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大仙公園
大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁204付近には、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、ミサンザイ古墳(履中天皇陵)がある。 また、園内にも小古墳が点在している。 1600年代、幕府代官高西夕雲と堺の豪商木地屋庄右衛門によって、「夕雲開」と呼ばれる新田開発を行った。 1925年、大阪農学校(大阪府立大学の前身)が大阪市生野区から堺市大仙町に移転した際に実験用農地となった。 1966年、大阪府立大学農学部が中百舌鳥に移転し、都市公園として整備された。 園内には、中央図書館や平和塔、堺市博物館が建設された。 1986年、全国植樹祭が行われた。 1989年、緑の文明学会・日本公園緑地協会による「日本の都市公園100選」の一つに選ばれた。
履中天皇陵
大阪府堺市西区石津ヶ丘1古事記によると、 “履中天皇は御年六十四歳、壬申の年の正月三日にお隱れになりました。御陵はモズにあります。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 写真は、履中天皇陵。
いたすけ古墳
大阪府堺市北区百舌鳥本町3丁338番地外 もずほんまち百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つで、前方後円墳。 墳丘長約146m。 百舌鳥古墳群では第8位の規模。 1950年代、土砂の採集や住宅造成を目的とする計画があったが周辺住民を中心とした反対運動により中止となり、古墳として保存。 後円部からは衝角付冑の埴輪が出土、堺市の文化財保護のシンボルマークとなった。 また、工事が途中で打ち切られたことにより、周濠には土砂を採取する重機を入れるための橋が架けられ、今も残る。 古墳には野生のタヌキが生息している。 1980年代、環濠には木造の小型船が沈没していたといい、昭和時代以前に製造された和船であるとか。 陪塚は数基、存在したが、善右ヱ門古墳のみが現存。
善右ヱ門山古墳
大阪府堺市北区百舌鳥本町3丁431百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つ。 400年代、築造。 いたすけ古墳の陪塚は数基、存在したが、善右ヱ門古墳のみが現存。
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