
戦国時代・大阪の陣よ、再び。玉手山公園山頂から眺める歴史と河内ワイン
大阪戦国時代・大阪の陣よ、再び。玉手山公園山頂から眺める歴史と河内ワイン
まいどまいど! 豊臣秀頼率いる豊臣軍と徳川家康率いる徳川軍によって天下分け目の戦いともいうべき、「大坂の陣」が、1614年と1615年の2度、勃発した。 それぞれを大坂冬の陣、大坂夏の陣と呼び、徳川秀忠、伊達正宗、松平忠明、真田幸村(真田信繁)、後藤又兵衛(後藤基次)らが活躍した。 戦いの舞台は、豊臣秀頼の居城であった大坂城を中心に、鴫野、今福、野田、八尾、天王寺など。 ほんで今回、ご案内する大阪府柏原市も道明寺の戦いで激戦地となった。 後藤又兵衛が陣を敷いたとされる玉手山は現在、公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれてまんねん。 また、小林一茶ゆかりの場所としても知られ、句碑が建立。 当時を偲ばせながら、かつての近鉄玉手山遊園地を散策しまひょ。 その他、大阪府柏原市では、日本最大級の遺跡「高井田横穴公園」、河内国分寺跡、国分神社、松岳山古墳など、歴史ある名所が盛りだくさん! 古跡ファンの皆様、必見でっせ~! さらに地サイダーもおすすめ。 炭酸がうまい地サイダーには大阪のシンボル的存在のビリケンさんも。
1999年、玉手山丘陵地帯に開園した。 1908年、河南鉄道(近鉄南大阪線)によって開設された西日本で最も古い遊園地である近鉄玉手山遊園地。 1988年、90年の歴史を閉じた。 1999年、柏原市立玉手山公園「ふれあいぱーく」として開園した。 昭和30年代の最盛期には年間数万人の来園者が訪れた。 春には桜並木が見ごろを迎え、花見客でにぎわう。
メイン広場とおたのしみ館
メイン広場には日本猿、イノシシ、クジャクなどが飼育されていた。 南入口付近にあるイベント用の展示館では、「おたのしみ館」とともに時々に応じた特別展示を行っていた。
昆虫館
昆虫の森付近には、洋館造りの「昆虫館」があった。
野外劇場
野外劇場では着ぐるみショーなどが行われていた。
アンティックな音楽堂
1908年開園当時のガゼボ「アンティックな音楽堂」が保存されている。 明治時代に流行した洋風建築様式の面影が残っている。
のびのび遊ぼう!
玉手山公園の一角には小さなお子様から楽しめるおもちゃがいっぱい! 車も自転車も走らへん安全な公園やから、元気いっぱい遊べるね!
玉手山公園では春になると桜が見ごろを迎え花見客でにぎわい、秋には紅葉が楽しめる。 展望台からは柏原市内はもちろん、大阪平野を一望できる。
小林一茶ゆかりの場所
俳人として知られる小林一茶のゆかりの地として知られている。 1795年、葛井寺と道明寺に詣でた後、玉手山を訪れている。 初蝉や 人 松陰を したふ比(ころ) 雲折りく 適(まさ)に青菜見ゆ 玉手山
1614年、道明寺一帯は後藤基次(後藤又兵衛)率いる豊臣方と徳川方による大坂夏の陣の激戦地となった。 後藤氏は玉手山に陣を敷いたが、討ち死にし、現在は供養塔が建立、後藤又兵衛しだれ桜が植樹。 黒田如水、豊臣秀頼に仕え、「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。 摩利支天の再来と称され、徳川家康も恐れていたとか。
奈良時代、行基によって建立するも衰退。 1600年代、浄土宗の僧珂億上人がこの地を訪れ、安福寺を再建。 尾張大納言徳川光友が「山水蒔絵硯箱」「牡丹蒔絵硯箱」「菩提樹蒔絵香筥」を寄進。 明治時代、玉手山3号墳(勝負山古墳)から「割竹型石棺蓋」が出土、保管。 安福寺横穴群があり、石棺、陶質棺、陶器などが派遣、保存されている。
柏原市内を流れる大和川の国豊橋上流左岸に設置された。
風戸堤
江戸時代、堤防が築造された。 風戸堤の他、新町裏堤などと呼ばれている。 堤の築造により、新町と呼ばれる地名(国分本町1丁目から4丁目一帯)が誕生した。 付近には奈良街道、国分船の船着き場が設置されるなど、古くから交通の要衝として栄えていた。 また、かつて河内嵐山と呼ばれた景勝地でもあったと言う。 看板には堤防に関する歴史と1797年に描かれた国分村周辺絵図が描かれている。
祭神は、大國主命、少彦名命、飛鳥大神。 創建時期など詳細は不明となっている。 一説によると鎌倉時代に建立された。 かつて、推古、舒明の両天皇に仕えた船氏(帰化人)が居住。 中国などの大陸文化を広めた。 大和桜井の三輪大明神、飛鳥部の伴造飛鳥大神が分霊・勧請。
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1877年、発掘調査を行い、銅鏡や玉類が出土。 円筒埴輪列、鰭付楕円型円筒埴輪、朝顔形円筒埴輪も発見した。 石材には花崗岩と香川県の鷲の山石が使用されている。
奈良時代、聖武天皇によって建立された後、現在は廃寺となっている。 付近は、大和国と難波津を結ぶ龍田道が通っているため、交通の要衝として栄えていた。 1934年、礎石を発見。 「東条廃寺」として知られ、河内国分寺の七重塔跡と認定された。 塔跡は凝灰岩の切石を積んだ基壇や石段が残っている。 現在は、史跡公園として整備。 2009年、河内国分寺を建立。
