えて筑紫より行啓せられ参拝。 日本武尊を東殿宮、応神天皇を総社宮、玉姫命を平殿宮、武内宿禰命を西殿宮に奉斎して「四社之宮」と称した。 渤海使が来着、神領の氣比の松原を渤海使停宿の処として、松原客館が建設、氣比神宮宮司が検校。

  • お砂持ち神事は1277年、他阿は豊後国において、時宗の始祖・一遍上人の門下となり遊行を行った。 北陸・関東を中心に遊行し、越前国の時宗寺院の多くを開創。 真言宗より時宗に改宗した西方寺に入り、氣比社を参詣。 参道には沼地があり、ぬかるんで参詣の妨げとなっていた。 他阿は宗徒・氣比の神官・民衆とともに、もっこを担いで海岸から砂を運び、沼地を埋め立て、参道を整備。 以降、神奈川県藤沢市の時宗総本山清浄光寺(遊行寺)の法主(遊行上人)が代わると、福井県敦賀市の氣比神宮でお砂持ちの神事を行う。 1689年、松尾芭蕉は「奥の細道」で敦賀を訪れ、宿泊した出雲屋の亭主から「遊行の砂持ち」の故事を聞いた。

    • 新内節の祖・鶴賀若狭掾 顕彰碑

      新内節の祖・鶴賀若狭掾 顕彰碑

      新内節の浄瑠璃太夫、三味線方の名跡「鶴賀 若狭掾」。 初代・鶴賀若狭掾の姓は高井。 通称、庄兵衛。 初代、宮古路加賀太夫高弟の弟子で、別名、宮古路加賀八太夫、宮古路敦賀太夫、富士松敦賀太夫、朝日若狭掾、大木戸黒牛(狂歌師としての名)。 2代目以降、引き継がれ、現在に至る。

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  • 旧アクアトム。 テーマは、自然。 ここでは、こどもたちが一日中、楽しみながら遊ぶことのできる「あそび・まなび拠点」。 日本最大級の5階建てネット遊具「スーパーコクーン」をはじめ、クライミングウォール、ボールプール、あかちゃんひろばなどがある。

  • 曹洞宗の寺院。 豊臣秀吉の家臣で敦賀の領主となった大谷吉継。 関ヶ原の戦いで戦死し、大谷吉継の菩提寺として知られ、境内には供養塔が建立。

  • 高野山真言宗の寺院。 本尊の十一面観音は、縁結びの袴掛観音。 736年、聖武天皇の勅願により泰澄が開山。 泰澄は寺を建立し、天皇から下賜された金光明経を金櫃に納めて山に埋めた。 これにちなみ山は金ヶ崎、寺は金前寺と名付けた。 十一面観音が金光を発することから金前寺と名付けた。 金ヶ崎の戦いが勃発し、南朝方の新田義貞が後醍醐天皇の皇子・恒良親王と尊良親王とを奉じて、金ヶ崎城にて北朝方の斯波高経の軍と戦った。 織田信長による越前攻めで朝倉氏の築いた金ヶ崎城は落城、金前寺も兵火により灰燼に帰した。 打宅宗貞らが観音堂を再建したが、敦賀空襲により焼失。

    • 松尾芭蕉

      松尾芭蕉

      境内には、「奥の細道」の旅で敦賀を訪れた松尾芭蕉の句碑(鐘塚)が建立。 芭蕉は、宿の主人から南北朝時代の金ヶ崎の戦いの故事を聞いた。 その故事とは、新田義顕が陣鐘を海に沈めたが、海から引き上げることができなかったとか。

    • 境内

      境内

      地蔵の祠は、若越新四国八十八箇所の第2番を意味する「若越二番 地蔵菩薩」の石柱が建立。 古井戸周辺はかつて砂浜「泉浜」であったとされ、入港する北前船の給水用として使用したとか。

  • 祭神は、恒良親王と尊良親王。 金ヶ崎城址の付近に鎮座し、約1000本のソメイヨシノが植樹され、桜の名所として知られている。 天筒山の北部に位置し、周辺は金ヶ崎緑地として整備されている。

