琵琶湖を目の前に望む滋賀県大津市にGO!
滋賀琵琶湖を目の前に望む滋賀県大津市にGO!
まいどまいど! 滋賀県の県庁所在地・大津市内をゆっくりと散策してみまへんか。 近代的な街並みの中に時折、見せる昔ながら雰囲気や趣を今に伝える古い町屋。 そんな町屋をゆっくり眺めながら歩く滋賀県大津市内は、歴史的にも文化的にも興味深いまち。 たとえば、何気ない道路の中にすっかり溶け込んだ京阪電鉄京津線。 一般的に電車といえば、道路と線路がきちんと分断されていますが、大津市内にも道路の真ん中に線路。 道路の真ん中に線路といえば、一見、大阪の下町や広島の都市部で走っているような路面電車を連想させますが、実は・・・。 滋賀県の名物といえば、近江牛。 近江牛で気軽に安く味わえるお店といえば・・・。 時を知らせる時計。 でも、そんな時計で日時計や水時計など、時に関して縁が深い神社といえば・・・。 大阪市内では天神祭、京都市内では祇園祭が有名でんねんけど、大津市内でお祭りといえば・・・。 などなど、滋賀県大津市内のおもろいとこ、歴史深い場所、文化的に重要な場所を代表として、それらの大津市内の魅力を一つのお出かけプランにまとめてみましたので、ぜひ、参考にしてみてください。 ほな、まいどおおきに!
京都府京都市山科区の御陵駅から滋賀県大津市の浜大津駅までを結ぶ軌道路線。 石山坂本線と合わせて大津線と総称される。
滋賀県大津市のJR西日本東海道本線大津駅構内に設置された観光案内所。 観光案内所では、大津市内を中心とした観光案内を行っているほか、大津市内の名物の紹介などを行っている。
「大津市の歴史と変遷」及び「逢坂越と車石」
大津浦の歴史と変遷、逢坂越と車石に関する詳細が刻まれている。 説明板の前に設置された石は、「車石」と呼ばれ、大津から逢坂山を越え、京都・三条大橋までの東海道に牛車用に敷石として敷かれたものであるとか。 当時の街道は土道であったため、雨が降ると、泥道となり、重荷を積んだ牛車は前に進みにくくなり、難儀していた。 その後、牛車の両輪の幅に合わせた敷石を設置することで、牛車の往来がしやすくなったという。
1939年に竣工したという県庁舎は、登録有形文化財に指定。 設計は、早稲田大学大隈講堂、群馬県庁等を担当した佐藤功一氏。
1937年、大日本武徳会の武道館として建設。 施設内には、柔道場と剣道場がある。 2009年、閉館。
祭神は、彦火火出見尊、国常立尊、大己貴尊、帯中津日子尊、仲哀天皇。 800年頃、琵琶湖畔にて創建。 1400年代、現在地に遷座。 例祭は10月の体育の日前後に本祭(曳山巡行)が行われ、大津祭と称する。 日吉大社の山王祭、建部大社の祭礼とともに大津三大祭の一つに数えられる。 また、山王祭、長浜曳山祭とともに湖国三大祭の一つに数えられる。 本祭(曳山巡行)では曳山(山車)が市内を巡行し、曳山の上から厄除け粽や手拭い、布巾が撒かれる。 各曳山にはからくり人形が乗せられ、各所で所望を披露。 起源は、1600年頃に鍛冶屋町の塩売治兵衛(塩屋治兵衛とも)が狸の面をつけて踊ったのが最初。
明治時代、建設され、「国の登録有形文化財」に登録された。 奥庭は七代目小川治兵衛(植治)作庭。 ここでは、琵琶湖の湖魚、海の幸や清流の魚、近江牛、地場の野菜など滋賀の食材を使用したランチ、ディナーが人気。
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江戸時代に創業したという和菓子店。 昔は店の前に床几を置き、通りすがりの旅人はここで休んでいたとか。 「餅兵」とは、創業者の餅屋兵祐の名前が由来。 店内には創業当時の看板や大津祭の見送り幕の写真、慶事で紅白饅頭を配るときに使った行器などがある。
1586年、豊臣秀吉は坂本城を廃城とし、浅野長政に命じて築城された。 城主は増田長盛、新庄直頼、京極高次。 1600年、関ヶ原の戦いで高次は東軍に属して大津城に籠城、西軍に囲まれ攻防戦が開始。 京極軍は城下を焼き払い、町は荒野と化するなど、大津城の戦いが勃発。 大津城の戦い後、戦禍を免れた建築物の一部は、彦根城、膳所城に転用、移築された。
1934年、大津公会堂として建設。 以後、大津市社会教育会館となり、社会教育の拠点として利用されてきた。 現在、雰囲気をそのままに、養殖などのレストランが営業している。
1910年、番頭の住居の使用を目的に建築。 明治時代、米問屋を創業。 趣のある昔ながらの雰囲気が色濃く残っている。
「大津の町家を考える会」は大津に残っている町家の存在を発信することを目的に設立。 町家見学会などの開催、大津市中心部の町家マップの作成と販売などにも取り組んできたとか。