河内国分寺周辺
河内国分寺は小高い山の上にあり、柏原市内の一部を眺めることができる。
柏原市に関する歴史の紹介を行っている。 市内では、4世紀頃から7世紀頃に発生した遺跡や古墳が確認されており、古くから交通の要衝として栄えていた。 741年、河内国分寺が建立された。 江戸時代、後藤基次率いる豊臣方と徳川方との衝突による大阪夏の陣が勃発。
日本最大級の横穴墓群として知られ、墓室は200基以上。
横穴を観察しよう
丘陵の崖を掘削して、横穴式石室に似た構造に造られている。 古墳時代の線刻画も保存されており、人物、船、鳥、馬、魚、樹木、花、渦巻文、太陽、家屋などが描かれている。
ここでは、レストラン、銭湯、宿泊、スポーツ、宴会場などが楽しめる。 スポーツでは、夏季限定の流水プール、テニスコートがある。
夕焼け・夜景を眺める
サンヒル柏原は、高台にあり、レストラン、銭湯、客室などからは、大阪平野を一望することができる。 晴れた日には、大阪府柏原市内はもちろん、遠くは大阪市内にある「あべのハルカス」も。 昼間とはまた違った大阪の魅力を探してみませんか。
大坂の陣
サンヒル柏原では、いたに萬幸堂とともに「大坂の陣」と題した煎餅を制作。 豊臣秀頼と徳川家康との間で勃発した大坂の陣「道明寺の戦い」から400年の節目を迎える。 煎餅には、「大坂の陣」の文字、豊臣・徳川両軍の家紋が刻印。 包装紙は、江戸時代の「河内名所図会」から「大坂の陣戦没者供養塔」と「玉手山安福寺」が描かれている。 味は、卵煎餅。 飽きのこない甘い煎餅は、柏原市だけの特別な味である。
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施設内には大ホール、小ホール、会議室などがある。
大和川ミニミニ水族館
施設内では、付近を流れる大和川に生息する生き物を展示。
柏原市内の古い町並み(寺内町)。
公園内は小高い丘になっていて頂上付近からは柏原市街地を一望することができる。 また付近には石神社が鎮座。 その他、智識寺があったとされ、かつての時代を偲ばせる。
祭神は、姫皇女、石長姫命、熊野権現。 800年代、創建。 江戸時代、太平寺村の氏神として信仰を集め、熊野権現社と称していた。 また、クスノキは大阪府指定天然記念物。 神社の前にある道筋は、東高野街道の完成前から存在し、生駒山地の山麓を南北に通っていた古道の一部。 在原業平が大和国と河内国一宮である枚岡神社の間を通った「業平道」とも。
智識寺
かつて、付近には寺院「智識寺」があった。 聖武天皇、孝謙天皇は難波宮と平城宮を往来する際、参拝に訪れたとか。 智識寺には大きい廬舎那仏があり、聖武天皇が東大寺大仏造営を発願されたとか。 室町時代、智識寺は廃寺となった。 境内には、智識寺の東塔の礎石があり、大阪府の文化財に指定。
別名、知識寺。 600年代、茨田宿禰を中心とした「知識」と呼ばれた仏教信徒の財物及び労力の寄進によって建立。 従来、民間の力で建立された寺院を「知識寺」「智識寺」と称したが、その中でも河内六寺の一つで河内国の知識寺は後に「日本三大仏」に数えられた廬舎那仏を安置するなど、大きな規模を持っていた。 廃寺となった太平寺からは白鳳期の瓦や薬師寺式伽藍配置の痕跡などが発掘。 740年、聖武天皇は同寺に行幸、廬舎那仏の姿に魅了され、後に東大寺盧舎那仏像を造像するきっかけになったとか。 聖武天皇の娘にあたる孝謙天皇も2度、行幸。 765年、国家は同寺の保護に乗り出し、封戸50戸が寄進。
知識寺は観音寺へ
863年、修理料も寄付、当時の河内守であった菅野豊持が修理知識仏像別当に任命。 1030年、関白藤原頼通も参詣。 1086年、落雷により建物が倒壊。 以後、知識寺は荒廃、源頼朝の命によって観音寺に統合。
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「拾筒之内知識寺什物」と記す経机を保存。 寺の縁起に関連する記述などから奈良時代に東大寺大仏造顕の機縁となった盧舎那仏で知られた知識寺の法灯を継ぐ寺と伝えられている。
知識寺
知識寺とは600年代、茨田宿禰を中心とした「知識」と呼ばれた仏教信徒の財物及び労力の寄進によって建立。 知識寺は荒廃し、源頼朝の命によって観音寺に統合。
柏原ワイン工場・販売店。 別名、「カタシモワイナリー」と呼ばれている。
紹介・展示
明治時代、高井利三郎氏が葡萄栽培に適した河内堅下村(大阪府柏原市)を開拓した。 大正時代、高井作次郎氏がカタシモ洋酒醸造所を設立する。
ブランド・河内ワイン
ブランド「河内ワイン」の一つとしても知られている。
カタシモワイナリーの直売所。 柏原ワイン、河内ワインなどのブランドとして知られるカタシモワイナリーの人気商品や季節限定商品の展示・試飲・販売等を行っている。
寿屋清涼食品が製造販売する清涼飲料水。 1947年、設立。 現在、サイダーやソーダ、シャンメリーなどを製造販売している。 三扇ビリケンサイダーのラベルには大阪を代表する観光地の一つである通天閣のシンボル的存在のビリケンさんが描かれている。