    • 境内

      境内

      恒良親王と尊良親王は、足利尊氏の入京により、北陸落ちした新田義貞と氣比神宮の大宮司に奉じられて金ヶ崎城に入ったが、足利勢との戦いにより敗死した。 1890年、尊良親王を祀る官幣中社金崎宮が金ヶ崎城址に創立、恒良親王が合祀。

  • 別名、敦賀城。 敦賀湾に面した金ヶ崎山に築城された山城。 治承・寿永の乱(源平合戦)の時、平通盛が木曾義仲との戦いのため、築城。 金ヶ崎城跡付近には、足利氏と新田義貞の戦いで城の陥落とともに捕縛された恒良親王、新田義顕、尊良親王を祀った金崎宮が鎮座。 また、金ヶ崎城跡は南北朝時代の金ヶ崎の戦いの古戦場としても知られている。 天筒山城は金ヶ崎城の枝城で天筒山の山頂付近に築城された山城。 織田軍の攻撃により陥落し、朝倉景恒は金ヶ崎城に陣を引くことになった。

    • 眺望

      眺望

      日本海や敦賀市街地を一望することができる。

    • 眺望

      眺望

      日本海や敦賀市街地を一望することができる。

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  • 旧敦賀港駅はかつて、金ヶ崎駅と呼ばれていた。 明治時代、欧亜国際列車が運行され、乗客らはウラジオストク航路に乗り継いで、ヨーロッパを目指す人で賑わっていたとか。 1882年、ランプ小屋が建設され、列車の灯火に使用されるカンテラの燃料を保管する油庫として利用されていた。 かつては主要駅で一般的に存在していたが、光源が電灯に変わるなどで急速にその姿を消していったという。

  • 1905年、紐育スタンダード石油会社によって建設された2棟の石油貯蔵用の赤レンガ倉庫。 明治時代、欧亜国際連絡列車が発着する敦賀港駅からロシアを経てヨーロッパに繋がる国際都市として繁栄した象徴の一つ。 施設内はジオラマ館、レストラン館、オープンガーデンに分かれる。 オープンガーデンでは、芝生広場、ウッドデッキなどが設置され、敦賀産の疋田石で作られたという石ステージ、若木のケヤキをオープンガーデンのシンボルとして配置。

    • ジオラマ館とレストラン館

      ジオラマ館とレストラン館

      ジオラマ館では、明治時代から昭和時代にかけての敦賀の町並みが鉄道と港のジオラマで再現され、運転体験やライブ映像などで楽しめる。 第二次世界大戦中、多くのユダヤ難民の命を救った杉原千畝氏の偉業に関する人道の港のエピソードなどを紹介。 レストラン館は、アジアとヨーロッパとを結ぶ港町「海と港、国際性」がコンセプト。 自然豊かな山々と日本海に恵まれた敦賀のグルメを中心に堪能できる。

  • 赤レンガ倉庫の1棟はレストラン館となっていて、カフェやレストランなどが営業している。 カフェでは、地元の牛乳や卵を使った「焼立てチーズタルト」「ソフトクリーム」「プリン」などのスイーツ、越前若狭名物「浜焼さば」を使用したサンドウィッチ「sabaサンド」などを味わうことができる。 活きのいい魚が悠々と泳ぐ大型の生け簀があり、新鮮な食材を存分に楽しむことができる場所として人気を集めている。 時期やその日の漁獲にもよるが、ヒラメやマグロ、カンパチ、シマアジ、真鯛や車海老などを味わうことができる。

    • カニ尽くし

      カニ尽くし

      冬の味覚の代表といえば、やっぱり、カニ。 日本海で生まれ育った身の引き締まったカニとカニ一匹分のカニミソをふんだんに使用した贅沢な甲羅丼にはたっぷりのご飯も入っていて、豪快。 汁物もついて約2000円と贅沢な逸品です。

