津山城下町を散策
岡山津山城下町を散策
まいどまいど! 岡山県を代表する観光名所の一つっちゅうたら、津山市やおまへんでっしゃろか。 街の中心部には津山城址があり、展望フロアからは津山市街地を一望。 その他、昔ながらの雰囲気漂う湯山まなびの鉄道館には新旧が入り混じる車両が保存、展示され、鉄道ファン必見のスポットともなってまんねん。 また、岡山県の玄関口の一つでおます津山駅周辺には観光案内所もあり、津山市内をはじめ、岡山県全域の観光案内、情報発信を行っているだけでなく、お土産も販売され、ご当地の名物、名産と出会えるかも。 ほんで、今となっては一般的となった言葉の一つ「地質学」も岡山が生んだっちゅうても過言ではおまへん。 津山の今と昔を散策しに、出かけてみまへんか。
鉄道に関する鉄道保存展示施設。 2016年、西日本旅客鉄道及び公益社団法人津山市観光協会が旧津山扇形機関車庫をリニューアルして津山駅構内にオープン。 1936年、津山機関区の施設として扇形機関車庫が、建設。 津山駅に隣接した旧機関区用地で現在も使用され、現役を引退した静態保存車両を展示する鉄道保存展示施設として開業。 現存する国内の扇形庫施設としては京都の梅小路運転区(京都鉄道博物館)に次いで2番目の規模。 経済産業省の近代化産業遺産、社団法人土木学会「日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2800選」、岡山県教育委員会「岡山の近代化遺産」に指定。
国鉄C57形蒸気機関車68号動輪
2014年、大阪府の交通科学博物館が閉館し、保存されていたD51形蒸気機関車、DD13形ディーゼル機関車、DF50形ディーゼル機関車を移設・展示。 施設内では扇形機関車庫、転車台、まなびルーム、あゆみルーム、しくみルーム、まちなみルーム、いこいの広場で構成。 国鉄C57形蒸気機関車68号動輪の展示や旅立ちの汽笛も。
西日本旅客鉄道の姫新線、因美線、津山線の停車駅の一つ。 岡山支社管内の姫新線や因美線、津山線の岡山輸送指令所津山派出が設置。 2008年、津山鉄道部が設置。 2017年、駅周囲の設備の再整備。 2007年、当駅の初列車は4時13分発で日本一早かった。 1923年、日本国有鉄道作備線として開業。 駅名の由来は地名の津山町。 1987年、日本国有鉄道の分割民営化で西日本旅客鉄道に移管。 また、津山駅に鉄道保存展示施設の津山まなびの鉄道館が隣接。
日本の武士・津山藩士、蘭学者。 1799年、岡山県津山市西新町生まれ。 津山藩医箕作貞固(三代丈庵)の第三子。 名は貞一、虔儒。 字は痒西、号は紫川、逢谷。 箕作は代々、医家で阮甫の曾祖父・貞辨(初代丈庵)から西新町に住み開業。 父貞固の代で津山藩主松平家「御医師並」、十人扶持をもって町医者から藩医。 永田敬蔵(桐陰)・小島廣厚(天楽)から儒学を学び、京都・竹中文輔のもとで医術習得に励む。 1819年、開業、翌年大村とゐと結婚。 1823年、藩主の供で江戸に行き、宇田川玄真の門に入り、洋学の研鑚を重ねる。
地質学
幕府天文台翻訳員となり、ペリー来航時に米大統領国書を翻訳、対露交渉団の一員として長崎に同行。 蕃書調所の首席教授から幕臣に。 安政五カ国条約に携わった。 日本最初の医学雑誌「泰西名医彙講」をはじめ、「外科必読」「産科簡明」の訳述書、語学、西洋史、兵学、宗教学などと多岐にわたる。 日本で初めて「地質学」という言葉を作った。
日本国有鉄道の前身である鉄道省が1932年に設計した過熱式のタンク式蒸気機関車。 老朽化した支線・区間運転用機関車群の代替用として、1930年に設計されたC10形の改良増備車として設計・製造された軸配置1C2の小型タンク式蒸気機関車。 本機は日立製作所が製造。
津山市など岡山県北部に位置する美作地方を中心に情報発信、観光案内を行っている。
津山市など岡山県北部に位置する美作地方を中心に情報発信、観光案内を行っている。 また、岡山県内を中心とする名産品や特産品をはじめ、お土産も販売。 その他、イートインコーナーもあり。
津山ご当地グルメチューハイ
京都府京都市の宝酒造が製造販売する「地域限定プレミアムチューハイ」。 瀬戸内レモンを使用し、岡山県限定販売。 津山ホルモンうどん研究会よりご当地グルメに合うチューハイとして推奨!
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飲食店や居酒屋、雑貨店などが立ち並ぶ商店街。 かつて名称はパティオ一番街であった。 隣接する銀天街にかけて全長約200m。 2017年、まちづくりの活動拠点としてまちなかさろん再々があり、多目的なスペースとして利用。 つやま まちライブラリー@まちなかさろん再々が開設。 津山市内には吉井川が流れ、今津屋橋が架けられた。 江戸時代、鍛冶屋橋とも呼ばれ、警備や見張りを目的とした番所が設置。 一方、平安時代に津山発祥の高瀬舟が森忠政の1603年の津山移封後、津山や瀬戸内、備前などを結ぶ手段としての重要性が高まり、吉井川北岸に舟着場(川戸)が設置。
今津屋橋
藩の御用船を格納管理する舟蔵が建造され、舟宿、回漕問屋、土蔵等が立ち並んだことから船頭町という地名の由来とも。 藩命により高瀬舟を保護監督する舟蔵蔵元の一人である今津屋平蔵が屋敷を構えていたことから今津屋橋とも。
お好み焼き・鉄板焼きの専門店。 店内はテーブル席とカウンター席がある。 メニューは、お好み焼き焼き、焼きそば、そばめし、カットチキンステーキ、てんぷらなど。
ホルモンうどん
津山名物のホルモンうどん。
モダン焼き
兵庫県神戸市発祥のモダン焼き。
通りは「ごんご通り」と呼ばれ、地域密着型の商店街として親しまれている。 アーケードは江戸時代から明治時代の商家をイメージ。 瓦屋根となまこ壁のものにつくり変えられたとか。 また付近を流れる吉井川をテーマに、川の流れを石畳でデザイン。 昔、「ごんご(カッパ)」が吉井川に生息したという伝説が残り、高瀬舟やカエルのモニュメント、石灯篭などが沿道に設置。 夏にはイベント「ごんご祭り」が開催され、かっぱの姿をした踊り手など数千人が、練り踊るとか。
別名・鶴山城。 城郭の形式は梯郭式平山城。 津山盆地の中央部に位置し、日本三大平山城の一つに数えられている。 往時は外郭を含めて、77棟の櫓が建ち並んでいた。 明治時代、廃城令により天守・櫓などの建物が破却され、現在は遺構の石垣や建物の礎石が残り、再建された二重櫓と土塀がある。 現在は鶴山公園となっており、桜の名所としても知られ、日本さくら名所100選にも選定。