明治天皇聖躅・大阪紙砂糖製造所跡
大阪府大阪市北区中之島5丁目3明治時代、実業家の真島襄一郎が大阪紙砂糖製造所を設立。
当時、紙と砂糖を製造。
1870年、大阪商人高木五兵衛(平野屋)の分家にあたる百武安兵衛は伊藤博文とともに米国の製紙工場を視察。
百武安兵衛は国内で洋紙製造を実現させようとイギリス製製紙機械を導入。
その間、経営不振となり、蓬莱社が製紙機械を引き取ることに。
1874年、蓬莱社は大阪府から融資を受け、製糖事業と製紙事業を設立。
工場にはイギリス人製紙技師を招き、経営は真島襄一郎が担当。
1876年、製紙業の経営は好調であったが、製糖業の経営は厳しさを増した。