平野駅(大阪市交通局)周辺のおすすめスポット情報が掲載されているページです。
全興寺
高野山真言宗の寺院である。 500年頃、聖徳太子が、平野の野中の地に小宇を建立して薬師如来の像を安置された。 門の前に置かれている看板には、鬼が描かれ「ウソつくと舌をぬくぞ」と書いてある。 ほとけのくにや仏足石、地獄堂、小さな駄菓子屋さん博物館などがある。 地獄堂には、閻魔大王様などの像が並んでいる。 全国でも類を見ないほどユニークな寺院で話題を集めている。
小さな駄菓子屋さん博物館
博物館には昭和20年代~30年代に駄菓子屋さんに並んでいたおもちゃが展示されている。 また、電気洗濯機や木製の冷蔵庫、白黒のテレビ、パチンコ台などがある。 博物館の窓にある暖簾には「のぞいてごらん」と書かれている。 実際にのぞいてみると、昭和25年当時のおばあちゃんの部屋が再現されている。
杭全神社
862年、創建された。 征夷大将軍・坂上田村麻呂の孫とされる坂上当道が素盞嗚尊を勧請し、社殿を創建したと言う。 1987年、日本で唯一連歌所が残り、毎月定期的に平野法楽連歌会が催されている。 室町時代、初代の連歌所が建てられたが、大坂冬の陣で焼かれた。 1708年、再建され、大阪市指定文化財に指定されている。 毎年7月11日から14日、夏祭り(平野だんじり祭)が開催される。 また、文化財を多く持つ。
小林新聞舗本店
大阪市平野区流町1丁目4−1 小林新聞舗は平野中央本通アーケード商店街にある大規模な看板建築です。
大念佛寺
融通念仏宗総本山。 1127年、日本初の念仏道場として創建された。 本尊は十一尊天得如来(絵像)。 「十一尊天得如来」とは融通念仏宗特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像である。 1127年、比叡山の天台宗の僧の良忍が、鳥羽上皇の勅願により開創。 前身は、平野殿坂上広野の私邸内に建立した融通念仏の道場の菩提所・修楽寺の別院である。 毎年5月1日〜5日に行われる「万部おねり」は大阪市指定無形民俗文化財に指定。
樋尻口地蔵
大坂夏の陣の際、徳川家康がここを通過すると予測した真田幸村は、ここに地雷を仕掛けたのだとか。 案の定、地雷が爆発したが、徳川家康は所用で席をはずしていたので、助かったのだとか。
CALM GARDEN (カームガーデン)
#カフェ #洋菓子(その他)
串かつ・どて焼 武田
【大阪府美章園のお好み焼き定食と平野の串かつ】 第1話は、大阪から始まります。今まで都内を中心に様々なものを食べ歩いてきた五郎さんですが、ドラマの中で大阪は今回が初めて。 1話は、豪華に2つの飲食店に立ち寄ります。 「串カツ・どて焼き 武田」は、多くの串揚げが100円以下ととてもリーズナブルな値段でおやつ感覚で食べられるお店です。
ぷりんのお山
#ショッピング #パン・サンドイッチ
レストラン花園
#飲食店 #レストラン #洋食
長寶寺
800年、蝦夷との戦いが勃発。 坂上田村麿の子孫である廣野麿が武功をたて、朝廷から杭全庄を賜わった後、この地を領有したと言う。 廣野麿は、嵯峨、淳和の二帝につかえ、右兵衛佐に任じられこの地に永住した。 没後、坂上家では、代々民部を名乗り、この地を領有していた。 当時、地元の人々から平野殿と呼ばれたと言う。 その後、平野の七名家となった。
平野郷樋尻口門跡
戦国時代、自治都市であった平野郷。 その際、郷内の安全のため集落のまわりを濠で囲み(「環濠集落」)、郷への出入りは13ヶ所に設けられた木戸口を使って行われたと言う。 また、それぞれに門や地蔵堂があって平野十三口と呼ばれ、その中の一つに「樋之尻口門」があった。 そのときに架けられていたとされる樋之尻橋の名残がある。
平野環濠跡
戦国時代、平野は堺と並ぶ自治都市であったいい、「平野郷」とも呼ばれていた。 自衛と灌漑・排水用あるいは洪水の調節池として、集落の周りを囲んでいたという。 完成時期など、詳細は不明である。 南北朝時代から平野郷は、大阪の主要都市を結ぶ中継点に当り、交通の要衝であった。 戦国時代、平野郷に住む住民は、町の安全を守るため、自治都市を創り上げた。
長宝寺
#宗教施設
今川緑道
市内を流れる今川沿いに整備された道でもある。 今では、憩いの場として親しまれている。 また、公園内には、桑津今川堤跡の碑が建っている。
赤留比売命神社
通称、「三十歩神社」と呼ばれている。 赤留比売命を祀る。 杭全神社の飛地境内社である。 また、豊臣秀吉の正妻北政所の所領であったときの会所跡でもある。
摂州平野大絵図
1763年、平野郷として栄えた当時の地図が描かれている。 場所は、南海平野線の軌道跡にある。 また、周辺では、今でも古い町屋が多く現存し、新聞屋さん博物館や自転車屋さん博物館など、「平野町ぐるみ博物館」として注目を浴びている。
桑津今川堤跡
江戸時代、今川に沿う堤には、約4kmに渡って「はぜ」が植えられていたと言う。 季節になり紅葉が旬を迎えたころ、大念仏寺への道筋にもあたるので、名物の「桑津のしんこ餅」の売店が並びにぎわっていたのだとか。 この他、付近には「平等堤」の名もあったと言う。
平野郷町大阪市編入記念碑跡
大阪市平野区にある碑。 古くは、摂津国住吉郡平野庄と呼ばれていた。 その後、大阪市に編入するまでの詳細が刻まれている。
含翠堂跡
大阪市平野区にある碑。 1717年、土橋友直が創設した。 救済活動のほか、経書講読・国学・医学・算学等を教えた。 1872年、学制発布のため閉鎖、155年続いた歴史に幕を閉じた。 はじめ、庭の老松にちなんで老松堂と呼ばれていた。
大阪
大阪市平野区
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