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まいど! 大阪の政治と経済を担う大動脈ともいわれ、かっこええ高層ビルが建ち並ぶ御堂筋。 場所は大阪梅田駅前近辺を始点に船場・本町を経由して、難波を終点に約4km。 大阪国際女子マラソンや大阪マラソンなどの大規模なイベントで使用され、全国的に知られてますのとちゃいますやろか。 京都では一般的に、道の名称を「通」としているが、大阪・神戸では、南北に通る道を「筋」、東西に通る道を「通」とする場合がほとんど。 たとえば、京都では東西南北に関係なく四条通、烏丸通としているが、大阪では南北に通る道では御堂筋、堺筋、谷町筋のように「筋」を、東西に通る道では曽根崎通、中央大通、千日前通として古くからつこてはります。 そんな京都と大阪の文化の違いを知りつつ、御堂筋、中央大通など筋と通の違いを見ながら散策するとなお一層、楽しめることでしょう。 また御堂筋、堺筋界隈では江戸時代より「あきんど」のまちとして栄え、大阪証券取引所、大阪商工会議所が。 庶民の楽しみの一つとして文楽が生まれた。 その他、今に残る塾(学校)跡や商店跡、明治・大正・昭和に流行した西洋風の近代建築物など、北御堂を中心に楽しみまひょ!
まいど! 大阪は日本の中心!? 今回は、そんな大阪の意外な素顔を皆さんにご案内していきまひょ! 大阪城は、太閤秀吉のお膝元。 周辺には大阪城ホールなどがあるさかい、知ってるよ!行ったことがあるよ!って言う人も多いのでは? もともと大阪城天守閣がそびえ立つ大阪城公園は上町台地の北部に位置し、古代から陸地として存在した。 森之宮では人々の生活の営みが残る遺跡、貝塚が発掘され、最近の発掘調査により日本最古の本格的な首都「難波宮」が置かれていたこともわかってきた。 時代は奈良県の平城京(710年)、京都府の平安京(794年)よりも古い645年に前期難波宮。 その後、奈良県に遷都するものの、744年に再び大阪が首都となり、後期難波宮とした。 その後、奈良や京都へと遷都している間、大阪は副首都・経済都市として日本を支え、太閤秀吉が天下統一を成し遂げたことによって、大阪が再び、日本の中心となった。 明治維新の頃、京都府から東京都へ首都機能を移転させる際にも一時期、大阪に首都機能を置いていたとか。 奈良県よりも京都府よりもそして東京都よりも歴史の古い大阪府。 歴史に浪漫を感じつつ、大阪を歩きまひょ!
まいどまいど! 日本で初めてとなる本格的な首都「難波宮」が現在の大阪市中央区で造営された。 以後、日本の政治、経済の中心地として栄え、首都機能が奈良県、京都府に遷都後も、副首都としての機能を果たしてきた。 太閤・豊臣秀吉によって大阪城が築城、再び全国から注目を集めることとなりまんねん。 江戸時代の大阪は天下の台所として栄え、全国から物資が運び込まれ、経済が活発となりました。 市内中心部では町民によって川が掘削され、ぎょうさんの船が行き交うようになり、やがて交通の要衝に。 大阪のシンボルとして名高い大阪市中央区の道頓堀川もまた市民の力によって掘削されたんやね。 明治、大正、昭和前期にかけての大阪は、「大大阪(だいおおさか)」。 人口規模では、東京市を抜いて全国1位となり、世界でも6位に数えられるほどに経済が発展していた。 現在の大阪の礎を築いた面影をわてと一緒に散歩しまへんか。 京阪電車本線・中之島線のターミナル駅でおます天満橋駅を降りると目の前に大川。 中之島を眺めつつ、訪れるは行列のできるベーカリー屋さん。 美味しいパン・サンドイッチが並んでいると人気でんねん。
まいどまいど! 「ええもん安い(いい商品が安い)!が当たり前」の関西ではええレストランがぎょうさんありますねん。 今回はその中でも選りすぐりでしかも一般の人でも利用可能な社員食堂・学生食堂をご紹介していきまひょ。 一瞬、社員食堂・学生食堂って聞くと、そこの社員だけ・そこの学生だけ利用できるんちゃうの?と、そんな印象がおまへんか。 実は一般にも開放しているウェルカムな社員食堂・学生食堂が大阪にはいくつかありますねん。 まあせやけど社員食堂・学生食堂やさい、「平日のみ営業」「夏休み」「お盆休み」など営業形態は様々なので事前に確認してからの利用を推奨します。
まいど! 大阪を代表する繁華街っちゅうたらキタ、ミナミに代表されまんねん。 キタは主に大阪・梅田・中之島とその周辺のことを指し、ミナミは心斎橋や道頓堀、日本橋などを指しまんねん。 特にミナミはグリコやかに道楽、づぼらやなどの看板やくいだおれ人形に代表されるように日本最大の繁華街として有名でんな。 日本橋は、「にっぽんばし」と読み、東京の秋葉原に並ぶ繁華街でおまっせ。 そんなにぎやかな繁華街を南に行くとなんばシティややなんばパークスなどの大型商業施設が。 ここはかつて、南海ホークスグランドであったこととしても知られ、南海ホークスに関する記念艦も開設され、今でもファンが訪れることも。 その周辺には閑静な住宅街に囲まれ、静かな雰囲気漂う神社や体育館が見えてきまんねん。 その中の一つが難波八阪神社。 「なんやねん!?これ!」 大きな獅子が印象に残って、思わず写真撮影を楽しむ観光客・参拝客の姿も。 大阪府立体育館でスポーツまたはスポーツ観戦もよろしおますな。 大阪ミナミの繁華街を歩いてみて食べて楽しめるスポットを中心にご案内いたします! ほな、まいどおおきに!