  • 1999年、「つるがきらめきみなと博21」という博覧会が開催され、その博覧会の中核施設として建設された複合文化施設。 外観は船の煙突をイメージしたとか。

    • 五木ひろし洋鐘

      五木ひろし洋鐘

      複合文化施設「きらめきみなと館」前には、「五木ひろし洋鐘」が建立。 1999年、敦賀港が開港100周年を迎え、福井県出身で演歌歌手の五木ひろし氏の歌「敦賀恋歌港歌」に関する洋鐘が記念として建立された。

  • 1999年、「つるが・きらめき・みなと博21」という博覧会が開催され、その一つのシンボルとして建設された。 明治時代から昭和時代にかけて、シベリア鉄道経由でヨーロッパ諸国と繋がる「欧亜国際連絡列車」の発着駅として賑わった敦賀港駅駅舎を再現したもの。 博覧会終了後、「つるが・きらめき・みなと博21」に関する資料、敦賀港の歴史や名所を紹介する資料館として開館し、「敦賀鉄道資料館」となった。

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  • 1920年にシベリアで救出されたポーランド孤児、1940年にはナチスドイツの手から逃れたユダヤ人難民が、リトアニア・カウナスの領事代理であった杉原千畝氏による「命のビザ」を持って、日本で唯一の敦賀港に上陸した。 「東洋の波止場」と謳われた敦賀港は「人道の港」とも言われ、敦賀港に上陸したことに関連する資料が展示、保存されている。 「ムゼウム」とはポーランド語で「資料館」を意味する。

    • 杉原千畝夫人・幸子氏来敦記念の植樹

      杉原千畝夫人・幸子氏来敦記念の植樹

      第二次世界大戦中、ナチスの迫害から逃れようとしたポーランド系ユダヤ人に対し、杉原千畝氏は、人道的立場から日本通過ビザを発給した。 以後、約6000人ものユダヤ人の命が救われた。 難民の多くは、杉原氏の発給した「命のビザ」を手に持ち、シベリア鉄道経由でウラジオストクに向かい、「はるぴん丸」「天草丸」等の客貨船で、福井県敦賀市の敦賀港に上陸。 2001年、両国の代表的な桜と樫の木が記念として植樹。

  • 明治時代から昭和時代にかけて有力商人が資金を提供して建設された施設「萬象閣跡」。 当時は、木造瓦葺き2階建ての建物で迎賓館兼会議場として利用され、連合町村役場の公営となった。 1908年には、貴賓館が新築され、大正天皇(当時、皇太子)が行啓された。 以後、皇族方の来敦には、宿泊所、休憩所として使われた。 現在、市民文化センターが建設されている。

    • 大和田荘七像

      大和田荘七像

      福井県敦賀市出身で実業家の二代目・大和田荘七氏。 1857年、生まれ。 海運業、金融業など各種分野の事業を経営し、敦賀の産業の発展に尽力した。 敦賀港の国際貿易港指定や港湾整備などに力を注いだとか。 1899年、敦賀港が開港し、1989年に90周年を迎えたことを記念して大和田荘七像が建立。 付近には、大和田荘七が開業した大和田銀行本店の建物が現存し、「敦賀市立博物館」となっている。

    • 松尾芭蕉「奥の細道」

      松尾芭蕉「奥の細道」

      1644年、松尾芭蕉が三重県で生まれた。 江戸時代には、俳人として活躍し、「奥の細道」で旅の途中に立ち寄った場所が福井県敦賀市。 目的は、美しい月を観賞するためであったとか。 気比の海(敦賀の海)で詠んだ句は「国々の八景更に気比の月」(「荊口句帖」「芭蕉翁月一夜十五句」)。

  • 1997年、福井県敦賀市で古くから伝わる敦賀まつりと山車がテーマとする博物館として開館。 ここでは、敦賀祭りで実際に使用される山車のほか、武者人形、鎧、兜、能面などを展示。 スクリーンシアターでは山車巡行祭の様子を撮影した作品「敦賀の歴史と伝統」を上映。 敦賀まつりは別名、「けいさん祭り」とも呼ばれ、気比神宮の秋季例大祭であったが、現在では毎年9月初旬にカーニバル、踊り、伝統行事などが催される。

