堀兼神社
埼玉県狭山市大字堀兼2220-1堀兼へ敗走 新田義貞
堀兼に敗走した新田義貞は、退却も検討していた。しかし、堀兼に敗走した日の晩、三浦氏一族の大多和義勝が河村・土肥・渋谷、本間ら相模国の氏族を統率した軍勢6000騎で義貞に加勢した。
翌16日早朝、新田義貞は分倍河原に押し寄せ、幕府軍に奇襲を仕掛け大勝し、北条泰家以下は敗走した。
この戦いで新田軍が幕府軍に対し決定的な勝利を収めたことにより、幕府軍は完全に守勢に転じた。この後、新田軍には次々に援軍が加わり、『太平記』によれば60万もの大軍勢になったという。