まいどまいど! 大阪府庁の咲洲庁舎がある大阪市住之江区内を散策しまひょ! 住之江区内には住之江公園や桜が美しい大阪護国神社、昔ながらの小浜商店街がある一方、オスカードリームや温泉もあり、楽しみ方も様々。 かつての時代、「住之江」は「住吉」として万葉集にも登場し、太古の時代から親しまれていたという歴史も残ってまんねん。 また、古くは島々が点在していた地域でもありまねやけど、江戸時代、活発に行われた新田開発により、今のような陸地になり、人々が集まるようになったとか。 そんなきっかけになった場所が北加賀屋。 ここには新田開発を行うための事務所が設けられ、現在もその歴史が語り継がれてまんねん。 あれやこれやといろんな歴史が残る住之江と住ノ江。 そんな住之江では最近、町おこしが活発で、パルクキタカガヤでは大阪市電3001形3012号が展示、保存され、名村造船所跡ではアートを中心にした各種の活動が展開されてまんねん。 かつては日本最初で最大の造船所があったといい、今もその伝説が石碑などによって語り継がれてまんねん。 一度、あなたの目で散策してみてはいかがでっしゃろか。
まいど! 皆さんは、大阪市内に飛行場があったことをご存知でっか? 今や飛行場、つまり、空港といえば関西国際空港や大阪国際空港、八尾空港のことを指しますが、かつては大正区に木津川飛行場、そして、ここ大阪市西区にも米軍飛行場がありましてん。 なんや想像つきまへんな。 当時の米軍飛行場は戦後、日本に返還され、靭公園として、整備。 現在、春には桜、秋には紅葉に染まり、公園内におます花壇では四季折々の花を咲かせ、年間を通してぎょうさんの見物客、花見客でにぎわう素敵な公園でんねん。 ほんでまた、靭公園界隈では小さなお子様から楽しめる入場無料のテーマパークでおます大阪科学技術館があり、科学のこと、技術のことがわかりやすく丁寧に紹介され、大人の皆さまでも楽しめまっせ! さらに、周辺では最近、おしゃれなお店が続々、オープンしてはりまして、別の注目も集めてはります。 靭公園やその周辺では大正時代から昭和時代にかけて流行したモダニズム建築(近代建築物)が今も現存し、その一つの山内ビルにあるカフェは人気。 今回はそんな靭公園とその界隈を散策していきまひょ。
高野山へ観光列車"天空"と特急列車"こうや"に乗車し、ケーブルカーと高野山ではバス乗車で効率よく周る日帰りの旅のレポートです これから訪ねる方の参考になればとアップしました。 高野山循環バス利用の場合、バス停で次の目的地のバス発車時刻を確認してから、観光すべし
まいどまいど! 西日本旅客鉄道のおおさか東線または学研都市線の停車駅の一つとして知られておます鴫野駅。 大阪のビジネスの中心地のひとつ京橋駅や豊臣秀吉などの戦国武将にゆかりがある大阪城の最寄り駅・大阪城公園などは有名ですがそんな有名な駅から一駅外れた場所にはどんな名所がおますのか、皆さん、ご存知でっしゃろか。 かつては川が流れておましたがそれを新田開発したことでその名がついた新喜多新田会所や大坂冬の陣で激戦を繰り広げた鴫野古戦場がおます。 今では石碑のみが当時を語ってまんねやけど、一見の価値があると思います。 そして大阪の歴史を語るうえで外されへん名所は大阪砲兵工廠跡。 明治時代に発足し、大阪城やその周辺では軍需工場が乱立。 ピーク時には約6万人の労働者がいたといい、アジア地域では最大規模となる軍需工場へと成長。 次第に第二次世界大戦が激戦化し、標的となって姿を消しましたが、現在も大阪城公園やその周辺ではその傷跡を垣間見ることができます。 現在は住宅街やマンションが立ち並び、当時の面影は少なくなりましたが、今でも語り継がれる歴史を肌で感じてみませんか。
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