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くらしの博物館(がんこ平野郷屋敷)
大阪府大阪市平野区加美鞍作1丁目3-19平野郷ぐるみ博物館の一つに数えられる「くらしの博物館」。 木造建築の古い町屋の保存を目的に改造して、今では飲食店「がんこ」さんが営業しています。 店内の雰囲気もかつての趣をそのままに、お食事を楽しむことができます。
久宝寺緑地
大阪府八尾市西久宝寺323大阪市平野区の緑地公園である。 また、周辺にある八尾市や東大阪市をまたぐ。 1971年、開園。 園内には観光案内所が併設されたコンビニエンスストアも開業。
平野郷樋尻口門跡
大阪府大阪市平野区平野東2丁目11-5戦国時代、自治都市であった平野郷。 その際、郷内の安全のため集落のまわりを濠で囲み(「環濠集落」)、郷への出入りは13ヶ所に設けられた木戸口を使って行われたと言う。 また、それぞれに門や地蔵堂があって平野十三口と呼ばれ、その中の一つに「樋之尻口門」があった。 そのときに架けられていたとされる樋之尻橋の名残がある。
赤留比売命神社
大阪府大阪市平野区平野東2丁目10通称、「三十歩神社」と呼ばれている。 赤留比売命を祀る。 杭全神社の飛地境内社である。 また、豊臣秀吉の正妻北政所の所領であったときの会所跡でもある。
畠山政長墓所
大阪府大阪市平野区加美正覚寺2丁目6-37室町時代後期の武将・守護大名、室町幕府管領。 1442年、畠山持富の次男。 本姓は源氏。 政長の父である畠山持富は、畠山持国の嗣子に予定されていた。 持国は、庶子義就に継がせようとしたため、内紛が生じた。 持富の没後、政長の兄である畠山弥三郎が後継者となる。 弥三郎の没後、政長が後継者となった。 義就が管領に就任すると、山名持豊らが畠山義就を擁立して政長が罷免。 1467年、室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊らの守護大名争いが勃発し、応仁の乱となる。 政長は山城国の守護に任命。 守護領国制の導入を強行し、子孫にあたる細川政元らの反感を買い、山城国一揆へと発展。
含翠堂跡
大阪府大阪市平野区平野宮町2丁目9大阪市平野区にある碑。 1717年、土橋友直が創設した。 救済活動のほか、経書講読・国学・医学・算学等を教えた。 1872年、学制発布のため閉鎖、155年続いた歴史に幕を閉じた。 はじめ、庭の老松にちなんで老松堂と呼ばれていた。
安藤正次墓所
大阪府大阪市平野区平野東2丁目11-51565年生まれ。 1615年、大坂夏の陣では、徳川秀忠に属した。 大坂城落城の直前、前田利常や本多康紀両軍に敵陣への攻撃を伝えた。 その後、数人の敵軍と遭遇した際、単身で戦った。 勝利を収め、賞賛されたが、平野郷願正寺にて療養中、自害した。
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