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滋賀県大津市内で毎年、開催される大津祭の歴史と詳細が保存、展示されている。 例祭は10月の体育の日前後に本祭(曳山巡行)が行われ、大津祭と称する。 日吉大社の山王祭、建部大社の祭礼とともに大津三大祭の一つに数えられる。 また、山王祭、長浜曳山祭とともに湖国三大祭の一つに数えられる。
大津祭
本祭(曳山巡行)では曳山(山車)が市内を巡行し、曳山の上から厄除け粽や手拭い、布巾が撒かれる。 各曳山にはからくり人形が乗せられ、各所で所望を披露。 起源は、1600年頃に鍛冶屋町の塩売治兵衛(塩屋治兵衛とも)が狸の面をつけて踊ったのが最初。
ちま吉
10月10日、大津生まれ。 性別は、男の子。 性格は、好奇心旺盛、優しい、正義感が強い。 好きなものはちまき。 大津の家々で飾られている「厄よけちまき」に精気が宿り、それらが集まって生まれた「ちまきの精霊」。 ちま吉には、三代目巻左ェ門、ちま作、おチマ、ちまベイ、ちま江、ちま太郎、ちま次郎、風のちま三郎、ちまいぬ、ちまねこなどのお友達、師匠がいる。
1891年、訪日中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、当地で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられた暗殺未遂事件。 ロシア帝国の艦隊が神戸港に入港中、事件が発生し、ロシアと日本の関係が緊迫していた。 裁判では、無期徒刑となり、日本政府内では当時の外務大臣と内務大臣、司法大臣が辞職した。
東海道五十三次で東海道53番目の宿場。 江戸時代、大津と京都を結ぶ旧東海道の区間では牛車が往来しやすいように「車石」と呼ばれる花崗岩の石が道に敷かれた。 明治時代、馬車の利用が進み、車石が撤去され石垣などに利用されたとか。 当時、3階の楼上からの琵琶湖の眺めが絶景であったとか。
地域の交流、まちの活性化を目的に「おもちゃの館ゆうゆうかん」として開設。 通常、まちなか休憩所として利用することができる。 商業体験スペースは、商業体験活動等を通じて働く魅力の体験を目的に設置。 コミュニティホール、世代間交流スペースでは、会議や講習会として利用できる他、「ブリキのおもちゃ」が展示されている。
滋賀県大津市にあるステーキ・ハンバーグのお店。 日本三大和牛の一つに数えられる近江牛を使用したステーキ、ハンバーグが楽しめるお店として人気を集めている。
近江牛
滋賀県は近江。 近江の地で育った近江牛と無農薬にこだわる野菜、そして、近江米という地元・滋賀県をこよなく愛するお店。 ランチのワンプレーとステーキでは、近江牛を使用したステーキとスープ、ご飯またはパンがついて約1000円は、とても満足の逸品。
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琵琶湖の湖水を京都に流すことを目的に作られた水路(疏水)。 琵琶湖疎水は、第1疏水と第2疏水を総称したもので、水道用水、水力発電、灌漑、下水の掃流、工業用水などに使われる。 疏水を利用した水運も行なわれた。
琵琶湖疎水
日本で初めてとなる水力発電の運転を開始し、その電力は日本で初めてとなる電車(京都電気鉄道、京都市電)を走らせるために利用された。
一般的には、三井寺と呼ばれている。 天台寺門宗の総本山として知られ、山号は、「長等山」。 大友与多王によって開基、本尊は弥勒菩薩。 日本三不動の一つに数えられる黄不動で著名な寺院で、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られる。 9世紀、唐から帰国した留学僧円珍(天台寺門宗宗祖)によって再興。 10世紀頃、比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、焼失したこともあったとか。 豊臣秀吉によって寺領を没収されて廃寺同然となったこともあるが、幾たびの苦難を乗り越えてきた歴史背景から「不死鳥の寺」とも。 天智天皇は大津京を造営と同時に寺を建立しようとしたが、失敗。
三井寺
大友皇子の子・大友与多王は、父の菩提のため、園城寺を創建。 「園城」とは、大友与多王が自身の「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものという。 「三井寺」とは、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井(みい)」の寺と言われていたものが転じたもの。 これまで、藤原道長、白河上皇、源頼義、源頼朝らにゆかりがあるとか。
