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桶狭間古戦場伝説地
愛知県豊明市栄町南舘111560年5月19日、小勢の織田信長が今川義元の大軍を破った古戦場で国の史跡。東海道では池鯉鮒(知立)宿と有松宿の間に位置するが、両軍とも東海道を通ってはいない。 1809年、秦鼎の撰文により津島の神主・氷室豊長が建てた『桶峽弔古碑』に「永禄3年、駿侯西征のため、5月19日桶峽の山北に陣す、織田公奇兵を以って之を襲い、駿侯義元を滅す」の一文がある。2万5千の兵をもって2千の織田軍に敗れ、首を討ち取られた義元の墓周辺は小さな公園として整備されている。近くの高徳院境内に今川義元本陣跡があり、その背後の丘陵を信長は駆け下って奇襲したとも伝えられているが定かではない。
高徳院
愛知県豊明市栄町南舘3-2800年代、真言宗開祖弘法大師の高野山(和歌山県)において「高貴徳王菩薩」を本尊とした寺院として建立。 1894年、行政による寺院の整理が進む中、桶狭間合戦の戦没者の供養とこの地での布教のため、高野山より移転。 敷地内には、今川義元の仏式墓所や本陣跡の石碑、今川軍の重臣・松井宗信の墓碑が現存。 毎年7月、「土用の丑の日」には、高徳院きゅうり祭りが開催され、身代わりのきゅうりに名前と住所を書いて奉納、1年間の「無病息災」「家内安全」を願う。
有松・鳴海絞会館
愛知県名古屋市緑区有松3008 絞会館 1階伝統工芸品の一つである有松・鳴海絞りを紹介する施設。 1984年、旧知多郡有松町役場跡地に開館。 1階では絞り製品の展示販売。 2階では資料の展示および制作の実演。 絞りの体験教室も行われる。 有松・鳴海絞りとは木綿布を藍で染めたものが代表的で、糸のくくり方で模様が変わる。 その技法から「くくり染め」とも。 江戸時代、九州の豊後絞りの影響を受けて、尾張藩が藩の特産品として保護、模様の種類は世界一とも。 「伝統的工芸品指定品目」に認定、日本国外においても「SHIBORI」といえば有松を示すとも。
服部家住宅
愛知県名古屋市緑区有松2345 服部家住宅倉服部家住宅 当住宅は、旧東海道に面する町屋建築の遺構であり、有松における絞問屋として代表的な建築である。主屋は塗篭造で卯建を設け、倉は土蔵造で腰に海鼠壁を用い防火対策を行っている。服部家は屋号を井桁屋と言う。
寂応庵跡
愛知県豊明市新栄町1丁目53寂応庵跡 曹源寺のホームページによると、「慶応元年(1865)知多郡北崎村(現 大府市北崎町)の素封家浜島卯八の三女「とう」が寂應和尚の感化を受け、当時の東海道の街道を行き来する旅人の難儀を救わんと剃髪して仏門に入り明道尼と改名し、東海道の街道に面した落合(現 新栄町1丁目)の集落に浜島卯八の援助で寂應庵を建立した。その庵を東海道を旅する人のための無料休憩所として毎日お茶の接待を行い人々の心身を癒した。」とある。
有松山車会館
愛知県名古屋市緑区有松2338布袋車・唐子車・神功皇后車の山車三輌は毎年、交代に展示、公開。 毎年10月第1日曜日には秋まつりが開催され、山車曳きが見物できる。
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