  • 松尾芭蕉は江戸時代、「奥の細道」で旅の途中で福井県敦賀市に立ち寄った。 宿泊した出雲屋の亭主から「遊行の砂持ち」、南北朝時代の「金ヶ崎の戦い」の故事を聞いたという。 「遊行の砂持ち」とは、他阿は豊後国において、時宗の始祖・一遍上人の門下となり遊行を行い、越前国の時宗寺院のほとんどを開創。 真言宗より時宗に改宗した西方寺に入り、氣比社に参詣した時、沼地があり、ぬかるんで参詣の妨げとなっていた。 他阿は宗徒・氣比の神官・民衆とともに、もっこを担いで海岸から砂を運び、沼地を埋め立て、参道を整備した。 「金ヶ崎の戦い」とは、新田義顕が陣鐘を海に沈めたが、海から引き上げることができなかったとか。

  • 1978年、旧大和田銀行本店の建物を再利用した歴史民俗系の博物館として開館。 施設内では、敦賀にゆかりのある資料、近世・近代絵画、俳句・俳諧、郷土、歴史資料、民俗資料、港湾関係などが展示。 1927年、建物は大和田荘七氏により大和田銀行本店として竣工し、国の重要文化財に指定。

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  • 敦賀では古代、気比神宮の社領ともいわれ、発展してきた。

    • 町並み

      町並み

      江戸時代、約40町を数え、当地付近は金ヶ辻子と呼ばれ、鉄問屋、刀鍛冶屋、糀屋、酒屋などがあったという。

    • 町並み

      町並み

      現在でも昔ながらの雰囲気漂う町並みが現存している。

  • 創作和紙人形を中心とした美術館。 施設内では、敦賀市在住の和紙人形作家として知られる高木栄子氏の作品を展示。 昭和時代の子供たちの遊戯をモチーフとした作品が中心。

  • 賀茂忠行・賀茂保憲の親子に学び陰陽道の大家となった平安時代の陰陽師・安倍晴明を祀る。 南北朝時代、晴明神社周辺では金ヶ崎戦、織田信長と朝倉氏による合戦が勃発、今も防火の神として信仰を集めている。 拝殿には、陰陽道の研究に使ったとされる「祈念石」が安置され、天文学・地文学の研究を重ねた。 敦賀は敦賀港があり、古くから海外との交流が盛んで、中国からの情報も届いた。 陰陽道は、古代中国の「陰陽五行説」を基礎にした学問で、長らく当地で暮らしていた。 御神体の「祈念石」は晴明の霊力を宿すといわれ、床下を望む小窓から覗き見ることができ、賽銭を投げいれて石の上に載れば願いが通じるといわれている。

  • 虹の松原、三保の松原に並ぶ景勝地「日本三大松原」の一つで、万葉集、日本書紀にも掲載。 日本の白砂青松100選、日本の名松100選、日本の自然100選、レクリエーションの森に選定、若狭湾国定公園の一部で国の名勝に指定。 夏場は海水浴場・花火大会・灯籠流しの会場として賑わう。 かつて、石川県羽咋郡志賀町福浦港の福良津と共に渤海使の為の使節松原客館が置かれた。 古来より氣比神宮の神苑として神人が近隣住民の利用を管理していたが、織田信長の越前攻略により氣比神宮の所領などが没収。 江戸時代、小浜藩の御用木(藩有林)となり、近隣住民は藩への納税によって燃料となる松葉採集を行ってきた。

    • 一夜の松原由来碑

      一夜の松原由来碑

      「一夜の松原由来碑」によれば、聖武天皇の時代に外国から異族の大船団が来襲。 そのとき、一夜にして松林が出現し、氣比神宮の神の使いである白鷺が、松の頂に多数とまった。 これを見た異族は、大軍勢の旗指し物とみて、恐れをなして、逃げていったという。

  • 駐輦の碑とは、明治天皇は気比松原に立ち寄り、白砂青松を讃えたという。 以後、勝海舟が訪れ、当時の明治天皇の行幸を回想し、漢詩を詠んだとか。 高浜虚子氏は当地を訪れ、多くの俳句を残した。

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