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天下分け目は島本にあり。国産初ウイスキーとともに歩んできた大山崎の歴史をご案内!
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高浜
1866年、幕府の淀川制圧のため、高浜と対岸の楠葉に砲台を建設した。 鳥羽伏見の戦いに敗れた幕軍は、八幡、橋本、楠葉に集結し、薩長軍を迎撃しようとしていた。 当時、幕命で山崎・高浜が藤堂藩、楠葉は酒井藩が守備していた。 藤堂藩は勅使四条隆平に説得され帰順に決した。 対岸の幕軍に向かって、高浜砲台の新式四斤山砲は火を噴いた。 楠葉砲台も応戦し、砲戦は続いたが、幕軍は虚をつかれ、撤退した。
島本町立歴史文化資料館
1941年、桜井駅跡の記念館として開設。 旧麗天館は、一瀬粂吉氏が当地を訪れた際、楠公父子の忠孝に感激し、記念館を建設。 戦後、大阪府立青年の家の講堂として開放されていたが、「島本町立歴史文化資料館」として開設。 ここでは、島本町の歴史や文化の紹介、楠木正成・楠木正行ゆかりの地として展示している。
水無瀬駅・阪急電鉄/京都本線
島本町には、淀川の支流の一つに数えられる水無瀬川が流れ、天王山と男山などに囲まれている。 古くから朝廷と大宰府を結ぶ山陽道(後の西国街道)が通っており、交通の要衝として栄えてきた。 水無瀬はかつて東大寺の荘園であった。 後鳥羽上皇は水無瀬離宮を造営し、離宮跡は水無瀬神宮となった。 湊川の戦いに出陣する楠木正成が嫡子楠木正行と別れたゆかりの地として太平記に登場する。 1582年、豊臣秀吉(羽柴秀吉)と明智光秀による山崎の戦いが勃発する。 大正時代、サントリー(当時は壽屋)山崎蒸溜所を開設。
島本駅
大阪府三島郡島本町にある駅家跡。 700年頃、駅を建設する案が浮上した。 2008年、付近に島本駅が開業した。
大阪
高槻市
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