本格的な能舞台を持つ伝統芸能会館では、伝統芸能公演や、和室での教室活動などに利用されている。
大津市に関する歴史や大津絵などの文化の保存、展示されている。 大津絵とは、江戸時代から続く民族絵画のことで、仏や鬼などが登場する。
滋賀県大津市にある公園。 体育館、グラウンド、テニスコート、弓道場、プール、野外劇場などがある。 「皇子」という名称の由来は、天智天皇の皇太子・大友皇子に因む。 皇位継承において戦「壬申の乱」が勃発し、天武天皇となる大海人皇子の軍勢に敗れて自害したとか。
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倭国(日本)の同盟国であった百済が新羅と唐に攻められて滅亡し、中大兄皇子(天智天皇)は、百済の復興を支援しようと、朝鮮半島へ出兵した。 白村江の戦いにおいて倭・百済連合軍は唐・新羅連合軍に惨敗し、百済復興は失敗に終わった。 九州から瀬戸内海沿岸にかけて多数の朝鮮式山城や連絡施設を築き、防備を固めた。 その後、天智天皇は飛鳥の地から近江の地に遷都させた。 近江令や庚午年籍など律令制の基礎となる施策を実行した。 大友皇子(弘文天皇)は壬申の乱で大海人皇子に敗れたため、5年余りで廃都となった。
祭神は、天智天皇。 667年、天智天皇は飛鳥から近江の地に遷都(大津宮)させた。 1940年、紀元2600年の佳節にあたり、同天皇を祭神として創祀された。 1945年、神道指令が発令され、戦後復興を祭神(天智天皇)に祈願した昭和天皇の勅旨により、同神宮は勅祭社に治定された。
境内
漏刻祭、燃水祭、御鎮座記念祭、初穂講大祭、かるた祭、日本古式弓馬術協会による武田流鎌倉派流鏑馬神事が行われる。
時計
例祭は大津宮に遷都された記念日の4月20日に勅使が参向して行われる。 時計館宝物館と近江時計眼鏡宝飾専門学校が境内に併設されている。
水時計
天智天皇が日本で初めて水時計(漏刻)を設置したことから、境内には各地の時計業者が寄進した日時計や漏刻などが設置。 小倉百人一首の第1首目を詠んだ天智天皇にちなみ、かるたとの縁が深い。
おおつ光ルくん 21世紀版光源氏
滋賀県大津市のマスコットキャラクター。 年齢は、推定12歳(光源氏の元服)。 性別は、男の子。 仕事は、大津市内の観光の魅力を発信すること。 特技は、ローラスケート和歌を詠むこと。 趣味は、草花鑑賞、かるた(名誉初段)。 マスコットキャラクターとしては全国で初めて協議かるた初段(名誉段)に認定された。
名神高速道路のパーキングエリア。 2010年、リニューアルオープン。 施設は宿場町として栄えた草津宿本陣をイメージした瓦屋根の和風な外観。 ショッピングコーナーやフードコート、コンビニエンスストアなどがある。 また、名神高速道路内では初となるシャワーステーションが設置。 シャワーステーションにはコインシャワー・マッサージチェア・コインランドリーも併設されている。
モテナス草津
草津パーキングエリアの主要部に位置するモテナス草津。 お客さまを“おもてなし”するという思いを込めているといい、親しみやすい雰囲気
大津のサービスリアで、あのブラックバスの丼、ブラックバス丼が食べられるというので、早速、行ってみた。 ドキドキ・ワクワクであったが、白身魚のような食感で、ほかの魚とはほとんど変わらないような味です。
2008年、おごと温泉観光協会によって開設。 雄琴温泉とは琵琶湖西岸にあるアルカリ性単純温泉。 第1回「地域ブランド」(地域団体商標)として認定。 源泉名は雄琴温泉市第5号泉、市第4号泉。 効能は、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩など。 平安時代、最澄によって開かれた。 かつて8つの頭を持った大蛇が棲み、法光寺境内にある念仏池(蛇池)の水を村人らが飲むと難病にも効いたとの噂が広まり、念仏を唱えながら賽銭を投げ入れるなど、古来より霊泉として崇められてきた。 平安時代、貴族今雄宿禰の荘園があり、その邸からよく琴の音が聞こえたことから、姓の「雄」と「琴」をとって雄琴と呼ばれるようになった。
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集来打ち、宮立ちなどのリズムを持つ太鼓。 平安時代に活躍した武将・源満仲が小椋神社を信仰、五社の神輿を奉納して仰木祭・仰木太鼓を始めた。 仰木祭りは毎年5月3日に奉納され、千年以上の歴史があるとも。 現在、仰木太鼓保存会が結成、市の無形文化財にも指定。